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第133話「夜晴」


 学生寮の前。

 鍛冶場をそそくさと抜け出した俺は寮の出入口で、呼び出した相手の到着を待つ。

 やることもなく、ただ上を見れば曇っている夜空が映る。雲の端っこや切れ目から僅かに見える星はとても小さい。これが昔はもっと綺麗に見えたそうだ。大きく、光り輝いていたそうだ。

 それが今では街灯に消されるような存在となっている。儚くて、しんみりとするような現象ではある。

 ただ、そのうち。この空の向こうに行けることとなれば、もっと綺麗に見えることだろう。いつになるか分からないけども。


「兄様、お待たせしました」


 背後から声が掛かる。

 振り返ると、出入口の扉を開けて我が妹の夢がいた。


「寒くないか?」


 夢の服装は薄着そのものだ。まだ五月といっても、夜は冷える。それなのに、半袖に短いパンツのルームウェアは風邪をひいてもいいと言っているようなものだ。

 お兄ちゃんは、それを許しません。


「どうでしょう。寒いかもしれません」


「上着くらいは持ってくればよかったのに……はい、これ」


「ありがとうございます」


 とりあえず、自分が着ていた薄手の上着を夢の肩へ掛ける。それを甘んじて受け入れると、夢の口の端がによっと上がる。


「ふふふ、兄様の匂いがします」


「そんなに臭いか?」


「いいえ、落ち着く匂いを臭いとは言いませんよ」


 そうなのか。

 かといって、実妹に匂いを嗅がれるのは、なんだか小っ恥ずかしい。今すぐにでも返して欲しいが、もう返すつもりがないのか、上着をこれ以上ないくらい体に巻き付けている。


「次は上着くらい持っておいでよ」


「はい、覚えていたら」


「曖昧だな……」


 なんとはなしに、溜め息をつく。

 すると、夢は俺の腕に絡まってくる。少しだけ、温かくなる。


「ちょっとだけ歩くけどいいか?」


「はい。どこまでも行きますよ」


「どこまでも行ったら風邪ひいちゃうだろ」


「私、意外と体は頑丈だと思いますが」


「だったら、上着返してもらってもいいか」


「ダメです」


 駄目なのか。

 そんなはっきり言われるとは思わなかったので、少しの残念さとからかわれたおかしさに包まれる。

 とりあえず、寮の前からしばらく右手へと進む。

 ゆっくりと歩いて、揺れ動く風を味わう。

 隣の夢も同じ気持ちなんだろうか。

 気持ちよさそうに、時折、目を閉じている。

 手頃なベンチに腰を掛けようとして、夢が素早い動きでベンチに乗っていた葉っぱを落とす。


「さ、兄様どうぞ」


「ハンカチまで置かなくても……俺、殿様かなにかか」


「兄様ですから」


 理由になっていないと思うが。

 しかし、妹の用意してくれた席に座らないというのも兄としての威厳が廃る。可愛らしく、小さな花の柄が入った真っ白なハンカチ。それを尻に敷くのは僅かな躊躇があるものの、笑顔で見つめてくる夢に根負けして下ろす。

 少しばかり、座るのを前面に持ってくる抵抗はしてみるけど。

 俺が座ったのを確認した夢は、自分の所にも同じようにハンカチを敷いて、静かに腰を下ろす。


「さ、兄様。私を呼んでくださったことに、感謝の言葉を連ねたいものですが、ここはぐっと堪えて。何かこの夢に御用でしょうか?」


「そんなルンルンにならなくても……」


「そりゃ兄様は大概のことは自分一人で解決されちゃいますので」


 そうだったか。

 いや、そうか。妹に何かあってはいけないと、大概のことは一人で片付ける癖はついていた。

 刀だってそうだ。

 四季家の名誉回復もそうだ。

 俺が一人で抱えてしまえば、俺だけの責任で終わらせることができる。そうすれば、家は長く息ができる。そう思っていたからだ。


「そんな兄様に頼られたとあれば、私はその信頼に応えようとするのです。さ、なんなりと申し付けくださいませ」


「わかった……わかったから、近いから離れような」


 気持ちに合わせて体も前のめりになってきた夢は、むぅと分かりやすく唇を突き出して、定位置に戻る。

 信頼と夢は言った。

 これでも夢のことは信じていて、中尼君の相手になってもらうなどの信頼は置いていたけど。それだけでは足りなかったらしい。

 いや、足りないとかじゃないか。

 ただ、好きでしているだけみたいだ。


「夢はこの本を見たことはあるか?」


 懐から、ボロボロの冊子を取り出す。

 さきほど、鍛冶場にて天井裏の憎き存在から貰ったもので、どうやらそこに四季家が記憶喪失しない方法が記されているらしい。

 如何にも古いそれを夢の手に渡す。

 まじまじと外観や表紙、そして題名や執筆者の名前もない紙の束を観察する夢。


「中を見てもいいでしょうか?」


「あぁ。俺も読んでみたが、さっぱりだけど」


「さっぱり……?」


 疑問を乗せ、夢はペラっと一枚捲る。

 もう一枚、更に一枚。捲れば捲るほど、表情は険しくなっていき、困惑となって、最後のページにいけば眉間に皺が寄っていた。


「さっぱりです」


「だろ。書いてあることがよく分からなくてな」


「いえ、書いてあるのはただの観察日記です。それは理解できますけど。どうして、兄様がこれを?」


 理解できたのか。それに驚く。夢の手にした本にはびっしりと文字で書き潰されていて、何が書いてあってどういう文脈なのかも分からないのだ。

 まさに、書きなぐって、好き勝手書いた。

 散らかした文字を書いた本人だけは理解できる、そんな自分本位な本になっているのだ。


「鍛冶場の天井裏にネズミがよくいてな。そいつが持ってきたんだよ」


「ネズミ……? いましたっけ」


「いるんだよ。ですます語尾の変なやつが」


 本人は語尾が特徴的なだけで変なやつ認定するのは、個性の全否定だ、とか批判してきそうだけど、実際、変だろ。面白い語尾の割に、やってることはあまりに陰湿すぎるからそこはかとなく嫌煙されているから、もう性分でそうなったとしか言えないだろうに。

 しかし、そんなことを夢が知る由もない。今も頭に疑問が浮かんでいた。


「ですます……。あ、あぁ、もしかしてあの方でしょうか」


「知っているのか」


「はい。といっても、入学前のフェリーで声しか聞こえませんでしたけど。不思議な方でした」


 やっぱり姿を見せないらしい。

 そんな秘匿されなきゃいけないのだろうか。もしくは、あいつも『鬼族』だとしたら見せてはいけない理由でもあったりするのだろうか。

 それか、俺が忘れてしまっているのか。


「その方から、この本を渡されたと」


「まぁ、そうだな。正確には畳の上に置かれてたけど。どうやら、その中に四季家が記憶喪失しなくて済む方法があるらしい」


「記憶喪失」


 確かめるように、再び夢は本を捲る。

 ペラペラと軽い紙束を重く見つめる。しかし、その表情は決して穏やかなものじゃない。むしろ、険しくなっている。


「もしかして、そんなものは書かれていないとか」


「いえ、どうでしょうか。判断に困ると言いましょうか。一つお聞きしますが、兄様は、記憶喪失したのでしょうか」


「……そういえば、言ってなかったな。俺はどうやら中学時代の同級生のことを忘れたらしい」


 夢が知っているかどうかはともかく、証明は必要だと思いスマホを取り出し、Talkのアプリを立ち上げる。

 既読無視したままの相手の会話部屋を開いて、夢へと手渡す。


「才木……」


「知ってる?」


「何度か兄様から話を聞いたことはあります。確か、家柄の説明をしてきた時に、反応が違った唯一の相手だと」


「そうなのか」


 他人事すぎるものの、知らないのだから仕方ない。

 それに俺自身、誰へ家柄を説明しているのかも、刀道の名家だと、落ちぶれているのだと言っているのかは覚えていない。

 誰彼構わず言いふらしているかもしれないし。

 時場所構わず言い散らしているかもしれない。

 だが、そうだとしても。

 そうだったとしても。


「俺が連絡先を交換する相手なのは、珍しいてのは理解できるんだが。どうにも思い出が蘇ってこなくて。もしかしたら、心臓を止めたことが原因じゃないかてネズミも言っていてな。俺もそう思うんだ」


「兄様の交友関係を全て把握しているわけではありませんが、確かに珍しい相手なのは私でも覚えていますよ。家柄を説明した時に、『マジか』で終わらせ、普通に遊びへ連れ出した強引な人だと聞いています」


「……」


 それを聞いて記憶の引き出しが、勝手に光るわけでもない。

 思い出すわけでもない。どこに入っているのか、勝手に分かるようになるわけでもない。

 どこにあるのか見当はつかない。

 なにより、引き出しどころか仕舞っていた箪笥が無くなっていた現象が起こっているのだから、そもそもありもしないのだ。

 でも、確かに俺がしてきたことで。

 家柄など気にせず、ただただ俺だけを見てくれる相手に好感触があるのは自分自身が理解できるから。

 無性に、胸が痛む。

 痛くないはずなのに、痛い。

 苦しくないのに、息苦しい。

 泣きたいわけではないのに、涙が零れる。


「……俺、覚えてないんだよ」


 夢はそんな様子を見て、慌てふためくこともなく。

 ただ静かに、優しく、手を添えてくれる。

 俺の手に、少し冷たくて柔らかい手が重なってくれる。

 妹の前で、泣いてしまうなど兄としての威厳はどこかへ行ってしまったらしい。かといって、止められるようなものでもない。


「思い出せませんか?」


「……そもそも、分からないんだ。連絡をとってたことが不思議なくらい、そんな相手だとは想像ができないんだ」


「兄様」


「思い出したいとかじゃなくて、覚えていないことが心底情けないていうか。そんな酷いことをしておいて、何も分かっていない自分が悔しいていうか」


「兄様」


 はっきりと、夢は声を発する。

 それは、断固とした姿勢からくるもので、俺の一人反省会を打ち消すためのものだと、痛々しい表情を見て察することができた。


「己を責めるのは、何も己だけではありません。今一度、自分へ向けた刃から視線を離してください」


「…………」


 ここで「でも」と言うのは卑怯だろう。

 兄の我儘だろう。

 そして、妹への拒絶となる。それは違う。それだけはしちゃいけない。だから、言い訳したくなる思考を少しだけ止める。

 そんな俺の心情を読み取ったのか、夢は添えた指先をゆっくりと俺の指へと絡めていく。


「兄様。一人での反省会はあまりに寂しすぎます。誰も救われなくて、自分だけが一番傷つく不名誉な傷跡です。そんな人は、強いようでとても脆いのです。誰も助けられない世界へ行ってしまうのですから」


 夢の顔を見る。

 荒れ狂った水面には、似つかわしくないほどの、どこかで見たような優しい顔をしている。

 覚えていないけど、見たことがある。そんな優しい顔だ。

 もしかしたら、とても小さい頃なのかもしれない。

 もしかしたら、他人の空似かもしれない。

 ただ、そこに関連性を見つけるなら、ただ一点。

 泣きじゃくる俺を、落ち着かせてくれた母親の優しさが夢にも受け継がれているのかもしれない。

 そんな、あやふやで確かな証を信じる。

 それだけで、いいような気がしてきた。


「兄様。私はこれから酷いことを提案することになります。もちろん、兄様がそれを実行しなくても誰も責めたりすることはありません。あくまで選択肢の一つであって、兄様の行動を制限するための呪いではありません。

 そのことをご理解いただきたいのです」


「大丈夫、夢はいつだって優しいじゃないか」


「そうでしょうか? でしたら、兄様を傍で見てきたお陰ですね」


 照れているようで、誇らしく笑う夢。

 静かな夜には似合わない美しさ。

 今、この瞬間に、一等明るく見えた。

 そこに、感動を受けたのか。それとも、夢の言葉に救われたからなのか。共感して貰えた嬉しさか。言葉の温かさに触れたからか。

 ただ、理由がどうであろうと、なんだか、強くなった気がした。


「私が提案するのは、『兄様が、才木様へ忘れてしまったことを説明する』ことです」


 だから、出来そうな気がしてくるのだ。

 落ちた涙に、意味があるような気がするのだ。


「分かった。誠心誠意、謝って。原因も説明する。この胸の痛みを必死に伝えるよ」


「はい。もし、それで相手が激昂されても兄様なら受け止められると夢は信じていますよ」


「じゃなきゃ、忘れた奴の独りよがりになるもんな。ちゃんと、受け止めるよ。それが四季の責任の取り方だしな」


「はい。それでこそ、兄様ですよ」


 微笑みを浮かべる夢に負けじと、精一杯の笑顔を咲かす。強がりだとしても、一人じゃないのだからいいだろう。俺の責任を、相手に切ってもらう。才木とやらに、介錯してもらうことで、淀んだ痛みが鋭くなるのだったら、その方がいい。

 自分でつけた傷など、勝手に治ってしまう。

 相手に責められることで、ようやく罰となる。罪悪感だけでは、人は許された気になれない。許されたいだけではいけないのだ。

 だから、俺はこの痛みを深くする。

 それが家のために。四季のために。俺自身のためになると、妹達に信じてもらえて、俺がそう信じたいから。

いつも読んでくださりありがとうございます。

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もしアドバイスなどあれば教えてくださると嬉しいです。

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