第134話「同情以外の言葉」
友を失った怖さと、それをなんとも思っていなかった心境への区切りをつけ、ある程度の落ち着きを取り戻す。その頃には、夜風は少しだけ強くなっていた。
「夢、寒くないか」
「大丈夫ですよ。兄様の上着は暖かいですね」
そりゃ、鍛冶場は冬だととても冷える。それだけでなく、今の時期だと朝晩の冷え込みも一層厳しいものだ。
それを凌ぐために買ってきたものだ。
いつ、買ってきたのか分からないけど、入学時に持ってきた記憶はあるから、それより前に買った物に違いない。
「さて、兄様。返信は部屋に帰ってからしますか?」
「……あぁ、そうするつもりだ」
才木さんへの返信。
これは記憶喪失の俺にとっては、かなりの覚悟が必要となる。特に、相手へ酷いことを言うことになるのだから、余計に文面は注意しなければいけない。ただでさえ、忘却という人間関係の破壊を行っているのだから、そういった礼儀は必須だ。
そうしなければ、没落待ったなしだろう。
家としても。人としても。
そんな俺の心情を読み解いたのか、夢はキュッと握った指先に力を込めてくれる。
「では、兄様。恐らく『ですます語尾』様の意図していた話へ戻すとしまして。この日記には、私達が苦しんでいる鬼の呪いの状態が記されています」
「状態、というと。刀を握った時とかの反応か」
「はい、ですが……。これは握り続けた上での反応が載せられていまして、少し倫理的に問題がありそうなのです」
心配そうに上目遣いで確認してくる夢。
そうか、日記や観察日記と言われて楽観していたが、鬼の呪いの状態が記載されているのなら、それは人体実験に違いない。
夢に言われて気づくくらいには、問題を重視していなかった。これでは、気を抜いた時にボロが出てしまう。
しっかり切り替えよう。
四季家再興を掲げるのなら、疑問を携帯しておかなければいけない。
「人体実験てことか」
「それに近いものではあるかと。私達の御先祖様の、文字通り血肉の結晶だと言えば聞こえはいいかもしれませんが、なにぶん、呪いの利用方法ですので」
「利用方法てことは。毒を薬に変えようとしたってことだろ。それなら、全肯定はできなくても一部分は賛同できるかもしれない。まぁ、夢の危機管理は信じられるから、言いたくなければ言わなくても」
「それも考えましたが、『ですます語尾』様が提供してきたということは、利用しても問題ない。もしくは、使うかどうかは本人に委ねるという意味かもしれません」
「だとしたら。俺達が生じた責任を背負えば問題ないてことになるな」
日記の処分を託したのかもしれないが、情報提供を兼ねて行っているのだとしたら、ここに書かれていることを実際にした時、しっかりと責任の所在を明確にしておけば問題ない。
いや、家名にこれ以上傷がつくのは良くないけど。
それでも、自分達の過去を償う一環に組み込むのなら、必要な傷だ。
これらを背負う覚悟もなければ、復興は難しいという意思を突きつけられているのだ。
「やるしかないだろう。利用出来るのなら、ひとまずやってみてから判断しても悪くないだろうし」
「そうですか」
夢は俺の言葉を聞いて、一枚、日記を捲る。
片手は俺の手を握っていながら、もう片方の手でしているのだから器用なものだ。
しなやかな指先で風にめくられないように押さえ、薄らと色付いた音色が聞こえてくる。
「まず、一ページ目の読み上げから始めます。気になることがあれば、言ってくださいね兄様。なるべく分かりやすいように翻訳してみますので」
「あぁ、頼む」
すぅ、と小さく息を吸い込み。
少し緊張したように吐き出す。
『これは、四季へ掛けられた呪いの探究の末、得られたものだ。というのも、四季へ掛けられた呪いとは刀を握れば、心臓から直接生命力を奪い取るものであるため、刀を握った戦闘では問答無用で再起不能となる可能性が高い。それを回避するか、軽減するだけの策があればと追究した故に、毒は毒のまま蝕んでくることは変わらないという結論に至ったためである』
御先祖様の誰かは分からないが、そこから続く鬼からの因縁は、薬とならないようだ。
毒が転じて薬効となることはない。
軽量の毒は毒のままらしい。
まぁ、じゃなかったら『呪い』に相応しくないだろうな。
しかし、読み聞かせてくれる夢の表情が真剣であることから察するに、御先祖様は何も諦観日記を書いたわけではないようだ。そりゃそうなんだけど。癪でしかないしな。一方的に搾取されるなんて、生命力を搾り取られるなんて、死ぬほど嫌だ。だから、観察日記という人体実験を行ったのかもしれない。
子孫がいるのなら、そこへ繋げるために。
感動を伝染させるために。
『しかし、刀を握らなければ良い。というのは、些か開祖への申し訳が立たない諦めであろう。故に、これをどうにか利用してしまう方法がないのか書き記したものとなるため、我が礎を引き継ぐ者がいれば、どうか宿願を果たして欲しい。
悪鬼討滅を。開祖も果たせなかった鬼の殲滅を』
やれ、物騒だな。殲滅とは。言葉の強さからかなりの憎悪があるようだ。
奇遇なことに、俺も同じ気持ちだ。
恐らく書き殴っただろう恨み節も想像できるほどに、執筆者はおぞましいほど、嫌っているのだろう。
成し遂げられなかった後悔を上回るほどの、鬼からの侮辱だと感じたのだろう。
屈辱だったのだろう。
屈服したつもりがなくとも、ひれ伏したつもりでもないのに、そうなってしまったのだ。
「夢が翻訳してくれているって言ってたよな」
「はい。私が現代風にアレンジしています」
「原文ではなんて言っているんだ? 宿願を果たして欲しいの部分」
少し気になったことだったけど、夢はちょっとだけ躊躇して、多少の問答を脳内でした後の結論を導き出した結果、話してくれた。
「『鬼の一切合切を塵芥残らず、灰燼に帰させ』と」
「思った以上に過激」
それこそ、悲願と言い換えなかった辺り、切望という立場にいないからこそだろう。俺達は断固たる意思を持って立ち向かうのであって、被害者であって、悲哀にくれているわけではない。
だから、宿願と夢は表現したんだろう。
原文の憤りは悲壮感になかったから。怒りに塗れていて、悲しむなんてこととは程遠いから。
「続きを、よろしいですか?」
「あぁ、教えてくれてありがとう」
夢はゆるっとした笑みを浮かべて、本へと向き直る。
『さて、本題に入る前として、我らが一身に受けている呪いとはどういったものか順序に合わせて説明しよう。
まず、四季家には鬼の呪いが掛けられた。これは開祖とその子達へと引き継がれており、息子、娘にも開祖と同様の症状が確認された。
それは心臓の鼓動が不規則となり、刀を握れば早くなり、際限なく高まるが故に最終的には過活動を引き起こし、心臓が停止する。そのまま、二度と鼓動を響かせることもなくなる』
開祖から続いているのは知っていたが、症状に関しては変化がないどころか一切変わっていないというのは、ある意味絶望に近いかもしれない。刀を握り続ければ死ぬ。頭で分かっていても、現実的でなかった。
理解はしていたし、小さい頃から付き合ってきた事象だから慣れてしまっていたのも事実だ。
慣れていけないことに、慣れてしまった弊害で死んでしまっては元も子もない。
だからといって、心臓を止める荒業で記憶を失うのも嫌だ。そっちの方が一番苦しいかもしれない。死ぬより辛い。友達を失うことも、それに気づけないことも。
『この上、如何なる蘇生も意味を成すことがないために、心臓の停止は鬼へと奪われた命だと認識するべきだろう。
しかし、それでも、どうにかして、こんなものではいけないと、願っている子がいるならば、四季であろうとそうでなかろうと、利用出来るものは全て利用するべきだと心底に至るまでを銘じておけ』
利用出来るもの。
利用たって、今の医療機関で心停止による蘇生が完了するのなら、いいけど。難しいだろう。
なにより、鬼が呪いを掛けた心臓が再起することだってないと言っているのだ。この日記で既に蘇生を試したものの報われなかったことが伝えられているのだとすれば、電気ショックでどうにかなるものじゃないだろう。
じゃあ、俺が使った無理やり自分のやり方で心臓を止める方法は鬼に奪われていないとすれば、鬼の想定を飛び越えたと考えるべきだろうか。
それとも、心停止までが鬼の呪いで、そこから再び鼓動させるのは俺の自力となるのだろうか。
こればかりは不明だ。ただ、四季家に伝わる禁術みたいなものだから、自力蘇生だとは思う。
そこら辺、ちゃんと聞けば良かったな。必死すぎて忘れてしまった。
『例えば、自力での心停止と再始動は鬼の呪いの範囲外にあるのか、再始動さえできれば恐らく戦う上での支障はないだろう。特に、鬼と遭遇した際。鬼との決戦であるなら、ほぼ必須の禁術でもあるだろう。
なにせ、生命力を奪われているのだとすれば、それは戦闘中にも関わらず行われ、せっかく傷をつけ、致命傷となっても、自分自身の命を吸われ、相手は全快になるだろう。こちらが満身創痍になろうと、戦う上で相手のデメリットはほぼないのだ。
ともすれば、目下最優先で会得するべきは心臓の停止と再始動を自在に操れることだろう』
聞いて納得はできた。
いや、というより、なんとなくそうなんじゃないかと思っていたものが、しっかりとした形になったと言うべきだろう。
心臓の呪いで、生命力を奪うのなら、鬼は回復力を依存しなければいけない状態にある。もしくは、戦闘中の優位を確保するために、呪いを付与している。
そうすることで、前者は早期回復ができて、四季家をいつだって復讐劇の中心にすることだってできる。
後者であれば、デメリットなしで戦闘することができる。日記の通り、傷がついても回復する。俺達からすれば、鬼は元気なのにこっちは衰弱していくのだ。とてつもない呪いだ。
それがほぼ確定で、日記の執筆者もそれを懸念しているくらいだ。だから、必須なのだ。
『しかし、それだけでは勝つのは難しいだろう。何をもって勝つとするのかは、鬼を倒すことは難しいと言い直しておこう。
理由としては、心臓の鼓動が止まることによる、運動能力は著しく低下する。思考力や記憶力も、凡そ脳機能のいくつかが停止するようなもので、これによって記憶障害や脳機能障害、果ては心停止や半身麻痺など、様々な症状を引き起こすことになる。それゆえに、戦闘中での使用は控えるべきであって、再始動までの時間が長ければ長いほど、より後遺症は重くなる。
そんな重りをつけたまま戦う相手ではない』
「御先祖様も危険視はしてたのか」
「そうでしょうね。よくよく考えれば、本来止まるはずのない心臓を止めたり、動かしたりできること自体おかしいですから」
夢の言う通り。あくまで鬼との決戦技術として会得しているが、自在に操れるなんて不思議を通り越した奇怪であろう。
それもわかるし、当人同士でもなんとなくでもやってはいけないことの認識があった。昔からあったのなら、天井裏の存在が勧めてきた理由も、心做しか理解はできる。
昔でさえ、そんな認識であって、そこから技術の確立までを積み重ねてきたとすれば、信頼できるものに違いない。そんな前提条件がついているのだ。
「しかし、御先祖様は記憶喪失の認識はあったんだな」
意外があるとすれば、そこだろう。
天井裏の存在の言い方では、俺達が落ちぶれたのは『失ったことに気づかず、捨ててきたから』だと思っていたが、夢の翻訳を聞いて、俺の中での認識は違うらしい。
「……どうでしょうか。あまり分かっていないことかもしれませんが」
「そうなのか? 記憶障害て、覚えていないけど認識できているから日記に書いているものだと思ってたけど」
夢の険しい表情から、思っている通りのことではないみたいだ。そうか。違うのか。
「どうにも、この文章に書かれている記憶障害というのも対人を対象にしていないようでして……」
「というのも? 人じゃないとしたら、物とか、時間とか、そこら辺か」
「いえ…………文字でしょうか」
思わぬ一言に、日記を見えやすいように差し出してくれたものを洗うように目を通す。
最初は達筆だ。綺麗な字だった。
しかし、書き進める度に日記の最後へ向かうにつれて、文字は歪となっていく。砕けて、崩れ、どういう言葉が書かれているのか分からないほどに、ぐにゃとミミズが這っているようでもある。
なにより、何度も何度も、塗りつぶした跡が顕著に、多くなっている。
漢字から平仮名、それすらも難しくなってどうにもならないからそれっぽい感じの文字を書いてみて、どうにも違うから塗り潰す。そんな形跡が後半になればなるほど、如実になっていく。
「文字でさえ忘れてしまう記憶障害。心臓を止め続け、呪いの研究に心血を注いだ結果は、心苦しいものがあったはずです。それが塗り潰しだと推測した時、苛立ちに任せているようにも見えて、少し悲しい気持ちにもなります」
「夢の言う通りかもな……」
ぐちゃぐちゃとしたのは文字だけじゃない。
執筆者の心情を現していても、おかしくないほど、苦痛と非情な悲しささえ感じ取れる。
だから、この人のことを悲しく思うのだったら。
なおも同情に包まれるのなら。
「俺達は、ここに書かれていることを無駄にしないようにしなきゃいけないな」
「はい」
無かったことにしてはいけない。
あっていけないことにしてはいけない。
継承して、引き継いで、繋ぎ止めていかなければいけない。
恐らく、それを同情以外の言葉にするのなら。
感動と言うべきだろう。
いつも読んでくださりありがとうございます。
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