第121話「長虫弁天6」
「僕、やっぱり負けてないよ」
参鬼の家の中で、絆創膏を擦りむいた膝に貼ってもらいながら長虫弁天こと天ちゃんは抗議の声を上げた。
『ドラむすこ』という国民的アニメのキャラが描かれた可愛らしいものを母親につけられながら、囲炉裏の火をいじっている参鬼の背中へ向ける。
「なんじゃ、言い訳するなら上手なものにしとかれ」
「言い訳じゃないよ。僕は負けてないよ」
「理由は? 根拠を説明できるんなら、言ってみい」
困惑した表情の母親を差し置いて、勇往邁進な天ちゃんの口は動く。
「まず、僕の木刀に参鬼さんの服が当たった」
「それより前に童が倒れたじゃろ」
「そ、そんなこと……あったけど」
思い出せば天ちゃんが倒れた時、まだ木刀は空中を飛んでいた。
作務衣に絡み取られる前だった。
「ほれ、わっちの勝ちじゃ。はい、茶でも飲まれ」
そう言いながら、参鬼は作務衣の袖に三つの湯のみが乗せられた盆を持ってきた。
両腕のない参鬼が、袖に乗せて。
驚愕な光景に、母親は目を丸くする。マジックを見せられた観客ならば、百点の反応である。
「ど、どど、どうやって乗せて?」
「見りゃ分かろう。袖に乗せとる」
「いや、どうやって」
「そんで、言い訳はそれで終わりか?」
華麗にスルーした参鬼。
というのも、聞かれ飽きたのが正しい反応だろう。
母親のように興味津々と聞く者もいれば、恐怖を抱く者だっていた。
その中、異質を放っていて、とてつもない才覚を有していた者は、決まって無反応と無関心を貫いていた。
今の天ちゃんのように。
「ん、んー。服を使うのは卑怯。言ってないから」
「わっちは勝敗の条件しか言っておらん。それ以外は、何をしても良かったわけじゃな。童かて木刀を蹴りおったやろ」
玄関先に、寒そうな家の出入口に掛けられた木刀。
そこには、いくつもの小さな凹凸が無数にあり、握り手は激しい損傷でもあったのだろう。滑り止めのグリップがぐるぐると巻かれている。
「蹴っちゃダメだった?」
「いんや。たまに蹴り飛ばす奴がおっての、戦い方としてはありじゃな。一発勝負になることを除けばな」
「……どうやれば、いいの?」
「そうじゃな。まず物を投げるなら投げやすいものにするべきではあるが、あんたは蹴ることを選択しおったろ。そもそも、木刀も刀も斬るための武器じゃぞ」
「使い方が違うってこと?」
「そうじゃな。使うのなら、そういう物にしとけ」
哀愁漂う重みに、天ちゃんは口をムッと結びながら、黙々と考える。
どうすればよかったのだろうか。
どうやれば、もっと良かっただろうか。
負けないためには、どうすればいいのか。
そんなことを悶々とし始めた様子を見かねて、母親は天ちゃんの膝を少し指先で小突く。
「いたっ」
「天ちゃん。参鬼さんは教えてくれるって言ってくれたんだし、聞いてみなさい」
突然のヒリついた痛みに、文句を言いたくなった天ちゃんではあったが、母親と目が合う。
その目は真摯に向き合っていた。
天ちゃんを信頼して、そして、優しく道を指し示すものだ。
気持ちが僅かばかりに軽くなった天ちゃんは、多少の言葉を選ぶ時間の後、問い掛ける。
「参鬼さんに勝つには、どうすればいいの?」
「勝てばいい」
なんでそんなことを聞く、と言いたげな純粋な疑問を声音で返す参鬼。言っていないのに、言っている。
一種の煽り文句に、憤りを見せたかった天ちゃんだったが、下駄の音に感情の高鳴りが抑圧される。
「冗談じゃて。すまんな。難しい話じゃが、小学二年生でわっちに勝つことは無理じゃね」
「それは……体が小さいから?」
「そうじゃな。体も小さい。筋肉も未発達。これから成長してくるだろう童が、現役剣士に勝てるわけもなかろう」
天地がひっくり返っても難しいだろう。
いや、ありえない話だろう。
遊びであるなら有り得るだろうが、真剣勝負であるなら、手を抜かない大人が相手であったなら、子どもに勝ち目は無い。抜き目もない。
「まず、筋肉と一緒に柔軟性を高めることが最優先じゃろうな。わっちに勝つことを想定するなら」
袖に乗せた湯のみの緑茶を飲み干す参鬼。
顔を覆い隠した白髪の中へ備前焼の茶器が吸い込まれ、出てきた時には空っぽなのは、一つのイリュージョンでもみたいだ。
「ほんで、鍛えるてなればそれなりに時間は掛かるが、童の学校はいつから夏休みじゃ?」
「え、来月……」
「ほな、お母さん。来月からの夏休み全部を使って童の特訓にしてもいいかね?」
怒涛の如く、予期せぬことが起こった母親は少しフリーズする。表情が固まり、え? とびっくり仰天の声が漏れ出る。
「夏休み、全部?」
「まぁ、そのくらいは欲しいが。一週間でもいいがな。どちらにせよ、みっちり教えるためにわっちの家に泊まらせる必要があっての」
その言葉に、天ちゃんは目を輝かせる。
そりゃそうだ。この歳で、お出かけ以外、習い事以外での外出もそうだが、泊まりとなればウキウキとなって仕方がない。
しょうがないのだ。
「一週間、なら。全部だと、お盆に帰省予定があるので」
「ほな、一週間じゃな。詳しい日程は、お母さんと童が決めてくりゃええわ。あ、連絡先教えとかにゃいかんか」
そう言いながら、意気揚々と立ち上がった参鬼は、奥の襖を開け、ドタバタと箪笥の開閉を行う。時々、「どこやったけな?」と独り言ちる声が聞こえてくる。
「お母さん、ありがとう」
「ん? 何が?」
恥ずかしげに俯きながら、天ちゃんもつぶやく。
儚げだったものの、母が聞き逃すわけもない。
母親が優しく聞き返したのをつんのめりながらも、天ちゃんはしっかりと送り返す。
「刀道のこと。と、僕のこと。僕、頑張るから」
「うん。お母さんはずっと応援しているから、頑張りなさい」
ようやく、天ちゃんは子どもになれたような気がした。そんな気がした。
その後、ようやく参鬼が持ち出してきたのは今や絶滅危惧種のガラケーで、もうそれは使えないからと天ちゃんに言われ、落ち込んでしまったのであった。
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