第45話「四季」
「透さんは、昔から刀を打っていたんですか?」
素振りの最中、一緒にしていた中尼君が尋ねてくる。
学校での勉学を終え、後は鍛冶場で色々する予定だったが、放課後になるや急ぎ足でやってきたのがこの男である。
鍛冶科に来て、「素振りを見てください」と頼み込んできたのだから、俺としては恥ずかしい思いをすることになったわけだ。
後ろ姿が赤っ恥で染まっている気もしたし、クラスメイトからは称賛を多分に含めた茶化しを受けることにもなった。
そんなわけでの鍛冶場前でのこと。たった一時間程度の一幕である。
「昔から……打てるようになったのは最近かな」
「打てるように?」
「中尼君は、四季家がどうして落ちぶれたのか知ってる?」
中尼君の振り下ろす竹刀が止まる。
そして、地面へ突き立てては両手を添えて考え込む。んー、んー、と唸っては首を捻る。
「分からないです」
「正直でよろしい」
そんな程度のものだ。
名家だろうと、スポーツ的に有名であろうと、興味がなければ見えないもの。それを責めるのは非常に酷、とやらだ。
「ちなみに、中尼君は刀道をいつから始めたの?」
「いつから……。確か、中学の頃に体育の授業でやってからですね」
「剣道と選択式の授業か」
「そうですそうです」
最近、ある程度安全が確立されたスポーツは学校教育の一環として授業に組み込むことが多い。剣道しかり、相撲しかり、柔道しかり。
大切なのは、礼節と礼儀、所作やスポーツ精神を養い、武芸を高めながら技術、伝統とやらが風化しないようにする。そういう意味合いが多くあるのだろう。
だとすれば、中学で初めて知った中尼君が、四季家の衰退を知っているはずもない。
「じゃあ、四季家のことを知らないのは仕方ないよ。それまで触ったことがないのなら、余計に知る機会がないし。今は、刀道以外にもたくさんのスポーツがあるし」
小さく、中尼君は会釈する。フォローしたわけではないんだけど……礼儀正しい人だ。
「四季家の人間。この学校だと俺に、叶、夢が当てはまるんだけど。その家人にはとある呪いが掛けられていてね」
「呪い……」
「一つが『刀が打てなくなる呪い』。もう一つは『刀が振れない呪い』でね。このどちらかを産まれた時から死ぬ瞬間まで続くんだ」
「…………」
しばらく、中尼君の様子を見る。
彼は顎に手をあて、天を仰ぐ。
まるで考えが霧散しないように、飲み込んでいるようなひたむきさで。
「あれ、でも。透さんは刀も打てますし、振れますよね?」
「そうだね」
実に真面目で。こちらが答えたい質問を投げてくれるいい弟子だ。いや、何も知らないからなのかもしれないけど。
刀道に詳しい人間だったら、呪いとか不確定要素でも重苦しく考えて、コミュニュケーションが疎かなまま会話が終了していたかもしれない。
とすれば、何も知らず、これから学ぶ人の言葉は貴重なのだと、覚えておこう。
「じゃあ、呪いなんてないわけじゃないよ。実際、模擬戦を見た中尼君になら、俺がどんな状態だったか分かるでしょ」
「……確か、真っ赤でした」
「そう。真っ赤。あれは、呪いだよ」
中尼君の指が僅かに動き、竹刀を立たせたまま自分自身の体を下ろす。
しゃがみこんでは、地面を見つめる。
「死んだりしますか?」
「場合によっては」
それを聞いては、中尼君の溜息はより一層重くなる。
それでようやく気づいたが、彼はどうやら心配してくれているのだ。
言葉の重さも、気持ちを落ち着かせようとした指の動きも。吐き出した息が、心の底から掻き出したものなのも。
彼にとって、呪いというのは決して軽いものじゃないのだ。
呪いは、呪い。呪詛的なやつだったり、怨霊的なやつだったり、ホラー映画にもなるような人的被害を大小異なる状態で与えてくるものなのだ。
「詳しい話はなんていうんだろう。口伝でしかないわけだけど。あの真っ赤な皮膚、ていうのはアレルギー反応に近しい状態らしい」
「……」
アレルギー反応。アナフィラキシーショックとも呼べる現象に近く、実際模擬戦での俺の肌色は真っ赤になり、筋肉が腫れ上がるような感覚も伴っていた。
「長時間、刀を振るうことでそのうち動けなくなる。呼吸もできなくなる。もしくは、血流が滞りすぎて手足の腐敗が進むかもしれないけど」
「その状態で……刀道の世界に来たって、無謀じゃ……」
「無謀だね。無理だと思う。そもそも、模擬戦みたいに早期決着ができたらいいけど、そうはいかないだろうし。時間が経てば経つほど、俺は形勢不利になる。一発勝負の大博打を、しない方がいいと思うのは健全だね」
ただ。
そう付け加える唇は、どうにも現実へ一石を投じたいようで。不可能だと決めつける前に、できると思った経験則を馬鹿にできないと思っているからなのか。
嫌な空気を消し飛ばしたいように動く。
「でも、俺は四季家だ。鬼の呪いを引き継ぎ、鬼の呪いで苦しみながらでも、刀の世界にいたい家なんだ。今までの功績や功労や偉業や大成をかなぐり捨てるわけにはいかない。この地位にいられて、今動くべきなら少しでも前へ進む必要があるんだ。
家だったり、覚悟ていうのはそこから出てくるものだよ」
どうしようもない他責思考かもしれない。
家のせいにして、全て捨ててしまってもいい。
そう思ったことだってある。
苦しい、死にそうな――文字通り死にかけたこんな世界から、今すぐにでも非常口から逃げ出したい。
そう、何度も何度も。繰り返すほど思ったことがある。
「なんで……とか失礼かもしれないんですけど。なにか、そうしなきゃいけない理由でもあるんですか?」
「理由……理由ね」
思い返す。記憶の片隅に置いていた忘れてはいけない忘れ物。それを、引っ張り出した気がした。
「名声……かな」
「名声?」
「四季家は代々、刀鍛冶の一族でね。今でこそ戦ったり、血の気が多かったりするわけだけど、元は刀を作ることだけに心血を注いできた。でも、今じゃ落ちぶれた一家だとか、『鬼族』の最弱だとか言われてる。そんな状態で前みたいに刀を打とうとすれば、白い目で見られてしまう」
この世界もそうだ。
横との繋がり、これほど大切なものはない。
特に、名家でいられると神鋼の質が良くなる傾向にある。例え、同じ卸売であってもそれは揺るがない。
名を挙げ、黄色の声が出ている家ほどいい神鋼が回ってきて、そうじゃないところには質の悪い神鋼が回ってくる。
早い者勝ちではなく、勝者に質が集まっていく。
人も、物も、技術も、集まっていく。
今の四季には、そんなものはない。
いや、これから増えてくるのかもしれないけど、ただのダークホースへの注目でしかない。メディア系統が軒並み、今までの壱鬼一強時代を崩すかもしれないと騒いでいるだけで、注目度はさしてない。
たった一回の勝ち星で揺るぐような、甘い世界じゃないのだ。
「だから、まずは権力や権威を身につけて――というか、取り戻して、刀を打てるようにしなきゃなんだ。
後、妹を守らなきゃだし」
「妹……望さんですか?」
「そう。九鬼家に引き取られるのは、俺達としてもよろしくないことだからね」
四季望。本人は至って不真面目に、素振りと基礎訓練程度しかしていない。サボるし、手も抜く。だが、そんな人物がいなければいけない理由は、四季家の今後の目的に関わるからだ。
失いたくない。
そのために、兄が前線に立つのは何も間違った話じゃない。
「そういうことで、そういう理由があるからだけど。質問の回答にはなったかな?」
「は、はい。ありがとうございます」
そう応えた中尼君は、少々重たげに頭を下げた。




