第127話「長虫弁天12」
「いかん。吸いすぎた」
長虫弁天こと天ちゃんの入眠を確認した参鬼は、湿っとした夜風に吹かれながら、たくわえた髭を触る。
伸びた前髪も、後ろ髪も、全ては自分自身の顔を隠すためにやっていることだが、この時期になれば相当の鬱陶しさが垂れ下がっている。
そのせいだろうか。いつもより、煙草を吸いすぎたのは。
「いんにゃ、こんなのはもう慣れた」
心の推理に不正解を叩きつける。
分析など、とっくに済んでいた。何が原因なのかも。何が根拠として相応しいのかも。
不意に懐から取り出そうとした煙草の箱を、静かに戻す。
「鬼にバレたかもしれん」
「そうなのですます」
「…………あんたの不手際じゃないんか」
「そんなことないのですます。言いがかりはよすのですます」
突如、土の中から聞こえてきた声。しかし、潜れるほどではないし、わざわざ人が入れるだけの穴を開けた痕跡もない。それなのに、腹立たしいほどのおちゃらけた声に、また懐から煙草を取り出そうとした参鬼は、乱暴に戻す。
「それより、親子を追い返しておけば良かったのですます」
「そんなことしてもわっちに得なんぞなかろう」
「追い返さなかったから、バレたのですます。それは得でなく、損ですます」
「あんたらは家の都合上、弟子なんかとらないからそう言えるんじゃな」
悲哀に満ちた――いや、この場合の声音に言葉をつけるなら。
哀れみだ。
情けともいえる。
それを聞き受けた土の中の存在は、「それの何が違う」とでも言いたげな無言を表す。
見えない。聞こえない。感じ取るだけでも、不服を顕にしている。
「このまま参鬼が、技術を伝えること、剣術や体術の伝授を行うのが、身内だけにしてしまえば鬼の思惑通りになってしまうじゃろ」
「で、外部の子どもに刀道の技術を伝えるのですます?」
「今は少しずつ鬼に追い詰められている状況じゃ。わっちの居場所がてんでバラバラに、誰にも知られないようになっているのが証拠じゃし」
「そうしなければ、家族の皆が危険ですます」
「分かってると何度も言うたじゃろ。わっちが囮にさえなれば、目を欺けるって」
草履で声のする地面を踏みつける。踏んで、踏んで、土を均すような丁寧さでもなく。穴を開けるように。
「痛いですます」
「痛くないじゃろ。ふざけおって。囮のわっちが悪いみたいな言い方しおって。それだけならいいわ。百歩どころか一歩だけ譲って許してやる」
「一歩だけなんてみみっちいですます」
「そうじゃなきゃ、あんたの顔をぶん蹴飛ばせれんじゃろ」
これだから武闘派は。戦闘狂は。戦闘教は。
そう言いたげな土の中の存在は、踏まれ、足跡を刻まれるのを甘んじて受け入れる。
「なにより、長虫一家が悪いみたいな言い方しやがって。あん子らは何も間違っとらんのによ。わっちの弟子に向かってよくもまぁ、そんな無礼な発言ができたもんじゃな」
「……申し訳ないのですます」
謝罪の言葉を聞き、参鬼は豪快な地団駄を辞める。
やれやれ、ひと仕事終わらせたと肩を竦め、呆れながら懐から煙草を取り出す。そして、一本だけ口にくわえる。
作務衣の袖で、器用に掴んで、腕も手も指もないのに、ライターをかちかちかちかち、と焦って動かす。
蛍よりも苛烈な光が煙草の筒についたのを確認できれば、息を吸い込む。
「ふぅ……」
「長生きできないのですます」
「あんた、馬鹿じゃろ」
「ド直球の暴言に言葉もないのですます」
生命力が煙として吐き出す参鬼。それは真っ白で。暗闇に溶けていく。
「わっちらは生きたくて生きとるわけじゃないやろ。まぁ、神様がおるんじゃとすれば神のうんたらで死んだりするかもしれんが。
神の存在証明ができなくて、不在証明もできないのだとすれば、人の生死なんぞは他人が決めつけることもできないじゃろ」
「暴論であることに目を瞑れば、それはそうですます」
「生きたいから生きとるんじゃとすれば、生きたくて死んだ奴は祈りや願望や欲望が弱かったという話にもなる。しかし、そんな単純な話でもなかろうて。
特に、死ぬ訳でもないから生きとる。そのくらいの価値観でいなきゃ、長生きなんぞできん。健康に気遣ったとて、他者の忠告を聞いたからといって、わっちの責任はわっちが取るべきじゃろ。
まぁ、今あんたが言ったから素直に従って、死んだ時の言い訳にしてやろうとも思うが」
「勘弁して欲しいのですます。あの世にはとんでもない人しかいないのですます。死んだ後が怖いのですます」
「あんたが死ぬ時なんざ、よっぽどのことじゃろうて」
夜空には、ある程度の星々が居場所を主張している。
生きているのだろうか。自分の目に写っているのは、昔の星の姿だという。だとすれば、消えてしまっても、それが誰だったのか。なんの星だったのかは気づかれぬまま、他の星々に目移りされる。
参鬼が、隠居生活している状況に、少しばかり似ているからか、感傷に浸る。
「わっちも、誰の気にも止まらず。勘づかれず、消えるんじゃろうな」
「そんなのことはないのですます」
否定的な土の中の存在。
参鬼は顔すら見たことも無く、ただただ生まれた時からこの辺境の山で生活している時までの面倒までを見てもらっている存在に、僅かばかりの期待を抱く。
「参鬼の一族は生き長らえるのですます。その中で、確かに参鬼紅葉様は生きるのです」
「わっちの技が生きてるから、わっちは忘れられないなんぞ。ありきたりな話はとうに理解しておるわ」
――後、下の名前を言うな。恥ずかしい。
と、ついでのように付け加えた注意も、相当の嫌悪感が滲んでいた。
「わっちが言っとるのは。他人がわっちを認識して、覚えているのかという話じゃ」
「長虫弁天がいるですます」
「ありゃ、弟子じゃが。いつまでも刀道をやるわけでもなかろう」
「そんな人に教えるのですますか?」
理解できないと言葉の裏側に走らせる土の中の存在。
この先、長虫弁天が刀道をやり続けるかなんて分からない。参鬼に初めて負けたから躍起になっているだけで、他に負けるものがあればそちらにのめり込むくらいには、好奇心と行動力の化身である。近い将来も、遠い未来も、続けるだけの理由としては実に弱い。
だからこそ、土の中の存在は疑問なのだ。
投資するには、メリットデメリットが明確なほど採算が取れない。元が取れない。
一子相伝を、門外不出にせず他者へ伝授していくことのメリットよりも、その一族でしかできなかったからこそなし得なかった技術であることのデメリットが明白なのだ。
「別に参鬼だけがやっていることじゃなかろうて。壱鬼だって、手塩にかけて育てた一族を『鬼族』へ仕立て上げようとしちょるし」
「九鬼様ですます。あの方々は、『一刀流』を自己流再現できた功績があるのですます」
「自己流再現とか、ただの改悪技術じゃろて。『一刀流』はその単名に反して、馬鹿みたいに人外な動きじゃし、本人の力で登りあがったと評せい」
「貶したいのか、高評価したいのか分からないのですます」
「んなの、見ただけ評価の戯言にしとけ」
淡白に吐き捨てる参鬼。参鬼一族として、刀道の地位を得たプライドと、新入りを許容しなければ界隈が腐ってしまう懸念からの言葉は、大層無責任であった。
そのくらい、彼の隠居は天に上った星ほどの影響力なのだ。気づいた人間には、尋常ではない力を与え。見過ごせば、悪影響もない意思。
「それに四季じゃて、養子いれとるじゃんか」
「よくそこまで知っているのですますね」
「あんたが言っとったじゃんか。年寄り扱いしとんか」
またもや、土の中の存在がいるだろう場所を踏んづける。何の変哲もない凹凸もない土。月夜と星の輝きに染まった地面は、舞い上がるだけの変化を有していない。
ただそこにあって。
ただ、そこにあり続けるだけ。
参鬼の現状と、一緒である。
「まぁ、長虫弁天が『参鬼流』を覚えるかどうかは本人のやる気次第じゃて」
「やる気でどうにか習得できる難易度じゃないと思うのですます」
「うるせえの。わっちができるんじゃぞ。頑張りゃ、どうにかなるじゃろて」
いつの間にか、口元まで迫ってきた嗜好品の火。このまま吸い続けると熱すぎて苛立ちが勝る。
寝苦しい夜に、一時の快楽で吸っているのに、アホ臭い思いをするのは腹立たしいことこの上ない。
乱暴に、乱雑に。口に挟んだ筒を、足元へプッと吹き飛ばす。
地面へ落とし、土の中の存在へ嫌がらせでもしてやろうと、少しの嗜虐心がそうさせた行為で。山奥でやるのは、山火事を引き起こすから辞めろと行政が提唱していることを安易にやってしまう愚かさであった。
しかし、そんなことは重々承知の存在は、地面に置かれる寸前の煙草を――どうやってか不明なほど、鮮やかで真相解明が不可能なほどの速度で、回収してみせた。
「相変わらず、どうやっとるんじゃ」
「門外不出ですます」
「そんなとこ秘密にしてどうするんじゃて」
そう呆れるように言った参鬼であったが、山火事になることや火事やらなんやらを未然に防ぐためであったなら、有用な特技ともいえよう。
なにより、そのお陰で参鬼が煙草を吸えているとすれば、間接的かつ直接的な要因でもあるわけで。
喫煙者にとって、これ以上突っ込むのは野暮だと煙にまくのが懸命だと気づく。
「まぁ、長虫弁天のことはわっちに任せとけ。というより、どうするかは長虫弁天が決めることじゃが」
「意味があるとは思えないのですます」
「無意味じゃなかろ」
もちろん、参鬼としては完全な弟子にして鬼への対抗手段とするべきなのだろう。一族の意思はそうだろうが。それはあくまでも、表面上の話で、長虫弁天こと天ちゃんの意思を無視してまで巻き込む話でもない。
「少なくとも、童はわっちに勝つためなら修行する言うとるんじゃ。その尊厳は守らにゃ、教育者として失格じゃろて」
「喫煙者としては失格ですます」
「ぶん蹴飛ばすぞ」
二本目に作務衣の袖を伸ばしかけた参鬼は、別に土の中の存在が言っていたことを気にしたわけでもなく、決して、少しばかりショックだったからという理由でもないが、煙草を取り出すのは止めた。
そんなことは、ない。
そして、そんな会話を聞いている小さな存在に、気づいたわけでもない。
気のせいで済ませた方がスマートだと。大人としての嗜みだと、嗜好品を仕舞っただけに過ぎない。
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