第31話「鍛錬」
かつての開祖――四季家の源流。つまりは、四季家で一番名を馳せた、鍛冶師は鍛冶師でありながら鬼退治までしていた猛者であった。というか、鍛冶師の癖して力勝負には負けなかったらしい。生涯無敗。唯一、負けたとすれば寿命に負けたくらい、人生においての勝敗はとてつもない数字になるほどの人物であった。
ゆえに、彼は危惧した。
ゆえに、彼は理解していた。
ゆえに、彼は自身の打った刀の価値を正しく理解していた。
異形さえも斬る。異物であっても斬る。人であろうと、妖怪であろうと、無機物だろうと有機物だろうと、海だろうと水だろうと、風だろうと。邪気だって斬るほどの刀だったらしい。
その一本があれば、路頭に迷うことはない。そんな曰く付き。天下統一に使用されたとも言われているし。平安の世を安寧に貢献したともされている。
あくまでも聞いた話で、残った書物にも小さく偉業が書かれているのみで、史実かどうかは判断もつかない。
だとしても、平安時代から安土桃山時代や江戸時代まで生きていたとすれば、妖怪は開祖になってしまう。だから、判断もつかない。
ただ、正しい情報があるとすれば開祖の打った刀はなんでも斬れた。
なんでも、かんでも。
ありとあらゆる有象無象を斬れた。
そんな刀があってしまっては、世の中は等しく刀に怯え、刀に救われる世界になってしまう。良くも悪くも、刀の所持の有無で優劣がはっきりと分かれてしまう。分かれて、分かたれてしまう。
妖怪を討伐するためが、人々の鎮圧に使われ、殺傷に関わるとあってしまっては使った意味がない。
だからこそ、開祖は鬼退治が済めば――鬼を殲滅してしまえば、自身の打った刀を軒並み。全部、一切合切を壊したそうだ。
鞘も木っ端微塵にして、刀かどうかの原形も無くして、粉砕したのだ。刀があったことも。
故に、ゆえに。
残った記述とやらも、四季家に置かれた寂れた紙切れ程度で、製作法なんてない。開祖がしでかしかけたことの後始末をしたのだから、書物なんざ残すわけもないだろうに。それでも、躍起になって探されて見つかったのが、紙切れ程度のもの。
そうでもしなければ、今現在にでも恐ろしい結果になっていとすれば、先祖の考えも分からなくもない。
ただ、そのせいで今を生きる子孫が追い詰められていることだけは考えていて欲しかったものだ。
別に、遺産は残していても残さなくても良かったけど、せめて金目のものは置いていて欲しかった。
適当に地位が上昇してしまって、周りの目だけがやたらと肥えていって、無用な期待を抱かれて、勝手に名声が地に落ちるんだから。それもこれも、刀の時代が来てしまったからだろう。
やれ先祖が刀をぶち壊して後の世に禍根を残さないようにしていても、結局この時代じゃ意味もないんだから恐ろしい。だったら製作法は残しても良かったんじゃないかと思うけど、既に一振、作ることができたし良しとしよう。
この時代には、この時代のやり方でいくべきだ。
開祖が嫌だと思っても、四季家のため、妹達のためなら俺は鬼にだってなってやる。
嫌だったら、化けて出てこい。
そう思いながら、木刀を振る。
込み上げてくる胃袋の内容物を抑え込みながら、上に打ち上がっている月を斬る。
斬れもしないけど。
上から振り下ろす。
かつての、介錯の仕方みたいに。
砂浜に敷き詰められた琥珀糖みたいな粒へ、足を踏み込ませ、しっかりと構え。精神を統一させ、振り抜く。
この一連の動作をただただ繰り返す。
吐き気を抑えながら。
繰り返す。
ひたすらひたすら。
耳に届く、波打ちの音色に癒されながら。