第136話「食堂の宵」
夢の欲しいものを選ぶことができた安堵に包まれていた俺は、再び外に出ていこうとする思考を引き止める。
夜風もそうだが、そろそろ外出禁止の時刻だ。
寮生活がゆえの苦悩ではあるものの、夜遊びは進んですることじゃない。そのうち、嫌でも出来るようになる。今はそれを選択出来るほど、自由と自己責任はない。俺たちが外に出かけて、その後になにかあればそれは監督している教師の責任になるし、親への申し訳ないという意味でも避けておくべきだろう。
そういう考えの元、あったかいミルクティの容器を両手の間を飛び交わせていた夢に問い掛ける。
「中で話すか?」
「いいんですか? ある意味、守秘義務さえありそうな話ですけども」
「まぁ……でも、隠しておいてもそのうち明るみに出てくるだろうし」
世の中そんなものだろう。
様々な人が手元の端末で情報を閲覧できるようになった情報社会の中で、隠し事は尋常ではないほどの難易度に膨れ上がっている。
下手に隠そうと思えば、ボロがでる。
「それに、この時間まで彷徨いているのは物好きしかいないだろ」
「兄様がそう仰られるのなら」
すすっと、隣に寄り添ってくる夢。
そのまま、玄関から遠くを目指して廊下を進んでいく。途中にある階段は、まだ今日を終わらせたくない学生が談笑の花を咲かせている。
その集団を横目に歩く。そうすれば、食堂が見えてくる。中からはカチャカチャと食器の当たる音が響いている。
「入るのですか?」
「あぁ、片付けが終わるまでは談話室代わりにしていいらしいからな」
「それは、食堂の方が?」
「そうそう。ただ、机くらいは拭いておかないと怒られるからな」
「それが条件なのですね。わかりました」
緩やかな笑みを浮かべた夢と一緒に中へ入る。
外まで聞こえてきた喧騒がいっそう響いているけど、話をする分には問題ない音量だ。
むしろ、他に数名の生徒がいるので、会話が聞き取りにくいのは利点だろう。
調理場でテキパキと動き回るおばさんに一言伝えると、カウンターに乗っている布巾を手にする。
「兄様、私にも」
「じゃあ、夢はこっちから拭いてくれ。俺は反対側から拭いていくから、合流したところで話そう」
そう取り決めて、俺はカウンターから遠くの場所まで行き、夢に向かって机を拭いていく。
アルコールを吹きかけ、拭く。
こういう動作でも、飲食経験者は効率よくできるのだろうけど、いかんせんバイトなどしたことのない自分はとにかく、丁寧に端っこから端までをゆっくり拭きあげていく。
ちらっと夢を見れば、同じようなことを思っていたのだろう。兄妹らしくそっくりな動作で談話条件を満たす。
「兄様、布巾をください。持っていきますので」
「ありがとう」
今度はすんなりと夢に甘える。
というのも、席の確保をしておこうと思っていたから。といっても、人は少ない。夕食も終えて、後は寝るだけになれば大抵の寮生は部屋にこもっているだろうし、遊びたければ友人の部屋に出掛けているはずだ。
ここにいる人というのは、基本的に暇を持て余すことができる穴場を見つけたいけど、部屋なんかでは飽きたから来た生徒だ。
だから需要が少ない。そして、席は多い。
どこでも座り放題だし、選び放題だが、まぁなんとなく、夢の歩く距離が短い方が俺の心は楽だ。
なるべくカウンターに近い側へ腰を下ろす。
そうすれば、程なくして夢が対面に座ってきた。
「あ、隣に座ればよかったですね」
「俺としてはどっちでもいいが」
「では、隣に行きます」
止めるべきだっただろうか。下ろした腰を上げ、再び大回りをして俺の左隣へやってくるなら、向かいにいた方が良かったかもしれない。
ただ、夢がハッと思いついたことを否定したくない。
なにより、隣に座ってきた夢は底抜けに明るい笑顔を浮かべているのだ。
「忙しなくて申し訳ないです兄様」
「いや、俺は大丈夫だけど。近くないか?」
気づけば、夢は椅子を音もなく動かして真横まできていた。俺の肩に触れるほど近くだ。
しかし、我が妹は至って普通に。それでいて、当然のことだと表情で語る。
「兄様の近くにいるのが妹の務めですよ?」
「そ、そっか」
ありがたいやらどうやら。
無言の夢に気圧され、思わず了承してしまった。しかし、遠目で見える団欒者はこっちを見てピンク色の視線を送ってくる。
うん、そう見えるかもしれないだろう。
ただ、妹なんだよな。だから恥ずかしさの方が勝る。
そんな心境とは関係なく、夢は外でベンチに座っている時よりもご機嫌なようだ。緩みきった頬をしている。
それを見て、何か言える兄などいるものか。
いまさら、離れろなんて薄情なことが言えるわけもない。こうやって、妹に甘い兄ができていくのかもしれない。
それはそれで、いいかもしれない。
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