第140話「約束」
食堂での話し合いはおばちゃんからの「そろそろ消灯時間だから帰りな」の一言で終了となった。
といっても、未練がましい様子の九鬼はすんなり聞き入れるわけもなく、解散することに雰囲気が決まった瞬間「明日、鍛冶場で待ってるからな。日記持ってこい」と無理くりに予定を決めたのだ。
俺の意見は何も聞かない。聞くつもりがないというような態度にムッとしたり。でも、聞かないと『鬼身』だけ情報は聞けても、それの検証をするためには九鬼の解読が必要になる。
夢も日記の全容を把握しているわけではないし、全てを読み込むだけの時間がなかった。
だから、日を改めること。
時間を置くことは心の中で賛成だった。
夢もそのことが理解できているからか、九鬼については何も言わず「じゃあ、日記は預かっていてもよろしいでしょうか? 少しでも読み解いてみます」と古びてボロボロの冊子を胸に抱え、自分の部屋へと戻って行った。
さて、そうなれば俺のやることはただ一つ。
ズボンに突っ込んだままのスマホを取り出す。
忘れてなどいない。
忘れるわけもなかった。
Talkのアプリを触る。でも、反応が少しだけ悪い気がした。それでも立ち上がってしまう。
今までの履歴がズラっと並んでいる中、今日目にした時間から一向に進んでいない一方的な会話を見つける。
タップするべきかどうかの逡巡をどうにか受け流す。
Talk画面を開くことに何を躊躇しているんだ、と縮こまった胸を叩き起す。
背筋を無理やりにでも伸ばし、自分の部屋へと入る。
オートロックの音が聞こえるまで一瞬だったような気がする。
タップして、開いてから、時間が止まったようだ。
後は、説明するだけ。
そう、だけなのだ。
それがどうしようもなく、難しい。
「…………えぇいウジウジするなら、通話だ!」
有言実行する精神ではないが、こういうのは勢いだ。
声が震えていようと、突っ込む勇気もなければ自分自身に負けたと言っているようなものだ。
勝ち負けにならなくとも、今までの自分に有利を取れないのはなんだか悔しいじゃないか。
通話ボタンを押し、コール音が耳の中へ響く。
「……あ、なんて挨拶するべきだ?」
勢いに任せて掛けてしまったが、「こんばんは」と言うべきだろうか。それとも謝罪もするのだから初めに「ごめん」と言うべきだろうか。いや、相手の都合も考えず掛けてしまったのだから――と、優柔不断で進行不可となった思考は、通話相手と繋がったことで漠然とした焦りとして脳内に充満する。
「あ、えっと……」
【四季? どうした?】
なんだろう。
こちらを心配してくれている声音で――自分に向けられるべきでない感情だと気づいて、申し訳なさと焦燥でズレた心臓が痛む。キツイほどに、痛い。
あぁ、才木さんと連絡を取り合えていたのは。俺みたいな物忘れの行き過ぎた奴でも、繋がりを、縁を手放したくないと思ったのは、このなんでもない優しさに報いたいからだ。
【おい、大丈夫か?】
「……大丈夫。急にごめんな」
ふっと零れた事実に、置いていかれた体はすぐさま追いつく。
もう二度と、こんなことを起こすべきではない。
この恐怖と不安は、一生をかけて刻まなければいけない。
そう思いながら、震える。
覚えていないあの頃があるような。
忘れてしまった思い出で繋がれている、不確かで頑丈なものをなんというべきか。
それはきっと、絆と言うのだろう。
「俺、才木のこと。……その、あれ。…………忘れ、てしまったかも……いや、ごめん。かもじゃなくて」
【忘れた?】
「あぁ…………忘れた」
【…………】
喉が渇いて痛い。
唾液の干上がりを感じるのに、喉だけは鳴る。
まだ生きているのだ。
「その……ごめん……」
【ちなみに、忘れたってのはどこまで?】
耳の向こう側から聞こえてくる声は、欺瞞や憤慨もない、純粋な色をしていた。
そんな反応されるとは思わなかったものだから、少しばかり心がフッと軽くなる勘違いをする。
「全部、だとおもう。顔も分からないし、一緒に何をしたのかとか分からない」
【そうか。ちなみに、俺の家族と会ったことは覚えているのか?】
「……ごめん。覚えていない、かも」
【そうか。それは残念だな】
「…………ごめん」
【あ? いやいや、違う違う。俺が残念て思ってるわけじゃなくて、お前のことを思うと貴重な思い出を無くしたことに残念だなって言ってるんだって。
お前、あんないい思いしておいて忘れるなんて本当に残念だよな】
いい思い?
何かあったのか、いいことが?
【気になっただろ】
「…………そんなことは」
【嘘つけ。お前は嘘が下手くそだからな】
「下手くそなんかじゃ」
【まぁ、大根役者の話はいい。そんなに聞きたいなら教えてやるけど、俺には姉貴がいてな】
姉貴。妹のいる自分とは真逆の関係だ。ただ、よく聞く話は姉弟だと弟側はとても女性に優しくなるだとか、なんとか。事実関係はともかくとして、姉がいるからといって何になるのだろうか。
【お前、姉貴と会ったのも忘れただろうから不肖この弟である俺がもう一度伝えさせてもらう】
「畏まって言うことなのか?」
【そうじゃないと俺がぶっ飛ばされる】
恐怖の滲んだ後悔と覚悟が含まれた発言に、何も言えない。才木はどうやらそれほどに姉の支配下にあるようだ。
【お前が刀道の全国大会で優勝した時、結婚しよう。だとよ】
「……今からでも聞かなかったことにはできないか」
【俺がぶっ飛ばされるし、俺を忘れたことも許さないと言ったら?】
「…………くそ、卑怯だぞ」
弱みを一気に握られて、グリグリと脅されているような胸の痛み。こっちの罪悪感を利用する食えない性格もだが、それにしたって代償がデカすぎる。俺は相手のことを忘れているし、いい思いに対して可否もできないし。
「俺は結婚できるような年齢じゃないぞ」
【まぁ、お前は本気にしなくていいぞ。姉貴が本気なだけで】
「その方が怖いじゃないか」
耳の先から笑い声が聞こえてくる。
その声に、若干のムカつきを覚えるのは多少なりとも許してもらえるはずだ。俺なら許す。
【とりあえず、俺は伝えたからな。どうするかはお前のケツ拭き次第だ】
「……それでいいのかよ」
【なにが?】
「俺が才木のことを忘れたことに対しての罪滅ぼしは、それでいいのかよ」
【いいもなにも、仕方ないことじゃないか?】
優しくもない。
かといって、厳しくもない。
あたたかくなくて、冷たくない。
そんな感情が声に乗っているような気がする。
【思い出そうとして、思い出せなくて。だから謝ってきたんだろ? じゃあ、俺が思い出せとか言えば済むようなものじゃないのはお前が一番よく分かってるだろ】
「……」
【それで、お前が罰を受けたいとかだったら、二度と忘れるんじゃないぞ】
「でもさ」
【でもじゃない】
言い終わるよりも、言い訳をさせてもらうよりも先に制した声は、引き寄せるような力があった。
【俺が仕方ないて言っている。それだけで気が済まないのなら、二度と忘れるな。そして、もう一度思い出を作っていくことを誓え。そうじゃなきゃ、許すことなんかしないぞ】
「俺にとって罰でもないような」
【罰なら既に受けただろ】
振り返る暇もないまま、気付かされた言葉。
あれでいいと言ってくれているのだ。
「でも、どんな罰を受けたかなんか知らないだろ」
【お前のことだから、とてつもなく後悔したんじゃないのか】
その通りである。
キュッと引き締まった喉は、何かを言いたくて言えないもどかしさに揺れている。
【後悔して、懺悔して、罪悪感でいっぱいになって、そこから逃げ出したい気持ちを引き連れて、俺へ電話してきたんだろ】
「……どうして、そこまで」
【知っているのかって? そりゃもちろん、お前と友達だからだよ】
何気ない一言に救われた。
責め立てられたかった。
でも、理解はしてもらいたかった。
そのどっちつかずであっちこっちになった気持ちは、予想以上の理想を飛び越えたものに戸惑いを浮かべ。
大洪水となった水面に、願い事だけはぷかぷかと浮かんでいて、呑気にバカンスを楽しんでいた。
あぁ、そうなのか。
「お前、優しいんだな」
【あぁ、そうだぞ。しっかり覚えておけよ。あ、後、姉貴との結婚の約束は忘れるんじゃないぞ】
「さぁ、分からないな」
向こう側から聞こえてくる笑い声は、肩に手を回してくれている気がした。
いつも読んでくださりありがとうございます。
良ければ、評価ポイントやブクマしていただけると嬉しいです。
もしアドバイスなどあれば教えてくださると嬉しいです。
また感想も気軽にお願いします。




