第139話「じゃれ合い」
「まず」と言いながら、九鬼は立ち上がる。なんらかの表現でもするのかとかそういった僅かな期待があったものの、彼は真っ先に食堂のカウンターまで足を向かわせる。
そこで一言、二言食堂のおばちゃんとの会話を済ませると、洗われたばかりのコップを手にする。水滴もなく、程よくあったかいだろうガラス製のコップに、近場に備え付けられた給水器から水を注ぐ。
満たすほどでもなく、全体の八割まで水面が張れると来た時と同じ道を通って戻ってくる。
「透さんはいいのか?」
「いや、大丈夫……というか、そこまで長話をするのか」
辟易とした態度が見えてしまったからか、九鬼は少しだけ目を見開く。そこには、「意外」と言いたげな奥底の感情が揺らめいている。
「先人が残した研究結果を精査して、再検証する機会だぞ。長くなるのは必然じゃないか」
「研究結果て……」
俺の呆れを通り越した発言に反して、隣の夢は白磁が形作ったと言ってもいいくらいの指先を顎に添える。
思うところがあるのだろうと、気になっていると、夢は考えを小さく吐き出す。
「確かに。再現性を高めるためには長時間の意見交換も必須ですね」
夢さん?
そこ、同意するところですかね。
「お、夢さんはよく理解できているじゃないか。必須という言い方じゃなくても、時間が掛かってしまうのは仕方のない事象だと受け入れるべきことだよな」
「急に肩を組みにこないでください。ただ、考えればそうなっても仕方の無いことだと言っただけです」
「つれないな」
俺からの懐疑視線を気にしてか九鬼はわかりやすく肩をすくめる。
「まぁ、いいさ。とにかく、透さんもそれを理解した上で聞いてくれ。別に長引かせることが俺の目的じゃないってこともな」
「言い分は分かったから、話を進めてくれ。一応俺にもやるべきことがある」
かつての友人へ、謝罪の文章を送って理解してもらう。最重要事項を残したまま、ベッドで横になるつもりはない。ちゃんと説明する義務があるのだから、これ以上後回しにするのは避けたい。
そういったニュアンスが伝わったのか、九鬼のおどけていた目元がキッと立場を改める。
「じゃあ、まず『鬼化』についてだが。これはもう二人とも知っていることだな。心臓に掛けられた鬼の呪いが、刀に触れることで発現して、皮膚の発赤と体温の上昇、運動能力の向上や思考領域の拡大なんかが起こる。しかし、実際にはとてつもない負荷が心臓や血液を送り出す血管に掛かっている。その証拠に長時間『鬼化』すると意識消失したり、最悪の場合は死ぬこともありえる状態だ」
そこら辺はよく知っている。というのも、刀に触れ始めた頃に嫌でも理解しなければいけないことなのだ。
だから、四季家に伝わる『一刀流』は悪鬼即斬を掲げたものになっている。
「具体的に長時間といっても、個人差があっても基本は十分しかもたない。十分を超えると鼻血や眼底出血も起こるのと、皮膚から蒸気が立ち昇りそれが鬼の姿となる」
「この間のは、十分も経っていないが」
雨曝君との試合で、俺の背後に鬼が居たらしい。その鬼は大きな刀を持ち、俺の首を横薙ぎに斬り伏せると俺は意識を失ったらしいのだ。
しかし、それまでを覚えているのだが、あの試合は十分も経ってない。その疑問に対して、九鬼は既に結果の検証や推論を考察し終えていたと言いたげに、淡々と唇を動かす。
「『鬼化』てのは感情の昂りなんかでも発現する。これが厄介極まりない。しかし、心臓の呪いなんだから興奮だったり、交感神経が優位になれば心拍数は否が応でも上がるんだ。寧ろ、感情に左右されないのは心臓の呪いじゃないだろ。そこら辺はそっちも知っていることだろ」
それはそうだ。
そして、知っていたことだ。
「問題は『鬼化』で得られる効果はデメリットを踏み倒せばメリットしかないところだ。特に運動能力の向上なんかで本来は不可能な動きだって可能になる。
『一刀流 子日』が最たる例だと思うが」
「あれは木刀でもできるぞ」
「……そういう指摘はいいから」
白い目に呆れた重さを吐き出されても。事実なんだから仕方ないだろうと。そんな考えが表情に出てしまったのだろう。俺の顔を見るなり、九鬼も心底を不満で満たした言葉が漏れ出す。
「なんだよ、不服そうな顔しやがって」
「不服そうというか、事実を言っただけだしな。『一刀流 子日』はそもそも、それを習得できなかったら『一刀流』の伝授はできないって門番の役割がある。刀を握っていようが、いまいがに関わらず基礎を詰め込んだ技なんだ」
「つまりは、基礎の技ということです」
夢のフォローで、納得していなかった九鬼の顔は噛みちぎられた痛みと、噛みつかれるだけの理由が腑に落ちた苦しそうな顔をする。
天を仰ぐ。
息を吸って、短く、とても短く吐き出す。
「分かった。こっちの認識不足だった。『一刀流 子日』に限らず『一刀流』は四季家習得者の基礎能力の高さで可能となる技だということだな」
「……ん、まぁ、そうだな。お前の言う『鬼化』の恩恵がないとは言い難いが、まぁ概ねその通りかもしれない」
「初めからそう言えや」
遠慮もなく突っ込んでくる九鬼。
さながら、関西人のゲリラ開催のコントのようでもあったが、そういや俺自身はコントなど見たことないからただの高校生のじゃれ合いとしておこう。
なにせ、九鬼は眉を顰め、苦悶を浮かべているのだ。
「お前、話が通じない相手の世話役になったこと後悔しているだろ」
「そりゃそうだろうが」
歯に衣着せぬ発言に、夢は露骨なほどの不機嫌を周りの空気へ伝播させる。
まぁ、恐らく怒っているのは俺が侮辱されたとかじゃなくて、世話役だと九鬼自身が認めたからだろうけど。
「とにかく話を戻すぞ。いい加減、前に進まないのは面白くない。
『鬼化』のデメリットを踏み倒して、自分達に都合のいい状態をつくる。これを理想とした執筆者はあらゆる実験を通して、いくつかの状態になることを書き記した」
机に置かれた日記をパラパラとめくり、ここだと乱雑の中に埋め込まれた文字を指差す。
だからだろうか。
不思議なほどに、その言葉がはっきりと読めるようになった。
「『鬼身』。早まる心臓の鼓動を制御しつつ、身体能力が向上したことを示す状態。『鬼化』と違うのは、体から立ち昇る蒸気が消え、皮膚だけは紅潮したままだということ。また、握った刀は橙色に輝き始めるらしい」
「橙色なのか。赤くならないんだな」
「刀を熱したらその色になるだろ。それに近い状態じゃないのか」
語尾に「知らんけど」とでも言いたげな投げやり加減。しかし、理由としては間違ってはいないかもしれないけど、刀を熱した状態だとすれば別の問題が出てくる。
「それで刀は大丈夫なのでしょうか? 刀の温度が上がれば鍔迫り合いなどすれば大変なことになりそうですが」
「問題ないらしい。刀の強度や硬度も変わらないし、脆弱な部分はそのままだとよ」
質問への返答は安心できるようで、不安な要素は変わっていない。まぁ、試してみないと話にならない。
未だに机上の空論でしかないのだ。
「で、どうやったらその『鬼身』になるんだ」
「そう急かすな急かすな。順序に沿って言うとだな。『鬼化』の状態にまずなるだろ」
順序。つまりは、最初から最後までは繋がっているらしいし、途中で省略することもできないてことか。
「『鬼化』の状態で、心臓の鼓動を制御すると、一定の拍数を維持できれば『鬼身』になれるだとよ」
「一定の拍数て、どのくらい」
「知らん」
「そこは書いていないのかよ」
「少なくとも現代的な日記じゃないんだから、察しろよ」
もしかしたら書いてあるかもしれないじゃないか。
いや、そんな猶予があったかは想像できないけど、ボロボロの冊子の時点で、書かれたのは数年前じゃない。
数十年か。数百年か。誰が書いたのか分からないし、書かれた年月も不明。というか、読み解けないのだから、書かれていないことは想像と思考で補うしかない。
そう思っていると、何か考えでも降ってきたのか九鬼はハッと目を見開いて、腕を胸の前で組む。
「透さんは、AEDの電気ショックがどういうものか知っているか?」
「急になんだ。あれだろ、救命訓練とかでダミーなら触ったことはあるが」
二枚のパッドを心臓を挟むように脇や胸の真ん中ほどに貼り付け、脈拍数を計測して必要に応じて電気ショックを行うのは知っている。
中学頃に上半身だけの人形でやった覚えがある。
解析中は体に触れないようにしたり、電気ショック後も継続的に心臓マッサージをしなければいけないから、結構疲れた記憶も蘇る。
深くまでしなければいけないし、最悪、肋骨を折ってでもしなければいけないのだ。だから、人形での訓練以上に、実際に心臓マッサージすることになると緊張感と緊迫感と不安と恐怖と必死な気持ちがごちゃ混ぜになって、大変なことになるのだ。
「あれじゃないのか。心臓の痙攣を止めるために、電気ショックを与えるんだろ」
「知っていたか」
「何回か経験があるもんで」
ふーん、と九鬼はさほど興味なさげに反応する。
というか、俺がAEDの電気ショックがどういうものか知らないことを期待したのに、俺が知っていたから気に入らなかったのだろう。
「知っているなら、話は早いな。それをすればいいてことじゃないか」
「それ、てのは?」
「お前……心臓を意のままに止めることができるなら、『鬼化』で加速した拍動を正常な値まで戻せるんじゃないかってことだ」
「おぉ」
「おぉ、て……」
次は眉を顰め、うんざりだと頭を指で支える。
意外と表情豊かなんだな、九鬼て。
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