第135話「今日の飲み物」
気持ち改め、再び夢の手元へ日記を返す。
「次から本題になるようですけど、兄様は寒くないですか?」
「俺は大丈夫だぞ」
確かに夜風はもう冷たくなってきた。昼に暖められたコンクリートが冷えたことによる涼しさが空気に舞っている。こんな場所に連れ出したことを若干後悔しつつ、それでも震えたり、虚勢を張っているわけでもない様子の夢。
「でしたら、飲み物でも買ってきてもいいでしょうか?」
「あぁ、いいぞ。というか、俺が買ってくるよ」
立ち上がりかけた夢を止め、有無を言わなさいように駆け出す。といっても、自販機などは寮内にあるからそこまで行かなくてはいけない。その間、夢を一人にすることは憚られるけど、かといって、自販機まで行かせるのも忍びない。
と思っての行動だったが、いつの間にか夢は隣を歩いていた。
「夢さん? 俺が買ってくると言いませんでしたっけ」
「どうして敬語なのですか兄様」
「いや、なんとなく」
しかし、音もなく立ち上がったのもそうだけど、隣を歩いていることに気づいたのは視界の端に映ったからだ。つまり、夢はあえて映るように動いてくれたからあまり驚くことはなかったが、足音さえしないのは流石というべきだろう。
「私の欲しい飲み物を兄様は当てられるのか見てみたいものですから、ついてきました」
「欲しい飲み物たって……大体いつもと同じじゃ」
寮の玄関を開け、中に入ると夜風の音が消える。
涼しい風から少しだけジメッとした空気に出迎えられ、僅かな息苦しさを感じながら真っ直ぐ進む。
そうすれば、自販機の明かりに辿り着く。
「さて、兄様。ヒントをあげますと」
「ヒントて、クイズなのか」
「はい、私の欲しい飲み物当てクイズです。その次は叶ちゃんか望ちゃんになりますので、頑張ってくださいね」
妹達全員になるのか。
まぁ、嬉しそうに言っているのだ。妹の気持ちを邪魔するのも忍びないし、ここは兄としての器を見せるべきだろう。エンタメは苦手だけど。
「じゃ、出題者の夢さんからのヒントてのはどういったもので?」
「ふふふ、今の私は緑茶の気分ではないのです」
「なに……?」
まさか。そんなことが?
あの和風妹が、緑茶か抹茶を嗜んではいた夢が。好きな物が和に偏りを見せた夢が。
緑茶の気分じゃないだと?
そんな珍しいことがあるものか。
「ちなみに、抹茶もお汁粉も気分ではございませんので、そこから推測してください」
「……夢、大丈夫か? 風邪でもひいたか?」
「大丈夫ですよ。それを飲まなきゃいけない人間でもありませんから」
いや、そりゃそうなんだけど、これは苦しい問題だ。
なるほど、だからついてきたのか。俺だったら緑茶かお汁粉を選ぶ。かといって、カフェインをとると寝られなくなるからお汁粉一択だったわけだが、そのあても外れた。
そうなると、かなりの難題だ。難関大学の過去問より厳しい。解いたことなんかないけど。
「お汁粉、緑茶、抹茶は候補外なんだよな」
「はい。ついでに言いますと、抹茶味や風味も除外となります」
第二の選択肢まで潰れた。
夢はこちらを期待と希望をのせて見つめてくる。あぁ、試されている。というか、この時点でかなり楽しんでいる。
それはそれで兄冥利に尽きるが、当てないのはプライドが許さない。兄として。やはり、ばっちりと夢の欲しい飲み物を当ててみせたい。
こうなれば躍起になる。
俺は自販機に並んだサンプルを眺める。
まず、夢が普段飲んでいるものを思い浮かべながら、それに似たものをピックアップしていこう。
となれば、緑茶と抹茶、お汁粉は除外するとして――水は見た事あるかも。いや、それはそうだけど。後は、ポ〇リにアクエ〇。
これは運動後によく飲んでいた。
しかし、そうじゃない時は全くと言っていいほど飲んでいないし、さっきまで運動していたわけでもない。
となれば……お汁粉ソーダ?
いやいや。頭を振って見当間違いな答えに理由を導き出す。というのも、お汁粉風味とかそういうのは対象外だっただろ。すぐさま、選択肢からの落選となる。
……んー、難しい。
「夢に質問するのはいいんでしょうか」
「そんなに難しいですか?」
プライドを刺激してくる質問だ。くそう、そう言われたら質問するのが憚られる。というか、したくない。否が応でも。
「いや、大丈夫」
夢に手をかざし、再度自販機との睨めっこに興じる。
というか、周りに人がいなくて良かった。
こんなうーんと唸りながら自販機の前で陣取っていると、大変迷惑極まりない。
まぁ、遠くから見られている可能性もあるだろうし、早急に答えを出す必要はあるだろうな。
となれば――
「夢の飲みたいのって、紅茶だろ」
「……それはどうしてでしょうか」
少しだけ見張った瞳。なるほど、当てずっぽうだと不正解になりそうだ。過程も大事になってくるのか。
「まず、さっきまで外にいたしな。そんな中、欲しいものとなったら温かいものだろ。かといって、今の時期あったかい飲み物なんて減ってるし、この自販機だって三〜四種類くらいしかないしな」
実際には、コーヒーの微糖、無糖。紅茶のミルクティとレモンティ。後はお汁粉とコーンポタージュになっている。
大雑把にしてしまえば三種類だ。
「それでお汁粉は除外だろ。だとしたら、コーヒーか紅茶、コンポタに絞られるけど、夢はコーヒー好きじゃないだろ」
「はい。好きじゃないわけではありませんが、小さい頃兄様の真似をしようと飲んだ時に苦い思いをしましたので」
苦い思い出というやつだ。
俺がちょうど味覚に変化が出始めた時、コーヒーの苦味が美味くなった――というよりも、我慢できるようになったが正しいか。
その時に夢も真似をして俺と同じもの、ブラックコーヒーを飲もうとして、苦悶の表情を浮かべながら飲み込んだのだ。今にして思えば、よく吐き出さなかったものだ。そのくらい、小さい頃の舌では強烈な味になっているはずだろうに。
「だとしたら、緑茶とは発酵違いだけで、ほぼ共通点のある紅茶を選ぶかなって」
有名な話だろう。緑茶もウーロン茶も紅茶も、同じ学名の木から作られていて、違いがあるとすれば発酵時間だけであること。
それだけで味に明白かつ曖昧な違いを生み出すのだから、緑茶好きな夢の選択肢に自然と潜り込みやすいだろう。
そういった推理をしたのだが、夢は特に驚いた表情をするでもなく、ズボンから小さな財布を取り出す。というより、がま口財布だ。小豆色をした、懐かしい色味のものから、数枚の硬貨を取り出し、自販機へと飲み込ませる。
「紅茶にもカフェインは含まれていますし、今の時間に飲んでしまうと寝られなくなるだろう、そう兄様は考えていたはずでしょうけど、どうしてその考えがあってなお、紅茶を答えにしたんでしょうか」
「理由は特にないが、そうだな、強いていえば」
思い返す。
和風美少女の夢が、洋風なものだったり、意外なものを選ぶ時は大抵、明確な理由がある。
それは今までの出来事からのもので、言ってしまえば、伏線みたいなものだ。
大したものじゃないけど、家族にとってはそこはかとなく大事な視点だ。ただ、それだけで、大袈裟に言う必要なんてないけど。
「望が飲んでいたから、かな」
夢はそれを聞いて、「正解」だとも「不正解」だなんて言わず、ポチッと点灯したボタンを押し込む。
ガコンと落ちてきたものを、取り出し口の扉を引き上げ、手に掴む。
そこには、明るい灰みがかった茶色に染まった液体のつまったペットボトルが握られており、それは紛うことなきミルクティだ。見間違うことなどない。
そして、それを可愛らしくも、嬉しさなどを一切隠す必要がないほどの健気さを表情へのせる夢。
「兄様なら、当ててくれると思っていました」
なんだろうか。
その笑顔はただクイズに正解した俺へのご褒美であったはずなのに。
どうにも、それだけじゃないような気がする。
というか、それだけじゃないんだろうな。
きっと、俺のことを遠回しに褒めてくれているのかもしれない。そう思う方が、なんだか身軽になったような気がする。
大丈夫だと、背中を押してもらって駆け出しているくらいな気分だ。
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