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第51話「桜坂蘭」


 桜坂(おうはん)(らん)は、女生徒でありながら、侍月大会に参加できる胆力と身体能力を持っている――と特筆するほどでもない。

 極めて一般的でもあり。

 努めて平和的でもあり。

 恐ろしいほどに、現実的で残酷に違いない。

 幼少期から、刀に触っていた――触らなければいけなかった名家と違い、彼女が手にしていたのは自分の胴体ほどの大きさのボールである。

 最近ではとりわけ厳しくなってきたものの、まだ彼女が小さい頃においてはさほど世間の目と風当たりは厳しくない時に、友人達を連れ立っては公園でドッチボールをしていた。

 ひとしりき遊び尽くせば、小腹が空いてくるので近くの駄菓子屋へ子どもながらの大金を握りしめて、桜餅風のお菓子を買う。

 それがとりわけ好きで、自分の名前に桜があるからこそ、余計にシンパシーを感じては誇り高い象徴としても扱っていた。

 そんな、運動的優良児であった桜坂蘭が、なぜ、刀道の世界へと踏み入り、本島から離れた月見島までやって来たのか。

 物事は複雑にするのはいとも容易く、解いてしまえば、なんてことはない、さして引っかかりもないほど解けてしまうことなんてのは、よくある話である。糸のように。

 雁字搦めになってしまう前に、彼女が初めて刀道に触れたきっかけというのも、テレビである。


 たまたま、夕食時、彼女の父親が仕事も早く済んで、「今日は一緒に食べられるね」と母親も喜んでいた。

 それがどういう意味かどうかよりも、一緒に食べられる嬉しさが勝っていた。

 そんな時に、テレビで流れたのだ。

 当時、刀道がスポーツとしての形態を確立し、最初の全国大会が行われた頃。テレビに、決勝の映像が。録画が。液晶画面全部を覆い尽くすほどの、桜が舞っていた。

 桜坂の両親も、目を奪われ、アナウンサーが思わず読み上げるのを数秒忘れてしまうほどに。

 とある女性が、その桜と共に対戦相手である男性を圧倒した。


 例え、ルールが分からない桜坂蘭にとっても、それだけで勝敗が決したことは理解できた。

 そこからである。

 運命的である。

 桜が好きで、駄菓子屋の桜餅風のお菓子が好きで、それを誇りに思っている彼女が、桜を纏った女性武士に出会った。

 たったそれだけで、桜坂蘭は刀道への世界を目指すことになったのだ。


 両親へ勢いのまま説得し、なんとか獲得した理解は、桜坂蘭の大切なものだろう。

 しかし、運動的優良児である桜坂蘭と現役武士の生徒とでは大きな違いがあり、近くにあった刀道専門の道場へ通っていても、それは一瞬で痛感することとなる。

 泣きべそ、一切主役となれない試合。

 勝ち星より、負け星が多く、どう頑張ってもお金をドブに捨てているとさえ疑われているような彼女であったが、いつだって支えてくれたのは幼い頃に出会った桜の武士である。

 彼女の姿を追いかけ、必死で追い求め、桜の花弁よりも早くに駆け抜け、昨日までの景色が遠のいていった頃。


 中学生の青春に片足が沈みかけた。

 後に、それが底なし沼だったか。

 ただのぬかるみだったか。それを決めるのは、まだ先かもしれない。

 ただ、少なくとも、義務教育中に近場にあった中学校へ入学し、そこでたまたま刀道の部活に巡り会ったこと。それが彼女を月見島まで、飛ばさせる結果となる。

 刀道の道場に通い、基礎が身につき、身体能力も平均より大幅な上昇を見せていた桜坂蘭にとって、部活動はもっぱら夢への道標ともなった。


 かつて、桜坂蘭に魅せた桜が舞う幻想的で優雅な試合。えも言われぬ高揚とトキメキ。美しく、可憐で儚い立ち振る舞い。全てが一本の大木によって描かれているような選手。

 桜坂蘭は、かつての女性武士を目指している。

 そのためには、部活動で一番の成績を上げ、県大会でも好成績をおさめる。そしてあわよくば全国大会での優勝も視野に入れる。

 そういった、一度は夢見て現実に切り刻まれる青春に、突っ込んでしまった。


「……あたし、月見高校に行く」


 彼女の一大決心は、いつだって食卓の上であった。

 彼氏ができたこと。漢字検定に受かったこと。刀道の大会で予選落ちしたこと。

 そういった、報告会や自分の意思を伝えるのに、食事は欠かせなかった。


「いいんじゃない」


 あぁ、そうして、彼女の決心に向けた準備が唐突に終わるのだ。桜坂蘭がなんとかかんとか、両親を説得するためのプレゼン資料を準備していても、結局母親の「いいんじゃない」で許可が降りるのだ。

 いいのだろうか。

 うら若き、それこそとびっきりの美人でなくとも可愛らしい桜坂蘭を、寮生活にして。それも、離島で。

 どこにあって、どこで暮らすのかも分かっていないだろう母親へ、父親は「せめて、オープンスクールに行ってからにしよう」と提案されたことで、桜坂蘭が新たに感じていた不安は消えていった。

 なぜ、娘が心配しなければいけないのだ。

 なぜ、娘が母親のおっとりさを不安に思わなければいけないのか。いつか、詐欺にあってしまうのじゃないかとどこか頭の片隅に居座ってしまって、桜坂蘭の夕飯はひとつも味がしなかった。


 そんな彼女も、月見高校へ推薦入学することができた。勉学――は、選り好みしてしまって得意と不得意が一定の値で仲良く背を比べているので、進路指導の教師から推薦入学を意地でも勧められた。推薦されたのだ。

 そんな彼女が、数多の受験生の中から、入学式の席を得るに至ったか。

 実技試験を軒並みクリアし、侍月大会への出場も今回で三度目となるほど、継続できたのか。

 そして、最後の大会が。

 青春時代の一大行事の、一番始めの相手が四季透という、落ちぶれた名家で。今から成り上がるための階段にされるのか、といった憤りよりも、彼女は高揚していた。

 高ぶっていた。

 今、この瞬間以外、自分の心臓が消えたような感覚になりそうなほど、鼓動が駆け巡る。


 あの九鬼を倒し、圧倒した生徒。弟子をとって尚、今も新しく刀を打っていると噂の男の子が。

 ダークホース的存在で、ヴィランのような気迫で、見えない壁の向こう側にいると思えば――桜坂蘭の興奮は止められない。

 正義のヒーローになったわけではない。

 あわよくば、倒せるのではないかと希望的観測を抱いたわけでもない。

 そんなことでは決してない。


「四季透と戦ったて、面接で言える……!」


 崖っぷち生徒の、未来への焦燥が彼女をこの場所まで駆り立てたのだった。

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