第3話「砂浜」
学生寮を飛び出し、まずは海岸までゆっくり歩く。
朝の空気の澄み切った感じが、とても好きだ。
いつも吸っている灰や燃えた鉄の匂いとは違う海岸独特の匂い。
それを大きく肺に取り込む。
冷たい空気に縮みそうだが、温めていけば問題ないだろう。
学生寮を出て、そのまま大きな通りの坂を下った先。
昇っていく朝日を拝みながら、コンクリートの道を歩く。踏めば踏むほど反発する硬い石炭のような道。
歩道を白線で区切られた狭い幅を進む。
昔は、この白線から落ちたらワニの餌とかやってたな。
それで、無理やり友達にぶつかって落としたり、後ろからわざと靴を踏んだりすることもしたな。
途中で、ジャンプしても届かない距離になって困ったこともあった。
今なら余裕だろうが、そんな数年前の断片的な記憶が呼び起こされる。
そう思うと、いつの間にか白い線の上を歩いていた。
落ちないように気をつけ、バランス取りつつ目当ての場所まで歩を進める。
それを堤防沿いまで続け、名残惜しい気持ちを抱きながら砂浜までの階段を降りる。
仕方ない。目的はランニングであって、白線渡りではない。
……今度、妹達とやってもいいかもしれない。
いい鍛錬になるだろう。
いや、どうだろう……。長女は喜んでやるだろう。次女も文句と冷めた目で見ながらやるだろう。
しかし、三女は絶対、鍛錬なんかしないだろう。
「あの子、汗かくの苦手だからな……」
悲嘆のこもった言葉が吐き出されながら、砂浜へ降り立つ。
踏みしめた砂は足を捉えて、歩くだけで少し力が必要だった。
朝焼けの水平線。きらめく海面の輝きと、空の色を描きだす色彩は綺麗だと、訪れる度に思う。
打ち付ける波は静かに潮の香りを運び、打ち寄せる音は安心感さえ覚える。
海藻類が打ち上がって見栄えはお察しだったが。
これから何をするかと言うと、砂浜ランニングだ。
毎日している事でこの砂浜海岸という場所は、体力作りや走り込みには最適なのだ。
この足を捉える砂を走る。必要以上に力を使い、スタミナも消費する代わりに、砂がクッションの役目を担って足への負担が少ない。
足首や膝の弱い人には、コンクリートで走るよりもいいくらいに砂浜ランニングはいいものだ。
そうと決まれば、さっそく利き足の右足へ力を込める。
イメージは、一歩でも遠く早く先へ。接地面積の少ないつま先を意識して、ランニングを始めた。
少しずつ日が昇る。
それを横目に走るのは、非常に気持ちよかった。
波の音をBGMに砂浜の端から端までを走り続ける。
いつも繰り返している事なので、頭の中では考える余裕が生まれている。
まずは、妹の事。
俺には、三人の妹がいる。
双子と養子の一つ年の離れた子達。
それだけで複雑だと予想できる程には、個性の尖った妹ではある。
その三人の妹が、新入生として俺の通っている月見高校にやって来る。
と言っても、三人とも学生寮にいるので、既に荷解きを済ませ学生寮にいるわけだが。
そんな三人の特徴を端的に表現するなら。
長女は活気。
次女は冷静。
三女は二人の中間。
大雑把に分けるとそうでもない、と思うが、個性の強い部分は剣術に現れている。
そんな妹に対して、俺自身は平々凡々と刀を打つ鍛冶師なわけだが。
後になれば、それ以外の道なんていくらでもあった。
剣士じゃなくても、鍛冶師じゃなくても、一般企業で働く可能性だってあったのだ。
しかし、それを選ぶ考えはない。今この現状であっても、名家でなくなった今でも、正社員で社会の歯車になることは考えられなかった。
だから、四季家を代々苦しめる鬼の呪いを一身に受けた俺には、鍛冶師の道しか無かったわけだ。
だが、今はもう刀を握れる。
振ることもできる。
それと妹達さえいれば、それで充分だった。
例え、分家の中でも底辺だと罵倒されようとも。落ちぶれだと面と向かって非難されようとも。
妹という存在が、俺を守ってくれた。
だから、長男として守らなければいけない。
あの子たちはか弱いのだ。
そんな思いを抱えた今日のランニングは、比較的息が上がってしまうものとなった。
それは、妹達を待ち侘l侘びる気持ちの表れか、それとも焦りからか。
今は分からない。