第145話「兄のプライド」
雑木林を進めば左右に別れる道が出てくる。
右手へ行けば鍛冶場に向かう道となり、左手は遠回りに校門まで続く道になっている。
俺と桜坂さんは右へ進路を変え、しばらく突き進む。
昇ってきた太陽は次第に熱を帯びてきて、額にうっすらと不快感を残してくる。
最近の温暖化の影響か、五月は夏場の気温をさらけ出してくる。昔はもっと涼しかったらしい。むしろ、寒かったらしい。
今では直射日光をどれだけ避けて、水分と塩分補給をどれだけ意識できるかの毎日となっていて、木々の天井の下でも変わることは無い。
滴る汗を拭くこともなく、背中と脇に湿った気配を感じていると鍛冶場が見えてきて、やがて扉の前まで到着する。
「やっぱさ、日傘とか許可するべきじゃないかな。木陰でこんなに暑いのに」
「いい案ですね、生徒会の投書箱に出してみては?」
「出しても意味がなかったから愚痴垂れてるんだって……」
諦めの混じった溜め息が聞こえてくる。
やはり、女性にとって日差しは天敵なんだろうか。とは思うが、今となっては男女関係なく天の敵である。
天晴なんて言えない。曇りであればいい。そのくらい日焼けによる体力減少や熱中症の危険や、脳みそが茹でられた状態になることを避けられるのなら日傘だろうとなんだろうと賛成するべきだ。採用するべきだ。
それをしない生徒会には愚痴と不満が爆発しそうなのは理解できる。かといって、改革を起こせるだけの帝王ではないので、黙って従うしかないのだ。
ただ、そろそろ黙っていない奴らが動き出しそうな気がするのは、気のせいじゃないのかもしれない。
「あ、桜坂さん」
「なーに?」
「今日鍛冶場に九鬼が来ます。言うの忘れていましたけど」
そう言うと、桜坂さんからの「聞いてないけど!?」の悲鳴は無情に右から左へ流して、扉を開く。
そして、開いた先には件の人物が机に突っ伏していた。こちらに頭頂部を見せつけ、屈強な肉体を制服に押し込んだ男――九鬼道寛が。
「遅い」
「すまん」
短い不満は俺達を睨みつける。
鍵があいていたから、いるのは分かっていたが、そんなに遅かっただろうか。
「……そっちのは?」
未だうつろうつろした九鬼は、隣でびっくり固まった桜坂さんを話題に指定する。
だからだろう。眠そうな九鬼の声が恐ろしく不機嫌に聞こえたのか、桜坂さんは今にも泣きだそうなほど涙目になる。
「あ、あの、桜坂です……」
「ん、あー、透さんの対戦相手だった人か」
ここでようやく調子が乗り始めたのか、味わっていた怠惰から体を引き剥がす九鬼。大きく伸びをし、これまた顎が外れそうなほど欠伸もする。
寝ていないのだろうか。
「すみません。徹夜をしていたもので、不快にさせてしまったら申し訳ないです。ごめんなさいね」
「……い、いえ」
桜坂さんへ穏やかな笑みを浮かべる九鬼。
え、なにその紳士的で天使みたいな笑顔。見たことない。てか、そういう奴だったのかよお前。
びっくりだ。
「んだよ、びっくりしやがって」
「そりゃ驚くだろ。美少年かよ」
「俺は美少年だろ」
なんだこいつの自信。自己肯定感凄いな。いや、偽りなんかないし、俺も美少年だと見ていて思うから余計に腹が立つ。ふざけろ。
そんな小さな――タンスの角に小指をぶつけてくれないかと不幸を願っていながら、机に座る。見習って、桜坂さんも適当な場所に座る。決して離れすぎていなくて、かといって近すぎない席に。
着席を確認した九鬼は、懐から一本の缶を取り出す。
いや、制服の内側にポケットなんかなかっただろ。どうやって入れていたんだよ。直か?
「お前、手品師か?」
「あ? なんだ急に」
「いや、別に……」
なんのことか分からない様子の九鬼に口を閉ざす。
ネタばらしも種明かしも必要ないくらいの当たり前らしい。
いや、どうやってるんだって。
少し教えてくれないかと思っていると、プルタブを上げて押し、中身をぐびっと飲む九鬼。味わうこともせず、ただの水分補給で済ませるとこちらへすぐに目を合わせてくる。
「そういえば日記は?」
「あ、夢が持ってる」
「ふむ。なら触りだけでも話しておくか。具体的なものは現物があった方がいいだろ。実際に文字を見ながらの方が理解できるだろうし」
「いや、難しいこと言うな」
あの日記を解読できるだけでも凄いとは思うが、自分がそれを読み解けるかなんて自信はない。というか、ある程度の話を聞いて、文字を百面相で眺めても一切読み取れなかった。ひらがなも、片仮名も、漢字も、判別できないのだ。
それを教えてもらいながら文字が解読できるかなんてできない自信しかない。
「直系の子孫でも難しいのか。……それ、継承物として終わってないか?」
「知らないって。そういう人だったんだろ」
理解できないことを顔で物語っても困る。確かに継承させるための物としては良くないかもしれない。
だが、そんな未来の話など想像できたとて現時点で対応できるかなんて土台無理な話だ。今から数年、数百年、数千年、果ては終末にどんな文字が使われていて、どんな表現方法が主流で、どんな感情があって、どんな情勢で状態で、文化的交流や芸術の継承がどれほど進んでいるのかなんて読めるわけがない。
そこまで未来を見通すことができるわけもない。
だから、執筆者は託すことにしたのだろう。
継いでくれることよりも、繋いでくれることに。
未来の俺達を信じて、書き残したのかもしれない。
「そもそも、日記だったんだから継承目的じゃなかったんだろ。そのうち、俺達の誰かが気づいて、俺達の誰かが想いを繋いで、俺達の誰かが悲願を果たすことを信じて残しただけだろ」
「そういうことにしておこうか」
九鬼は特別感情の必要がないほど、抑揚もなくつぶやく。そういう熱血漢ではないのか。意外だ。
そう思っていると、九鬼の顔つきが一層疑いを帯びたものになった。
「……だったら、お前も解読できるようになっていた方がいいだろ」
「……いやー、俺忘れっぽいからさー」
くそ、気づきやがった。
それとはなく遠ざけるつもりが、カンの鋭い奴め。
「そう睨むな。無理強いはしない。あくまで俺の考えを言ってみただけだからな」
「そうか、なら――」
「――でもな」
含みのある言い方で遮ってきた。
更には、なんだか目尻をやたらと下げてきて、ニヤついてくる。
なんだ、相変わらず嫌な奴。そして、嫌な予感。
退散しようにもここが俺の拠点でもあるわけで、逃げ場なんてない。目の前の意味深な野郎の思惑通りに進んでいるのだと、この時ようやく気づくことができた。
「妹ができて、お兄ちゃんができないなんてのは、かっこ悪いと思うぞ?」
「……………………………………どうやったら、解読できるんだよ」
あぁ……心底憎たらしい。
だから嫌いなんだ。
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