第119話「長虫弁天4」
山奥にある一軒家の隣。
薪が並んだそのすぐ近く、雑草が綺麗に抜かれた場所で参鬼と長虫弁天は向かい合っていた。
長虫弁天こと天ちゃんは、木刀を。
小学二年生が握るには、そこそこ重たいものを必死に握り直す行為を繰り返すことで、なんとか構えを作っている。
対して、正面の大人こと参鬼は、何も持っていない。
そう、何も。
「さ、童。ルールは簡単、わっちにその刀を当てたら勝ちじゃ。逆に童が地に伏せたら負けじゃ」
「当てたら? 残心とかは」
「なんじゃ、剣道もやってたんか。せんでいい、面倒じゃ。なにより審判はおらん。敬意なんぞは戦い方で示すのが刀道じゃて」
「そうなの……」
手にした木刀を掲げ、見つめる天ちゃん。
それを心配げに見る母親は思わず口を出さずにいられない。
「あの、相手は子どもですので加減とかは」
「するわけなかろう、と大人気ない回答が好みかね?」
「い、いや。そんなことはなくて。地に伏せたら、てことはうちの子を押し倒すてことですよね? 危なくないですか」
「わっちが木刀で殴られる可能性よりも優先すべきことだとすれば、わっちの実力を買われていると広義的に判断しよう」
決して不機嫌な言い方でもなかったが、皮肉には聞こえただろう。
ムッと口を結ぶ母親は、どうにも我儘な姿に見えてしまう。
「あんた、今まで他のコーチだの先生だの、そうやって言ってきたんか? 相手は子どもだから優しく教えてください。相手は子どもなんで、迷惑かけるかもしれませんけどとか、言ってきたんか」
「そりゃ、迷惑かけるかもしれませんけどとは言ってきましたけど」
「そりゃそうじゃ。子どものしたことの責任は親が取らにゃいけんからな」
またもや、下駄の音を笑いにしている。
軽快で、奇怪な声だ。
どこから出しているのか、気になる母親ではあったが、天ちゃんは初めて聞いても無関心だった。
淡白な反応というか。そういう人だと認識したのか。
「じゃからいうて、わっちが見極めるのに口出されるのは気に入らんの。あんたが頼んできたことじゃろうが」
冷たい切っ先が、喉元に突きつけられた感触がした。
気のせいなのに、気のせいじゃない。
母親の脈拍も、心の震えが明白となる。
「ま、あんたが断ってもいい。童が逃げてもいい。やるかどうかは任せたる。ほんでも、あんたが危惧していた勝ち続ける道に進むことになるがな」
参鬼はふらふらと上半身を揺らす。そして、何も言えぬままの母親の顔をちらっと見る。
悪戯っぽく。
そして、呆れた口の端。
それを見て、目の当たりにして。
縮み上がった感情は、グツグツと煮えたぎる感覚が押し寄せる。
「いえ、うちの天ちゃんが負けるわけありません」
「ほ、ほっほ」
参鬼は、若干の不安を隠すように強く言い放った母親を確認して、再び天ちゃんへと向き直る。
言葉ではなんとでもなる。
しかし、薄茶色の瞳は信頼に染まっていた。
それだけで理由は充分であった。
「じゃって、童。やるか?」
「やる。お母さんができるて言ったらできるから」
「ほんじゃ、童が動いた瞬間からスタートじゃ。よく考えて、よく戦略を練ってからするんじゃな」
そう言われた天ちゃんは、空へ突き立てた木刀を。刃先を参鬼へ向ける。
白髪で。髭もぼーぼーで。顔なんかも見えない。作務衣を着ているが、放浪者と勘違いしそうな見た目。
なにより、両腕の風通しの良さ。
それは天ちゃんにとって、攻め手を欠く――より勢いを削ぐだけに足る。
「あの、腕はどうしたの」
「切った。それがどうした?」
「いや、どうって……」
「童は、相手の四肢が充分でなければ戦えないのか? 五体満足しか相手にせんてことか?」
「そうじゃなくて……」
まだ始まってもいない。
しかし、ある意味でいうと。天ちゃんにとっての刀道は始まったのか。これからなのか。
言い淀む天ちゃんの態度を、吐き捨てるように参鬼は突き放す。
「腕がない。足がない。耳が聞こえない。目が見えない。そんな相手と戦うことになったのなら、警戒しとけ。童が思っている以上に、相手はそれでも生き残ってきた奴じゃ。
なにより、童がそうやって意識すればするだけ、負けに近づく。勝てそうだからラッキーと思っておるなら、童は勝てないじゃろうな」
今まで言われてきたからこその重みが。
怒りが。
真正面から天ちゃんへ投げられる。
面食らった顔の天ちゃんは、息を吸い込む。そして、重く、吐き出す。
「手加減てこと?」
「そう思ってもいいけどな。わっちが童相手に力加減を間違えるほど大人気ないわけでもないしな」
「……そう」
嘆息。
というのも、天ちゃんは未だに切り込むことに迷っている。
両腕がないのもそうだ。
しかし、それは片付いた理由に過ぎない。
天ちゃんが攻め手を欠いているのはそれだけじゃない。
「参鬼さん、だっけ」
「なんじゃ、まだ聞くことがあるんか」
「あるよ。いっぱいある。僕だって、たくさん武道とかやったから、分かる」
「小学二年生の童が一丁前に分かったことがあるんじゃな。そうかそうか、良かったの」
宥めるように。
嘲笑を込めた――煽り。
それでも、天ちゃんは全く気にもとめない。どころか、何を言ったのか聞こえていなかった。
聞きたいことを優先したいから。
重要だから。
「参鬼さんの重心はどこ?」
「……ほっほ。どこじゃろな」
「それに、リラックスした姿勢だけど僕のことしか見ていない。怖いよ」
「…………うむ。そうじゃろな。いやはや、童を見くびっておったことを謝ろう」
狡猾な唇は、下駄の音を鳴らす。
そんな口元でさえも、伸びすぎた白髪で見えないが。
焦燥感が表情からも分かるほど、呼吸を荒くした天ちゃんへ向け、残忍な声を放つ。
「武道の心得があるのなら、尚更手加減なぞできんの」
愉快な音色が聞こえた母親は、卒倒しそうだった。
なにより、やっぱり辞めておけば良かったと後悔が頭を覆い隠す。
しかし、彼女は天ちゃんを見て、ブンブンと振り払うように後悔を消し去る。
なにせ、天ちゃんは諦めていなかった。
恐らく、力量差でも体格差でも経験値でも、手加減されていたとしても、天ちゃんが負けそうな相手でも勝つためにはどうするべきかを考えていた。
それだけで、少しの満足感と多量の勇気を貰ったのだ。
後は、怪我ないよう祈るくらいしか、できることはなかった。
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