第25話「参加表明後の剣士」
参加表明を提出――もとい、参加する上で必要になる書類の確認と名前の記入が済んでから、俺はあまたの生徒に引っ張りだこ――とはならない。
というよりも、腫れ物扱いに近かった。無理もない。むべかるかな。あの九鬼家をくだし、更には良くも分からない剣術で対抗したかと思えば、その剣術とやらは九鬼流に瓜二つ。そして、その使用者が鬼のように真っ赤に染まっていたとすれば、噂が確信に変わってもいい。
四季家が、なぜ名家として居座っていたのか。もしくは、除外されなかったか。それは、刀剣技術――作刀において、無類の才能を溢れさせていたわけでもなく、たった一つ。限りなく霞に近いような、霧をも、雲をも掴むようなありえない程度の噂。
四季家は鬼の一族である。
そう流され、界隈に浸透していき、固定観念として概念として、四季家の看板を染め上げるのなんて簡単な話だった。だから、廊下をすれ違う人もいつもより遠のいているし、俺を確認するなり慌てて距離をとる。
遠巻きに眺める奴もいれば、憎らしく睨んでくる人もいる。唯一、教師陣だけはいつも通りだったけど、それは刀道界においての教育に、大した誤差もないと一定の見解があるからだろう。生徒の権力、名家かどうかの差なんて教育において一番関係なく、教師陣が伝えることは『人を傷つける可能性があること』『他者がいることで成立していること』『コミュニケーションを培うためなら、多少のいざこざに関して教師陣は第三者的視点で立ち会う』というもの。
基本的に介入してくるとすれば、事前であって事後になることはほとんどない。
そして、今回のことに関して言えば、先生達がしてきたことというのも堅実なものだ。事情聴取とも言うし、情報収集とも言う。そして、再確認でもある。
さっきの大会参加の紙を提出する時に、ついで感覚で聞かれた。「鬼の一族なのか?」と、単純な明快なもので。その時対応してくれた先生以外は、自分の仕事を片付けるのに必死だったようで見向きどころか聞き耳を立てている人だっていない。
だから、はっきりと言ってしまったわけだし、別段隠すようなことでもないから、自信満々に、快活なほどに言い切ってしまったわけだ。
「見方によっては、そう見えるかもしれませんね」
と、隠すようなことはないと言い切っておきながら、曖昧な返事になってしまったことは自分の心の中で謝罪するとして。実際、鬼かどうかの確認が先生達にできるのかと言えば、ありとあらゆる最新機器で精密検査をしたところで、不明になるだけ。というより、そもそも鬼がどういったものかのデータが存在していないのだから、断定できないし推測さえ不明瞭な結果を生み出してしまうわけ。
だから、曖昧な返事が正しい言葉になるなんて珍しい事象になってしまったが、聞いてきた先生への返答としてはそれだけで充分だったらしい。
その後先生は受け取った書類のチェック漏れがないか確認して「じゃあ、確かに預かった。もし何かあれば呼び出すので、しっかり来るように」と念押してくれるだけで済んだ。
都合のいいというか。教師陣――そもそも、月見高校の存在自体が『刀道の名門校』としての泊をつけている時点で、生徒への過剰ともとれる関係値の構築とやらは、控えているらしい。というか、そうでもしなければ、間違いを犯す教師がその日の夕方のニュースに登場することにもなるからこそ、一貫しているんだろう。
だから、都合のいい。
俺にとっては、都合がいい。
別に他の生徒に距離を置かれようとも気にしていないし、『四季』という名前の時点で白い目で見られていたのは前からだ。腫れ物扱いされようが、昔からの変わらない反応に、面白みなんてないし、気にするだけ無駄というもの。それだけのこと。
ただ、まぁ、なんというか。
ここまでを終えて思うことは『家のことを守るなんて面倒すぎるし、家同士のいざこざが死ぬほど面倒くさい』というものだ。
例えばの話。九鬼道寛がSNSでなにやら言いふらしていたことというのも、大したものじゃないはずだった。まぁ、当人同士から見れば大したことがないと判断したものを、第三者が面白おかしく、それこそライターで元々燃えていなかったものを燃やすなんて、よくある話だ。
今回もそれで。四季家が鬼の一族。もしくは、鬼に呪われた一族だということが露呈して。露見して、ご丁寧にその時の試合の映像がそのまま使われてしまったわけで。
俺の体が真っ赤になった――異常なほど紅に染まった体を抜き取って、投稿されてからすぐさまバズったらしい。「鬼じゃん」「え、これが四季家なん」「四季て鬼の一族なん? 呪われた一族じゃないのか?」
みたいな反応があった中、道寛が追い討ちをかけるように、投稿した内容は。
『俺の婚約者も四季家の養子だったが、四季家の毒牙にかかり、助けることができなかった。今は婚約自体破棄されて、九鬼の信用は四季によって落とされたもんだ』
といったもの。
まぁ、注目されていない段階だったらただの愚痴で済まされたはず。もしくは、ある程度の擁護があって終わるはずのものが。俺の鬼みたいな姿の後に投稿されたものだから、四季家には鬼しかいないと印象づけられてしまった。
だから、生徒にも浸透していったんだろう。
今どき、SNSに触っていない人の方が少ないし、むしろ、触っておく方が時間つぶしや暇つぶしに最適だ。そんな学校の生徒が、いち早く投稿を目にすることだってできるし、間近で見ている人から聞いてしまえば信ぴょう性は増し増し。
そうやって、俺の噂は――四季家の噂は広まったし。九鬼家が申し訳ない程度の「四季家へ、この悪評を払拭したい。もしくは鬼であることを否定したいのなら、刀道の大会で証明してみろ。落ちぶれた家がこれ以上、潰れないためにも、再び九鬼道寛と戦え」と、なんだかよく分からない果たし状みたいなのも、SNSに投稿してしまったものだから、逃げ道なんてなかった。
そもそも、逃げるつもりなんてなかったけど。こればかりは仕方ない。仕方ないし、しょうがないのさ。
なにせ、四季家自体落ちぶれている。それなのに、鬼に力を貸してもらった――もしくは、借りて九鬼家を倒したとあれば、人外だとしてなんらかの処分を食らうだろう。良くもわからない存在を人間そのものは嫌う。毛嫌い、食わず嫌いする。
だから、刀道の試合中に――それこそテレビ中継される中でも鬼でないことを証明して、四季家の実力だと証明しろ。
九鬼家が提示したのはそういうことなんだ。
…………うん、ツンデレだと思いたくないし、もっと言えばこじれに拗らせた果たし状だけども、男が送ってきているとあれば、意味合いが変わってくる。
まぁ、そういうことなわけだ。
九鬼家だろうと、刀での戦いを求める剣士なわけだ。所業は腐っていても、性根は闘志剥き出しなだけだ。
昔の言葉で、それこそ今の自分自身の状況でさえも、あまり宜しくない状態であっても、そう表現して形容して言い換えた方がいいくらいな人間しかいないのだ。
それが、名家と一般人との違いだと言い切ってもいい。言い斬ってもいい。ばっさりと。
普通の生徒を剣士――剣術を扱う者とするならば。
俺達は武力を扱う者――武士とするべきなんだろう。




