第39話「弟子」
件の人物。中尼君が目覚めてからの数分間。彼は一度たりとも会話をしようとしなかった。起き抜けの最初は「すみませんでした……」と謝罪の言葉が入り、今や同じ卓上にて茶を飲む場面でも、一切口を開かない現状となっていた。
ただ、まぁ、仕方ないとは思う。
あれだけおおぼら吹いて、挙句にはボコボコにされ、恥ずかしさと己の力量のなさ、そしてあわよくば弟子にしてもらえると淡い期待を抱いていたこと。それらを心の中でドロドロになるほど混ぜ合わせ、胸の奥につかえさえているのだろう。
よくわかる。
理想と現実に打ちひしがれるのは、この世の条理だ。
だからといって、差し出されたお茶を一口も口にしないとなれば、話は変わってくる。
「中尼さん。よければ、一口、飲まれてはいかがでしょうか。口が寂しいと、閉じこもってしまいがちになりますから」
という、意図が夢に伝わっていたのか。はたまた、昔の教育の賜物だろうか。少なくとも、何もしなかった俺より気配り上手な妹の促しは、良くも悪くも、中尼君の意識を切り替えるきっかけとなったようだ。
「……す、すみません。いただきます……」
怯えながら、彼はすすっと翠色を飲み込む。なんてことはない、ただスーパーで売ってある緑茶だ。本当は麦茶の方がいいのだろうけど、「それでは庶民感があって駄目です。緑茶にしておきましょう」と夢の計らいによって、わざわざ良さげな陶器に注いだ安物の茶。実用的ではなく、政略的な初めての事例を体感した中尼君は、なんともかんとも言い難い微妙な表情をし。
「すみません……あまり高いものを飲んだことはなくて……でも、美味しいです」
と、まぁ、見事策略にハマってくれたのだ。
これには夢もご満悦。いや、そんなわけはないか。横目から夢の様子を見ても、比較的無表情の中でも優しい部類の、無表情を作っており中尼君への疑心が勝っているようでもあった。不服なのだろう。俺が弟子をとることについても。この中尼という男が、それほど強くないことを対面して気づいたのだから、なおのこと。ことさら不安にもなるのだ。
「落ち着いたら、さっきの打ち合い。その反省をしよう。いいかな?」
しかし、対象的なほど俺の言葉は柔らかいものでなくてはいけない。というのも、ここで圧を掛けたところで意味は無い。
その考えが功を奏したのか、中尼君の表情は先程の死にかけだったものから、希望に照らされた少年のようにもなった。
「は、はい。今すぐにでも」
ただ、まぁ、隣に座っている夢さんからの威圧感が増したわけですけど。気にしないでおくか、それとも、後で和菓子を奢る必要があるか。その二択を選ばなければいけないのだから、先行き不安は継続中だ。
恐ろしい……。
「じゃあ、中尼君。君は開始の合図より遅れて、上段から斬りかかっていったね。あれは無意識だったりするかい」
「………………」
その問い掛けに中尼君はしばらく、無言で湯のみに写った自分自身を見つめる。
そして、一つの答えを紡ぎ出す。
「…………多分、無意識です」
この発言。そして、本当に無意識だったと言わんばかりのあっけらかんとした態度。
いかにも考えてなさそうで、いかにも考えていない思考に隣に座っている夢が、多少の動揺をみせる。
いや、他人が気づけるようなものではない。
些細なことだ。
纏っている雰囲気に、揺らぎが生じた。
ただ、それだけの、第六感的なものだ。
「無意識で突っ込んだ。恐らく、多少なりとも剣を振るい、他者との駆け引きにその身を置いてきた人間なら、しない行動だ」
俺が緑茶を気だるげに手にし、手遊び感覚での感想は、必要以上なほど中尼君へ伝わった。
そう、必要ないくらいに。
彼は、その言葉を聞いて。その単語を耳にして、恐ろしい程に動揺を瞳へ写したのだ。
「あ、中尼さん。一つ、我が兄と一緒に過ごしてきた私が補足しますと、褒めていますからね?」
「……え」
「しない行動、この言葉自体は奇想天外だとか、破天荒だとかの意味があると思います。でも、それが通用しているのはあくまで一般人だったり、私達で言えば戦術もない。戦法もない。駆け引きなんか微塵もない人にだけで。
そんな人達と私達が、力量の差を示すことは大変烏滸がましいものではありますけど。相手の意表を突く、これが自分より格上の相手と戦う時、大きな一撃となるのです」
全く息付く暇もなく。清流のように、淡々と喋る夢。
しかし、中尼君はどうにも褒められている、という事実を受け入れられていない。ポカーンとした表情で固まっている。
「一言で、言うなら『悪くない』だよ」
「……そ、そうですか」
俯き、気恥ずかしそうにする。なかなか、褒められたことはないのかもしれない。
なにせ、四季家の名前が出始めてすぐに弟子を志願した人物だ。切羽詰まっているのは目に見えている。それが、行動に如実なほど現れているのも知っている。
だから、手放しで褒められることも弟子にされることも、夢みたいな話なんだろう。
そこまでは理解できるけど、それ以上はこれから知る必要がある。
「で、行動心理とか心持ちについては、『良』判定とすれば。構えだとかは『不可』だね」
「……うぐっ」
潰された蛙みたいな声を出す中尼君。
しかし、反省会なもんで、駄目な部分を指摘し、矯正していかねば教える者として落第だろう。
「まず、上段からの特攻。君は刀を抜いてすぐ振り上げて、降ろす。その動作の合間に、接近することを選んだわけだ。そうしたら、どうなった?」
「斬られました……」
「どうやって?」
「こう……横から、だと思います」
きっと記憶がうろ覚えなのだろう。気を失う前なんてそんなものだ。覚えているだけ立派。
だとすれば、ちゃんと指導しなければいけない。
「正解。というか、夢の構えはありきたりな居合切りだから、納刀された刀の出方は横になる。そんな相手の攻撃がくる方向を、スカスカにして突っ込めば気を失うわけだ」
「……あの場合は、どうすれば」
「いくつもあるけど……夢はどうされるのが嫌だい?」
ここで、瞑想していた夢へ投げ掛ける。自分の番が済んだら、休むなんて駄目だろう。そう思ってると、夢は「んー」と唸る。
「私に聞かれても……そうですね」
湯のみから喉を潤す。そうすることで、これから話すことは多少なりとも意味のあることを示唆するわけだ。
「どのような手段、戦法、戦術、駆け引きをされても対応できるようにしているので、今の私では答えらしいものは出せないかと思います」
「……」
がーん、と露骨なまでのショックを受ける中尼君。
表情豊かだね。叫びかな。
「ですが、昔の私であれば。居合切りをするというのは、絶対的自信の裏返しでもあります。この一撃で、相手を返り討ちにする、という。
だとすれば、相手の攻撃を誘い、受け流すか競り合うよう持ち込めば、意表を突く戦術が有意義なものとなるでしょう」
おぉ、次はるんるんとしているよ。
キラキラしていて、眩しいくらいだ。もう見失って、置いてけぼりになった感性だ。
羨ましいと思う反面、もうそこへは戻れないささやかな絶望が身を締め付けた。




