第36話「折々、込み込み」
場所を移し、鍛冶場の外。木々に囲われた砂場で、二人の男女が向かい合う。
一人は赤髪のちゃらんぽらんな男。おっかなびっくりと木刀を握っており、見た目に反した生真面目な表情で唾を飲み込んでいる。
もう一人は、木刀をわざわざ腰に差して自然体で立位を維持している四季夢。表情は無。何を考えていて、感じていて、行動原理さえも一切が分からない不気味さを出しながら、非常にリラックスしている。
二人は対象的で、相反した存在のようにも思えたどころか、力量が明確に視覚化されたような気配すら漂わせている。
まぁ、そんな中でも風は優しく吹き抜ける。
「ルールは簡単。その木刀で相手を気絶させない程度にボコボコにした方の勝ち。もしくは、負けを認めさせること。それ以外は特にない」
「…………あ、あの、これ。木刀て」
ビクビクしながら、手にした木刀と自分の体が別だと言いたげな中尼君。そこまで怯えなくてもいいと、無神経に言いそうな唇を律する。
違うな。木刀で戦うことに恐怖を感じているわけじゃない。
多分、夢を見てしまって――目の前の存在を見てしまって、鼓舞できない震えが体を支配しているのだろう。
だからといって、辞めようとするのは簡単だし、それだと中尼君に無償の優しさを施したことになる。それでは駄目だと、自分にも喝を入れる。
「打たれるのが怖いかい?」
「い、いや、そうじゃ、なくって」
「じゃあ、安心して。打撲程度の傷だったら、そこそこの時間で治るでしょ。それまで大変かもしれないけど、骨折したら治療費位は出せるだろうけど」
「そうじゃ、なくて。俺、女の子を殴るのはちょっと……」
しどろもどろになりながらでも、意見を伝えるのはいいとしよう。この際、そこまで前進したとして見限ってもいいだろう。
しかし、彼が女の子を殴ることに怯えているのもそうだが、違うことも明確に存在している。中尼君が震えているのは、決してそれが理由じゃない。
「言い訳するのかい。勝てない相手が目の前にいるからって、逃げ出したいのか。なら、逃げればいい。それも君の生き方だ。少なくとも、この学校での戦い方はそのまま愚直に逃げ道を進むことになる」
「……」
俯き、手元の木刀を眺める中尼君。
考えているのだろう。いつになったとしても、いくつだったとしても、今までもこれからも、無限に問い続けられる一つの壁だ。
言い訳して、逃げたいだけだろ、と。
誰が言ってきているわけでもない。ただ、未来か過去か分からない自分自身が、今この瞬間に言ってきている。そう錯覚して、勘違いしていいほど、恐ろしくもおぞましい壁を押し付けてくるのだ。
逃げるが勝ちという言葉もある。
しかし、この世界においては逃げること――即ち、もう帰られないことに直結する。
逃げるくらいなら、負ければいい。負けたくないなら、勝てばいい。それでも駄目なら、がむしゃらに強くなって、ぶっ飛ばしてやるしかない。負けた相手にも、負けた自分にも、鉄砲を食らわせるしかない。
ここはそういう世界。そう、いつだって非情になれるだけの、力の世界なんだ。
それが理解できたのか、それとも、負ける勇気も覚悟も決まったのか、止まった震えで中尼君は前を見据える。
「…………やる。とりあえず、やってみる」
「……いい心掛けだ。じゃあ、夢、最初は様子見して、後は流れで、ね」
「兄様はいつも勝手に決まられる。妹を困らせて楽しいのですか」
「準備運動もなしに打ち合いを頼んだのは悪かったよ。でも、さ。入学試験以来の斬り合いなんだろ? たまには振っておかないと錆びるぞ」
「兄様の脳みその方が油が必要ではなくて? 生憎、毎日欠かさず、鍛錬はこなしています。対人戦も、叶ちゃんとしていますし」
こちらへ視線の剣を突きつける夢。だが、その瞳にはこの状況になったことよりも――兄が身勝手気ままに試合を取り決めたことよりも、「この人の心を折ってしまうのは、兄様の役目でしょう」と中尼君を心配する感情が揺れ動いていた。
その気持ちを受け取って兄は嬉しい限りだよ。四季夢。双子の妹にして、物静かでお淑やかな激情を備えた女の子が、弱者を思いやる。
これは素晴らしい成長だと、俺は感慨深いものがある。しかし、弱者だと思っているのは――決めつけるのは、まだ早計だと言わざるを得ない。
まぁ、言っていないけど。
それでも、諦めず即座に俺の元へ来た中尼君が、多少の怯えは見せても、立ち向かう覚悟を示したのならば。
「じゃあ、やってくれるね。問題はないようだ、二人とも構えたら、好きなタイミングで始めてくれ」
それだけで、強くなる。
いや、既に弟子かどうかの話をする時よりも先へ進んでいる。そこへ価値を見出すのが、教える者としての役目だろう。
…………………………なんで俺、教えること前提で考えてるの?