第52話「大会参加者の思惑」
いつだって、人は強かであり、逞しくもあり、同時に儚さや脆さを備えている。かといって、それらを強みに活かそう、巧みに扱ってこそ戦術とするわけでもなく、ほぼ無意識に上手くいって、意識的に失敗する。
その中でも、とりわけ刀道の世界ではビギナーズラックと呼ばれる現象はほぼ起きない。
無意識に試合が運んでいるわけでも、第六感が囁いた結果、圧倒的存在の強者を打ち砕くこともない。
全てが戦略で決められ、ありとあらゆる癖を理解した上で戦ってきた人が、ただただ勝ち進んでいく。
全ては策略でもあり、逸脱した精神でもあり、一般的な戦いに面白みを見出すことは難しい原因でもあった。
それら側面があったからこそ、四季透の存在はダークホースでもあり、成り上がりのヒーローでもあり、同時に今までの壱鬼の勝ち試合に負けが付くことも期待され、ネット上でも度々議論が展開されることになる。
無論、刀道の試合全てにビギナーズラックが存在しないことも、対象となっていた。
戦場の勘、経験の差、修練や技能。一概に刀の性能で勝負がつかないからこそ、壱鬼や『鬼族』と呼ばれる集団が強豪となり、名家が生まれた。
というより、壱鬼に紹介してもらった商品が軒並み完売していき、大きな利益を産むことが企業全体に知れ渡った結果が名家の存在だろう。
万人にまで伝わった名前が名門だということ。
名前に負けることなく、いつだって頂きの席に座していること。
故に、『鬼族』に勝てないことは当然となった風潮が生まれた。同時に、『鬼族』と戦った――大会で対戦相手だったことは一つのステータスともなるのだ。
企業や主催者側も、著名人をフォーカスして放送する。いつだって紙面や画面をおさめるのは有名人である。だから、『鬼族』と戦うとなれば、自分の名前が少なからず誰かの目にとまる。
特にこれから就活、進学を考える生徒であるならこの機会を逃すことは、大きなデメリットとなる。あわよくば好成績を残し、そして『鬼族』と対面する。
勝っても負けてもメリットがある戦いともなれば、参加者は多くなる。それが今回の侍月大会の有様だろう。
そして、四季透の相手でもあるだろう。
なにせ、刀道の世界にもある程度の流行り廃りがある。四季透が『春刀』を作り、豪華絢爛で実に陰湿な刀を模擬戦でお披露目することとなった。
しかし、問題は四季透がその刀を打ったことではなく。むしろ、対戦相手が九鬼であったこと。そして、『鬼族』であったこと。勝利を収めたことによる。
九鬼の刀が、実にシンプルで隙もなく、面白みもない刀だったのは剣術があったから。刀に細工しなくとも、圧倒する――一般生徒であれば、蹂躙するに事足りる力量があるために、無意味な装飾、過度な性能はむしろ邪魔になってしまうためである。
思考の除去。切り詰めた戦術。それが『鬼族』の刀と戦い方であった。
――とすれば、だ。
ともすれば、切磋琢磨した戦術に僅かな綻びがあり、精神を研ぎ澄ましたはずが一瞬の無意識の隙を切り抜かれる一般生徒が、もし『鬼族』と戦うことになったらどうするか?
少しでも、自分の存在、戦い方が賞賛されるためにはどうするべきか。
その答えを四季透が示してしまったのだ。
最高で、理論値とも呼べる可能性を示唆し、実践してしまった。
華美な刀で、『鬼族』に勝つという一般生徒の希望とやらを。




