第49話「桜を見」
午前十時二十三分。
模擬訓練場、第三室。
そこに監督かつ審判の教師が、ピシッと張り詰めた長袖シャツに紺色ブレザーを着込んだ二名。
しかも、サングラスをかけていかつい見た目だ。
男性と女性で、俺の姿を見るなり肩で風を切るようにこちら側、出入口の境目まで向かってくる。
「四季透君で間違いないかな」
問いかける声には緊張感が重苦しいほど乗せられていた。
威圧的にも感じる。
高圧的にだって思う。
「はい。間違いないです」
「では、このタブレットに指紋認証と顔を近づけるように」
そう差し出されたタブレットには、ご丁寧に枠組みがされており、人差し指のマークが液晶画面に浮かんでいる。
だが、それを受け取らせるわけにはいかないようで、がっちりと離さないように握っている。
まぁ、そうだろう。
機密情報と個人情報の塊だ。
純粋真っ只中な学生しかいないなんて、幻想的だ。
なので、至極真面目な生徒を演じるためにも、タブレットへ右手人差し指を押し付ける。
数秒間の硬直後には、画面が暗転する。
失敗したのかと思った次の瞬間には、液晶画面には目のイラストが映される。そこへ顔を近づければいいのだろう。
だけど、なんか、恥ずかしいな。
自撮りなんかしたことないし。スマホで撮るものなんか、何も無い。
「……? どうした」
「いえ、恥ずかしかっただけです」
インターネット黎明期と違って、今やスマホ片手にしながら文化交流できる時代だ。
顔も知らない相手とやり取りできる。
むしろ、顔も分からないからこそ出来ることだってある。
その中で、未だに慣れない存在がいたとすればそれはひっそりと息を潜めているだけに過ぎない。
ここで、姿を現すのはそういった方々の存在を詳らかにしてしまうことになってしまう。とすれば、申し訳ない。罪悪感で、あわせる顔もない。見せる顔もない。
だから、ポカーンとした先生の意識にこれ以上の恥を残さないように、顔を近づけ【承認完了】の文字をタブレットに浮かべてやる。
「次に、札はあるか」
「こちらで」
抜刀試験札と呼ばれる銀色のドックタグを渡す。
なんだかんだ、この札に役目がないのかと思えば、存外役割があることに驚いた。
月見高校に来てから、実技試験の刀以外、何も打たなかった弊害だろうな。他の生徒は、きっとこのドックタグを誰にも取られないよう肌身離さずしているだろう。
……いや、教師が預かっているて話だったか。
ということは、この時期だけこうなっているのだろうか。まぁ所持者と違えば事情を聞かれるし、刀の保管場所も厳重な区域にあるらしい。
生徒は知らない。
そうすることで、文字通りの暴挙を防げるらしい。
「……間違いない。今、確認のために渡すから少し待っているように」
ドックタグを右手、タブレットを左手に抱えながら先生は俺の背後にいた女性教師へ問題がないことを二重でチェックしていく。
小声で、周りの話し声にかき消されそうな中、ドックタグを受け取った人は駆け出していく。
こりゃ、時間が掛かりそうだ。
刀を探して、持ってくる。それだけでも大変なのに、これだけの人間が至る所にいるのだから、間違っても刀の保管場所を知られないようにしなければいけない。
多分、女性教師は確かに話を聞いてきたのだろうが、持ってくる人は別の人だろう。
「部屋に入って待っているか?」
俺へ威圧的だった先生が、不意に雰囲気を崩す。
やっぱり、形式上、気を張っているわけか。
じゃあ、お言葉に甘えてもいいのか。外にいても、中にいても、できることに変わりないし。
「中で、待っています」
「うむ。じゃあ、中で説明させてもらう」
説明があったか。
まぁ、そうか。ちゃんとした大会だし、負傷者を出さないためにはしっかりしなきゃ駄目だよな。
……にしては、開会宣言とかなかったけど。
もしかしたら、あったのかもしれない。
知らない時間にあったのかもしれない。
そんなことをうだうだと考え、頑強な扉をゆっくりと開ける。持ち手を下ろし、奥へ力を込めるとしっかり扉の重みを感じる。
ある程度自分の体が部屋に入ってからも、大袈裟なほど開く。そうすれば、先生も後を追って小走りに部屋への入室ができる。
会釈してくれる。
あぁ……社会人だ。
「では、注意事項から説明する」
先生の名前は、教えてくれないのだろうか。
いや、というか、覚えていない俺が悪いのかもしれないけど、名札をつけていない。
特徴的な顔でもない。
すれ違って、見過ごすくらいには整っている。
強いていえば、俺の刀を預かってくれた恰幅のいい男性教諭。あの人くらいインパクトがあればいい。
いや、あの人の場合は話して分かる印象てだけで、普通に過ごしていても「あの人はムキムキなんだ」くらいしか思わないだろう。
他人の外見に文句をつけられるほど、不躾に育てられた覚えはないし、この人を覚えていない俺が悪いってだけは確実だろう。
「まず、立会人がこれからやってくる。正式な試合はその人が行う。俺は君の監視役だと思っておけ。君が不穏な動きをすれば注意するし、場合によっては失格を言い渡す」
「不穏というと」
「試合前に、君の預けた刀を渡される。それを不用意に抜いたり、合図もなく斬りかかるような素振りも、該当される。後、鞘に収まったまま振り回すのも同様だ」
厳しいのだろうか。
いや、厳しくしているつもりなんだろうか。
対戦相手を斬りかかる人の気持ちは理解できないが、例え鞘に収まっていても、刀は刀だ。
持ち主の思うままに動く刀であり、武器だ。
例えば、俺自身が対戦相手へ突然――それこそ、立会人の合図が掛かる直前に動いてしまえば、相手へ文字通りの致命傷を与えることだってできる。
致命であり、致死である。
この刀道のルールは、剣道とは大きく違い十メートルの間合いがある。だが、たかだか、十メートル。
生半可な鍛え方をしていれば話は変わってくるだろうが、瞬間的に間合いを詰めるのが得意な人物であれば、この距離は大したものではない。
そんな人間が、果たしてこの場面で実際に人を斬るのか分からない。しかし、刀を持った気がする人間なら分からない。
そういった意味でも、不穏行動への注意はむしろ事態の抑止力にはならない気がする。
「ちなみに、立会人の始まりの宣言と同時にアーマーがそれぞれに付与される。それまで刀には細工させてもらっているから、刀を抜くことだってできないからな」
あぁ……そうなのか。
後出しジャンケンをされた気分だったが、するつもりがないことに残念がるのは良くない考えだ。
というか、細工したのか。
いやだな、俺の刀が磁石でカッチンカッチンて。
そっちの方が残念だ。
そこから先の注意事項は、刀に細工されたショックであまり覚えていない。こういうところがいけないのだろう。
まぁ、注意されたら直せばいい。正気であったら、そう覚えておこう。




