第30話「イメージと形」
鍛冶場を包む、冷たくも温かな空気。これはおおよそ、構造上仕方ないとも言える。冬場はとてつもない寒さになるし、火を起こさなければ凍え死んでもしょうがない現場になる。
そんな鍛冶場の古ぼけた扉を開け、そのまままっすぐ休憩するためのスペースへ荷物を下ろす。畳が敷き詰められ、ちゃぶ台まで完備。座布団もくたくたの綿が一切詰まっていないと思うほどの年季を感じるものになっている。それだけ、この場所が昔からあるということ。そして、今まで誰も使ってこなかったことの証明でもある。
それもそうだろう。興味本位に刀を打つために使った痕跡はあったけど、ここで本腰を入れて打ち続けようと思わなかったのだろう。そういった人が多かったと、先生からは聞いた。
その通りでもある。というか、それが筋だろう。なにせ、今の主流は半自動作業だ。機械化された鍛冶技術によって、面倒くさい鍛錬の作業をしなくてもよくなったのだ。それが主流だし、成分の調整だってほぼ機械がやってくれる。せいぜい、鍛冶師のすることは材料の調達に成分の調合具合を決めることや鞘の色くらいなものだ。
……それの何が鍛冶師だと怒られそうだけど、半自動作業と言った理由が、例え機械化されていても満足いくものができるとは限らないのだ。
あくまでデータとして成分の量は残っているだけだし、算出されるものもあくまでのデータでしかない。実際に打たれたものを振ってみれば何も斬れないなんてざらだ。面白いくらい鈍しかできない。
機械化されていながら、機械化に順応できていないのだ。皮肉なことに。
だから、鍛冶師のすることは調整以外にも、恐ろしい時間を掛けての試行回数を増やすことになっているのだ。それこそ、一番最初に刀を打った人のように。
なにより、デジタル社会の現代において、データを残すことの方が意味もあると言われる世の中だ。こういった試行回数の作業でも、貴重だと諭しているのかもしれないけど。
ゆえに、俺の行っている全作業を人の手で行うことに興味を持つ生徒もいる。そして、この場所を使って理解するのだ。
『機械化された方が楽だと』
だから、この鍛冶場に居座る人はいないから、座布団の座り心地は最悪だし、いざ使おうとしたら全く使い物にならない物ばかりで一年間はほぼ何も出来なかった。
掃除に、整備ばかりしていた気がする。
せっかく出した小槌なんて柄が腐っていた。先端の鋼材がポロッと落ちて、地面にズシンと響いた時には思わず血の気が引いた。
樫の木を使っている鍛冶場に置いてある一般的なものが、腐っていたことにも。落ちた鋼材が俺の足のすぐそばだったことも含めて、恐怖を覚えた。
幸いにも、火床は綺麗なままだったから良かった。これが死んでいたら、作り直さなきゃいけなかったから、そうなるとデビュー戦はもっと遅れていた。
「さて、構想は練ってるしどうにかなるかな」
なんとなく、頭に思い描いた刀をふよふよと漂わせながら、火床の前に置かれた椅子へと向かう。まだまだ、春も最初。四月になったばかりで寒い。特に底冷えするような場所だ。火だけでもつけよう。
そう思い、火をつけようとした瞬間。
思い出した。
「……そういえば、昨日材料が来るはずだったよな……」
受け取った覚えがない。何をと問われれば、刀鍛冶にとっての命である神鋼のことだ。数日前に発注して、納品されるのが昨日だったはず。しかし、鍛冶場にいても配達がなかった。先生からの呼び出しだって無かった。
受け取るために鍛冶場であれやこれやしていたはずだったのに、それもなかった。しかも、それを違和感に思わなかったのもおかしい。
置き配じゃないしな……。
「まぁ、よくあることか」
「――はい、よくあることですます。どこかの『鬼族』が荷物を代わりに預かることなんてよくあることですます。くひひ」
唐突に、頭上から若々しいけど、大人しいような声が掛かってくる。天井裏にでもいやがるのか。いや、天井裏なんてない。だとしたら、上から声が聞こえるのは錯覚なのかもしれない。だとしても、なんで荷物なんて取るんだろうか。面倒くさい真似をしやがって。しかし、そんな面倒なことをわざわざするような、おおよそ人並み以上の行動をするのは、誰かは特定できなくても、どんな組織かは判別できた。
「誰ですかね。泥棒なら容赦しませんけど」
「おや、おやおやおやおや。穏やかじゃないですます。いやはや、くひひ……ちょっとお話がしたいだけですます」
「……まぁ、返してくれるなら殴るだけで済ませますです」
「おや、真似されるのは滑稽ですます」
どっちがだよ。てか、真似じゃない、馬鹿にしただけなのになんとも響いていない様子だ。初対面にも関わらずどれだけの肝っ玉なんだか。これだから陰湿な奴は苦手だ。未だに声の主がどこにいるのか、探しても判明しないし。
「探しても無駄ですます。くひひ、ここまで黙せるとなれば滑稽を通り越して可哀想ですます。『鬼族』は話をしたと言ったはずですます」
「だったら、お茶でも出してあげよう。その方が有意義な話ができるだろ」
「お気持ちだけで充分ですます。その殴ってやるというお気持ちだけで、ね」
見透かしやがって、気に入らない。これだから、よく分からない『鬼族』は嫌いで仕方ない。ただ、本当に話をしたいがためなんだろう。普通に持ち掛けてしまっては、絶対に引き受けない提案だからこそ、俺の頼んだ神鋼を奪い取ってまで――脅しの材料にするほどのことなんだろう。やり方が汚い。気色悪い。それこそ、こちらの血の気とは毛色が違うからこそ、相容れぬ。毛色も、気色も違う。だから、気色悪い。
その姿かたちなんてよく分からない存在に、いちいち腹を立てること自体不毛だろうけど、よく分からない存在がよく分からないのは自身の知識が足りないから、余計に苛立つわけだ。特に、『鬼族』の誰かは分かるけど――『陸』か『捌』のどれか。かといって、交流を持ったのはこれが初めてだ。
存在しない屋根裏との交流は。顔を合わせない交流とやらは。
「で、なんのために仕事道具を奪いやがった。事と次第によっては殺すぞ」
「おや。直接的な脅し文句は久方振りに聞いたですます。怖い怖い、鬼の殺すは一番怖いと、先先先先先先々代から教えられてるのですます。脅しに屈するな、とですます」
「そうか、なら事実には屈するわけか」
「はい、武力にはめっぽう弱いのですます。滅法するほどにですます」
それは使い方がおかしい――と言いたかったが、おそらくこいつ、法が滅ぶ方で言ったんだろうな。法を殺すのは人であり、その方法は圧倒的な暴力と暴圧だ。
……だとしても、しょうもない言い方だろうに。
「では、何故『四季家』の神鋼を取ったか。何故、新しい刀――恐らく『防刀』を作刀するのを邪魔したのかについて、説明しますですます」
こいつ、俺が次に打つ刀まで知っているのか……とは思ったけど、大して驚かなかったのは、思い出したから。そういえば、開祖の残した刀の名前だけは、『鬼族』は知っているんだっけか。というか、それしか情報共有できるものがなかった。
四季家の蔵を埃ひとつ残さないほど、丹念に入念に、探されて見つかったのがそれだけ。ゆえに、四季家が所持していたその目録は『鬼族』へ伝わり、どの家よりも早くその刀を作る――再現することが、ある意味争いの火種になった。
そうすれば、かつて天下統一を可能にし、鬼といった人外を斬ることができる唯一無二を手にすることができる。
刀道が発展した現代において、刀の価値は持っているだけで付与され、それがかつての大乱をおさめたものと同じと言えば、箔が付く。金箔がつく。文字通りの金の箔が付く。
だから、『鬼族』は躍起になっているし、今回の件――模擬戦のこともあって、慌ただしいことになっているのは知っていたけど、隠密集団まで動かすとは思っていなかったぞ。忍べよ。
「簡単に言うとですます。作るのを後回しにして欲しいですます」
「お断りだな」
「そう言うと思っていたですます」
けたけた、とどこからともなく笑い声が聞こえる。もしくは、ネズミの足音みたいな小賢しい反応だ。
見上げても煤で真っ黒になった天井だけで、どこから音がしているのか分からない。上を見れば下から。右上を見れば、左上から音がする。そんな瞬間移動しているわけでもないのに、不思議なことだ。
刺してやりたいのに、適当に剣を突き立てるわけにもいかない。天井を穴だらけにしてしまっては、先生から出入り禁止の札を掛けられてしまう。それは一番困る。
「どうして、俺達がお前みたいなよく分からない連中の願いを叶えなきゃいけない道理がある」
「道理……? 四季家に金銭援助を行っている家がどこか知っているですます?」
「確か『壱鬼』だっただろ」
「その『壱鬼』に金銭援助をしているところがどこか、知っていますですます?」
「知らねえよ」
まただ。天井裏から、けたけたと気持ち悪い笑い声が聞こえてくる。どうしてこうも裏の組織とやらは回りくどいんだろうか。
……と、思って苛立ちを隠せなくなったら相手の思う壷なんだろうな。そういえば、思う壷の語源とやらもサイコロ賭博の壷振る人が、思った通りの目を出すことらしい。だったら、俺は思った通りの目を出してやるもんか。相手が博打を見てきた熟練の人であるなら、こちらは気に入らない目が出たら暴れる博打師であるべきだ。
「知らないのですます。では、教えるとですます。『陸鬼』と『漆鬼』、『捌鬼』の『鬼族』が支援しているのですます」
「そうか。で、それがどうしたんだ。間接的に私達も援助していることになるんだから、言うことを聞けと言いたいなら、奪い取ったものを返してくれたら聞いてやる気にならんでもないぞ」
「…………これだから、野蛮な鬼は」
「呆れるくらいなら、今度からしない方がいいぞ。鬼は思ったよりも粘着質で、陰湿だ」
「なんだ、やっぱり鬼ですます」
そんなわけがないだろ。鬼だったら、そもそもお前たちみたいな裏側の人間が近づくわけがないだろ。そう突っ込んでしまいたかったが、どうせ押し問答だ。
どうせ、意味が無い。こいつらがどんなやつかは知らないけど、未だに姿を見せないのだから少なくとも危険な状況には落ちたくないのだ。屋根裏からでも。陥りたくないのだ。
そんな奴に、出てこいと言うことだって無駄だし、相手が鬼だと分かっていたら接触するわけもない。大きなリスクを払うだけの対価がない。
だから、彼らか彼女らがここにいるのは、大きなリスクか小さなリスクを払ってでもお釣りがあるくらいのものを要求したいわけだ。
「ちなみにお前はどこの『鬼』なんだ?」
「素直に言う道理はないのですます」
「お礼を言ってあげたかったんだが。それか刀を一振、譲ってやってもいいと思ったんだが、残念だな」
ガタガタ、と無いはずの屋根裏から物音がする。なるほど、ネズミでもなければ不法侵入者は俺の頭上にいるらしい。
「そんな魅力的なお誘い、またの今度にしてもらいたいのですます」
「さぁ? その時に覚えている自信はないし、これから忙しいしな。名前が分かれば納品書にでも書いて忘れないようにするんだがな。残念だよ、口頭の取引は控えるべきだと教わらなかったか?」
「…………まぁ、机上の空論ですます。かつての天下をおさめ、鬼すらも蹂躙した刀を作れるかなんて、夢の中の物語ですます」
それもそうか。鬼がいるなんて夢の話だ。そもそも、天下統一自体の概念さえ曖昧な現代においては――よく知りもしない人間からしてみれば、机上の空論どころか夢物語だな。
ただ、頭上で物音を立てた――それを動揺と決めつけるなら、彼らか彼女らでも理解しているんだろう。
夢が現実になること。
現実が一番、現実味がないことを。
「では、四季透は『防刀』の作成を辞めないと。期限を伸ばすこともしないと。それでいいですます?」
「そう言っているだろ」
「分かりましたですます。その答えが聞けただけでも、充分な成果と致しですます」
おい、もう終わらせるつもりかよ。
なんの利益があったかなんて聞くより、一番大事な物が返ってきていない。そう思って、思わずそこら辺に立て掛けてあった贋作の一振を手にしようと動いた瞬間――恐らく、あいつはそんな動きをとることは読めていたのだろう。
癪だけど。
癇癪を起こしそうだけど。
「神鋼は四季透がよく休んでいる畳の上へ置いてあるですます。そんな短絡的な行動で、自分を苦しめるのは控えるように教えてもらいませんですます?」
「……」
無言の上、頭上を睨みつける。
今なら、吐きそうな思いをしてまで刀を手にしてしまってもいいかもしれない。
いや、四季家の呪いのことなんざ、大体の人が知っている。それこそ、刀道に詳しくない人だって聞いたことはある。そのくらいポピュラーで、呪いが人を苦しめているのを遠巻きに眺めても問題ないくらい、浸透してしまっているのだから、いまさら気にしたところで意味は無い。
ただ、意味は無いことと。腹立たしいことは別だ。
別腹というやつだ。
「ご武運を、鬼にならぬことを祈っておりですます」
そう言って、天井裏――屋根裏、の点在していた気配が消え去る。
逃げ足だけは早い。しかも、どこの人間かも教えていない。それどころか、俺が聞いた声も口調も口癖も、恐らく仮のものだろう。そこまで徹底されていると思っていい。そこまで、完徹されていてもいい。完璧な徹底をされていてもいい。石橋を叩いて渡るどころか、石橋を新しく作って渡るどころか、石橋だと頑丈さや耐久年数に問題があるからいっそのところ橋が必要ない環境にしてしまった方がいいと、海か川を干ばつさせるような奴だ。
つまりは、ここでの接触は存在の証明だけでないのだ。神鋼を取ったこともそうだ。
遠回しに、技術や物自体が盗まれる可能性を示唆してくれたのだろう。
事後処理をするよりも先に、俺自身で対処できるように予防線を張っていて欲しいがために。回りくどいけども、そんなやり方を提示したのだろう。盗まれる方法とやらを。
そして、新しく『防刀』を作らないように忠告したのも、そういった意味があるはず。
勝気な連中が多い月見高校だからこそ、勝ちに執着する奴がいるということも。俺が新しく刀を作ることを危惧する連中がいることも。前もって、俺が出場できないように刀を使い物にならないようにする連中がいることも。
前もって教えてくれたんだろう。
多分ね。
そう思っている方が都合もいい。
ただ、まぁ、面倒くさいし、作ることに変わりない。そう思って、言われた通りに畳の方へ行くと、仰々しいアタッシュケースが置かれており、開けば鈍い輝きを放つ神鋼が、三つ。しっかりとあった。
ちゃんと、あった。




