第37話「一撃目」
「………………はぁ、兄様はいつだって勝手なんですから、妹の迷惑を考えてくれない。大変なんですよ」
「そ、そうですか……」
「だから、さっさと来てください」
――あ、結局やるのね。
とでも言いたげな、小声でも言ってしまった顔の中尼。彼の中には未だ、女性を殴るべきかどうかの悩みよりも、目の前の存在がとてつもない圧力を掛けてきていることの方が、懸念していた。
この学校に所属している以上――一年以上席を置いている以上、刀道の試合で相手が女性であることは特別珍しいわけじゃない。なにより、今の月見高校で二番目に強いのは女性だ。全校生徒の中で、二位の地位を得ているのは女性である。
だから、性別の壁は一切ない。むしろ、壁があるとすれば技術や技量や力量を超越したナニカ。人であって、人でない力。殺気の類である。
四季夢に促され、一撃目を譲ってもらってなお、攻めあぐねるだけの威圧感。
これが中尼の精神を蝕み、膝を折るのは容易いほど、侵食してくる。じわじわと、泥に捕まったような錯覚さえ、中尼は支配されているのだ。
(……なんで、こんなに攻めにくいんだ)
ただ、普通に構えただけ。中尼にはそう見えたのだろう。まだ、そう見えてしまうのだろう。
見えた違和感を、ただの現象として認識してしまっている以上、彼が凡夫であり平凡の礎だと証明していることはない。
四季夢がやっていることは至極単純。
極まった基礎。弛まぬ努力の栄光である。
ただ、隙をみせない。
これに尽きるわけだ。
至難の至り。難関の関所を突き破った者が、その極致へ到達しただけ。それを理解できる領域に中尼が足すら入れられていないだけなのだ。
これには、見届け人の四季透も溜息を吐き出す。呆れ――じゃない。諦め、でもない。
そこには確かな謝罪の意思が含まれていた。
(なんで、打ち合いに真剣になってるんだよ。いや、本気でやるのはいいんだけど、中尼君の力量を見極めるためだったのに――真面目なのはいいことだけど、これじゃあ、一方的な戦いになるじゃないか)
しかし、四季透は考えてもいないのだ。考えつかないのだ。自分自身が弱い存在であったのは、幼い頃だけであって、常に勝ち続け、前へ突き進む運命にあったからこそ、彼の後ろで負けず嫌いの者が圧倒的強者を前にした時の凶悪な力を。
勇気を。
どこかの誰かが言ったのだろう。勇気とはあるものじゃない。培うものじゃない。挑む者へ平等に配られた、強き者を挫く剣だと。
そんなことに気づいたのは、中尼が飛び掛り、上段から斬りかかった時のことである。
隙だらけの行動。脇が甘く、とてもじゃないが大振りな攻撃は、出方を伺う相手へは悪手となりそうな技術。
しかし、問題は相手が上だということだ。対峙した者は様子見していたことも含めて、中尼の攻撃が自分に当たらないことを確信していたのだ。
四季夢の半歩先を掠め、こればかりは間合いを把握できなかったと叱咤されそうなものであった。
しかし、問題はその後だ。
この後のことである。
もちろん、そんな間合いを見誤った攻撃などは四季夢にとっては躱す必要がないもので、その後の行動を警戒するわけだが、その後も前後さえ攻撃と呼べるかあやふたな状態になったわけだ。
中尼のしたことは、地面へ叩きつける行動だ。なぜそうしたのか、なぜそうする選択肢を取ったかは、固く締まった地面と激しく衝突し体の半分ほどで、真っ二つになった木刀に理由があった。
しかし、問題はこの行動を四季夢の一撃目の判定に入るかどうかである。動けば攻撃判定に引っかかるのか、それとも四季夢へ向かって一振されれば攻撃となるのか。
しかし、答えは至極単純で。四季夢には、四季家の矜恃もあって、プライドもあって、熟練の剣士でもあるからこその驕りがある。
ゆえに、この行動は四季夢の攻撃判定にはならず、むしろ、その後の行動を一撃目と断定するべくして、構えを強化したのは言うまでもない。腰を落とし、利き手である右手を柄へと。左手は添えられるだけ木刀へ添え、居合切りの構えをする。
さて、そんな四季夢の一連の動きが、一瞬の内に繰り広げられている中。無意識にでも、脊髄反射でそう仕組まれた――プログラミングされた恐ろしい所作に反して。対して。
中尼は木刀の刃長がちょうど半分くらいになった。そんな地面と正面衝突させられ、飛び去っていきそうな切っ先が綺麗に残った上身の半分を、勢いのまま空いた手で掴む。おそらく、中尼の利き手であろう右手に取り押さえられた刀身は、無惨な断面図をよそに、切っ先が四季夢へと向かっていく。
取った手になってしまい、不完全な抜き付けになってしまったのが中尼の脳内で勝手に反省会をしていたが。
実際には、抜き付けなんか意味はどうだってよく。
もっと反省するならば、そのまま動かず、距離を置いた方が良かったほどに。
「『一刀流 子日』」
抜き付けの姿勢のまま、すれ違う中尼と四季夢。
そこにあったはずの、捉えたはずの四季夢の姿が一瞬にして消えたと思えば、中尼の背後にいた。木刀の鯉口をとん、と指で叩く。
そうすることで何が起こっているのか。何が起きているのか、中尼が理解するよりも先に。
中尼の胴体が、引き裂かれるような鋭い痛みと、筋肉が震え上がる鈍痛が響き渡り、思わず前のめりに倒れるしかない。彼の顔面はゆっくりと、小粒が敷き詰められた地面へ向かう。
このまま鼻っ柱を折って、激しい痛みに悶えるんだろうと思っていた彼の体が、ふわっと誰かに抱えられる。
「ほら、しっかり。頭を打ったら病院送りにしなきゃいけないんだ」
四季透。
今まで立会人として、成り行きを見守っていた男が、中尼の倒れゆく体を支えた。
そのことを認識していた中尼であったが、「あぁ、このまま死ぬのか」とぼそっとつぶやきながら、気を失った。
なんともはや。四季透は、意識を綺麗に失った男を抱えながら自分の頭も抱えたいとさえ思う。やりすぎたことよりも、四季夢が思いのほか力を見せつけたことよりも、自分が思っていたよりも面倒なことが続く事実に、溜息を吐き出す。
こうなってしまったのも、自分自身の回り回ったせいだと、痛感しながら。男を鍛冶場の中へと運んで行った。




