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第54話「近くて、遠く」


 両者が睨み合って数分、見えない壁の向こう側に尋常ならざる想いを感じながらの数分は、秒数にしてはあっという間でも、感覚としては長い時間を過ごしたようなものであった。

 四季透には緊張が。

 桜坂蘭には殺気が。

 それぞれの如実な想いが、伝播してきた頃、立会人を務める者が部屋前に列を成した生徒達を必死に掻き分けて、やってきた。

 教師達の怒号。

 どけやのけやの大津波。

 モーセが切り開いた海よりも、人の海は強固で頑固であるために、なかなかの時間がすぎていく。


 そうやって、一生懸命――頑張りどころを間違っていそうな立会人が、肩で息をしながら部屋への入室を完了する。即座に、空いた隙間を埋めるように生徒がひしめき合う。

 入ってきたのは、四季透の対面――つまりは、桜坂蘭側であるために、四季透が立会人の姿を目にしたのは、部屋の中央まで摺り足でやってきてからであった。


 浅黄色の袴に、白衣を着て、真っ白な足袋を履いている男だ。いかにも、若そうな見た目は三十代にもならないくらいだろう。

 髭もなく、髪は少しばかり汗で毛先だけが濡れている。恐らく、先程の開拓のせいだろう。

 息を僅かに切らしているものの、「ん、んんっ」と喉を鳴らす。


「立会人を務める、立烏(たてがらす)と申します」


 深々と、誰でもなく、四季透にでも桜坂蘭にでもなく、試合会場となる模擬訓練場第三室の空間中央に向かって、頭を下げる。

 誰もいない。

 だが、立会人の立烏が頭を下げたことで、()()()()()()()可能性が浮上してきた。

 よく通る声によって、誰か――何者かが目覚めた可能性だってある。


「東。桜坂蘭、間違いないか」


「はい!」


 四季透には見えない壁の向こうで、高ぶった声が響いてくる。

 緊張――今まで四季透へ伝わってきていた正体通り、桜坂蘭の心境は大いに強ばっていた。


「西。四季透、間違いないか」


「はい」


 対して、酷く落ち着いた声の四季透。

 冷静沈着だと思われるような、だが、聞き馴染みのある者であれば、その声に確かな殺意がこもっているのを聞き逃さないだろう。

 実際、四季透は一点だけを見つめて――見すぎて、微動だにしない。刀にも触れず、手遊びの一つだけでない。呼吸の一つ一つが、浅くそれでいて長く。

 瞬きも数分に一回。

 それだけで、試合をしに来ている者の中では異質であろう。監視役の男性教諭も、いつ動き出すか、いつ狂ったように刀を振り回すのか、いつ刺されるか斬られるのか、怖くて怖くて仕方がないのだ。

 なにせ、鬼がそこにいるかのよう。


「双方、これより試合を始める。私の『始め』を合図に取り組むこと。こちらが準備不足だと判断する、もしくは、双方どちらかが不備を申し立てた場合、やり直しを行う。安心して、片手を挙げるように」


 立会人を務める立烏の口が、僅かに早まる。

 言葉の滑らかさがあるわけではない。

 むしろ、尖っている。

 ただ、時間に押されているからとか、この場面に緊張しているからでは決してない。立烏も理由はよくわかっていないのだ。理解が及んでいないのだ。

 自然と早口になったのも。

 なにか、急かされているわけでもないのに、追われるような圧力を感じたのも。


「では、最後に刀の確認を監視役の先生方。よろしくお願いします」


 すかさず、監視役である男性教諭。

 桜坂蘭側では女性教諭が、差し出された刀を受け取り、鞘、柄、装飾、刀身の至るところまでを確認。

 更には成分分析までを行い、事前の抜刀試験から何も変わっていないこと。

 ついでに、ボディーチェックまで行うほどの入念な確認作業を行う。

 そこで、四季透は納得できた。

 同性の先生だったのは、同性だからこそ理解できる緊張や不安に対応しやすいからだと思っていたが、ボディーチェックまであるとなれば、適任は同性でしか無理だ。昨今の事情を鑑みるに、同性でも難しいのかもしれないが、少なくとも、これだけのカメラや生徒の目がある以上、間違いなんて毛ほども起こすつもりもないだろう。

 毛穴まで、丸見えなくらい、よく見えるのだから。


「「問題なし」」


 四季透、桜坂蘭両名の監視役から確認が問題なく済んだことを宣言される。

 これによって、つつがなく進めるというわけで。

 試合が始まるというわけで。

 桜坂蘭の緊張が頂点を突き抜け、呼吸の震え、唇の乾き。何より、『鬼族』相手へ一矢報いるか、なんとか観戦者へ印象を与えられるか。それを脳内で駆け巡らせていた。


「では、両者、構え」


 一気に、音が遠のく。

 さっきまで、そこかしこで聞こえていた呼吸が、潜める。

 どこからともなく、嵐が吹き荒れる前の無音と無常の空間。桜坂蘭の荒れた呼気だけが、自分の中でだけ反響していて、苦しくなっている。

 しかし、それでも不備を訴えることも。棄権することなんかだって、一抹でさえ思わなかった。

 両者からの準備完了を確認した立会人は、右手を真っ直ぐに挙げ――


「始め」


 静寂の空気を断ち切った。

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