第42話「自室一幕」
夕食後の素振りが済み、寮の警備員さんへおやすみの挨拶をしてからの話。時間としては、二十一時過ぎだ。消灯時間までギリギリのところで帰ってこられた。
自室の鍵を開ければ、先程までの人のいた空気とうってかわり、寒い匂いが漂っている。
「……ただいま、と」
靴を脱ぎ、丁寧に整える。
そんな合間にも、部屋の薄暗さと生活感がかろうじてある空間は、人の温かさに飢えているようでもあった。
「さっさとシャワー――て、え」
部屋の照明をつけ、慌ただしく光の調整をする眼球が写したのは、スマホの画面。
UPhoneの初期の壁紙を覆うように、SNSのアイコンがこれでもかと主張している。
「いつもだったら、妹達からしかないのに……」
通知画面からタップ。暗証番号を入れ、アプリを立ち上げると、これまた懐かしい人物とのトークルームが開かれる。
『久しぶり 元気か?』
たった一文。その短い言葉を送るまでに、長い時間を掛けたのだろう。
それを容易に感じ取れるほど、懐かしい相手なのだ。
「久しぶり! 元気だけど、そっちは?」
その言葉を打ってすぐ、既読がつき、画面が少しずつ上へズレていく。
『元気 だけど、モテない』
『勉強もよくわからん』
『部活もよくわからん』
「才木が勉強わからないて意外だな」
彼は才木。中学時代の友人で、連絡を取り合うのも年末年始の挨拶くらいなもの。かといって、仲が悪いとか、友達じゃないとかではなく。
自然と、俺が離島に移り住んでから、そうなってしまった。
鍛冶場にこもり、暇となれば素振り。そんなスポーツ少年さながらの情熱が、友人との交友を遠ざけてしまっていた。ただ、言い訳でしかないが。
それでも、彼とは休みの日は一緒に遊ぶような仲でもあったから、お互いがお互いを気遣った結果の疎遠なのだろう。
「そんなに難しいのか?」
『いや、難しくはない』
『ただ モチベにならん』
『労え』
「刀道をすればモテるぞ」
適当なことでも言っておこう。
悲しくも男子高校生。恋なき世界から憧れを見上げる生物であるからこそ、足元を見てしまうのだろう。
そんなことはないはずなのに。
『刀て重いんだろ?』
『俺、女の子より重いものは持てないからな』
「女の子を抱えたことなんかないだろ」
『あるわ!』
『おんぶもしたわ!』
「それ妹だろ?」
『そういえば、お前のとこにも妹いたな』
ノータイムで話を変えてきた。
こいつは……都合が悪くなるとすぐそれだ。
まぁ、いいか。
こいつが妹以外をお姫様抱っこすることがあるのなら、祝ってやるべきだろうし。その時まではとっておこう。
「いるけど」
『ぶっちゃけどう?』
どう? と聞かれても……。脱いだ靴下を手にしながら考える。言葉の意図が読めない。だから「どういう意味だよ」と返す。
『一個下だっけ? 同じ学校て気まずくないか?』
『しかも、三人だろ』
『体育系の学校だと比べられて面倒じゃないか?』
……。
そういえば、身内が一緒の空間にいることを気まずいと思う人もいるか。というか、思春期がそういうものかもしれない。
かといって、俺の中にそんな感性があるかと言われたら、ない。
「気まずくない」
「さっきも一緒に夕飯食べたし」
「比べられることはよくわからない」
「これからあるかもしれないし」
『ネットニュースにもなってたな』
『お前、やっぱ凄かったんだな』
「お前の方が凄いだろ」
「俺はこの道しか無かっただけ」
『まぁ、そうか』
『俺はお前より賢いからな』
減らず口か?
謙遜はどこへいった。日本人の謙虚は神隠しにでもあったか。
だが、自然と落ち着く思考だ。むかついた感情はない。懐かしい。遠い時に感じた風を浴びているかのようだ。
あの時は、もっと、寂しかった気がする。
『ま、いつでも帰ってこい』
『お前が凄いのは知ってる』
『俺はお前より知的だけどな』
「いつまで擦るんだよ」
『お前がニュースに出た時、嬉しかった』
唐突だ。
顔も見えないからこそなのだろう。
突拍子もなく、できることは。
『中学の時、お前の家柄は聞いたけど』
『事情は知らなかった』
『てか聞くつもりはなかったけど』
『日本一になるてのは、飽きるほど聞いたし』
『だから、嬉しかった』
『近づけたんだなって』
『応援してる』
スマホへ向けた指が固まる。
息が詰まる。
何年会ってないんだろう。
忘れてしまっても仕方ない時間が経って、思い出した頃には取り返しがつかないようになってしまうのだと思っていた。
だけど、送ってきてくれた。
それだけで、充分だったのに。
「ありがとう」
「今は帰れないけど」
「いつか帰る」
「多分、年明けくらい」
『おう、いつでも来い』
『後、可愛い子がいたら紹介してくれ』
こいつは……。
がめついというか。強かというか。馬鹿というか。
邪念を応援している人間に送り付けるなよ。
「じゃあ、次会った時奢ってくれるならな」
『がめつ』
『そんなんじゃ、モテないぞ』
「じゃあ、紹介しなくていいのか」
『是非とも奢らせてください』




