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第114話「初見殺し」


 長虫弁天の勘違いがあるとすれば、それは確信するには早計すぎたのもあるだろう。作戦決行の早合点。

 だとしても、そうせざるを得ないほど、長虫弁天に勝ち目が無かったのも事実。

 巧妙な足運び――蛇のような軌跡を描く『蛇足』。

 これが四季透に全て見られており、なにより、行く先々の予測まで完璧に捕捉されている。背後に回ったとしても、それが意表をついたとしても、対応される。

 拒絶される。

 呆気なく、いなされる。

 だから、長虫弁天が後回しにした疑問を見過ごすのも、無理もない。見逃すのも、仕方がないのだ。

 四季透は刀で長虫弁天の体を弾いていない。

 決して、断じて。ありえないのだ。

 それをなんとなくでも思考にいれていたはずが、すっぽ抜けてしまうのも、加速する戦況の宿命だろう。運命だろう。

 どちらにせよ、長虫弁天の勘違いはそれだけに留まらないのだから。


 長虫弁天が、四季透の危機感を煽って――攻撃を誘発してから。五メートルの距離を稼いだ長虫弁天は、これ以上ないくらい高揚していた。


(避けられる。避けられるんじゃ。そもそも、逃げるつもりで近付けばどうということはない。あんたの居合切りなんか、見えなくても見える前に動けばいい……! これを何度も繰り返せば、あんたは鬼の呪いで苦しいはずじゃろ)


 この戦い方を卑怯だと、端的に言えば簡単だろう。

 しかし、この戦況を覆すには相手の不利を徹底的に――執拗に狙う必要がある。

 それが戦いだ。戦闘だ。

 癖を見抜いて、一刀でねじ伏せた武士がいたように。弱点を見せた以上、それは本人がどうにかしなければいけない問題だ。

 対戦相手が気遣う理由にはならない。

 ならば、長虫弁天は再び足の指を曲げ、地面をしっかりと蹴る。

 さっきよりも早く、もっと加速させる。

 頭の中では音速よりも素早く。

 しかし、たった五メートルなんぞは、あっという間に四季透の間合いに飛び込む。


(また、性懲りも無く構えおって)


 四季透は、先程と変わらず居合の構えでいる。左手で柄を握り、飛び込んできた長虫弁天を神速の斬撃で薙ぎ払うつもりだ。

 しかし、今回もそうはいかない。

 長虫弁天は、彼の左の重心が傾いた瞬間。そして、指への筋肉が硬直した瞬間を、狙う。

 見ていたのはそこだけだ。

 見ていいのは、そこしかない。

 だから、その狙ったタイミングが訪れると得意の足で。強靭かつ柔軟な脚力で。後ろへ、はね飛びようとした。


(よし、今回も――)


 成功することがない。

 むしろ、恐ろしいのが四季透を見なかったことだ。

 長虫弁天の油断があるとすれば、彼の刀しか見なかったことだ。

 フェイントだろうと、駆け引きだろうと、刀を抜く素振りを見せたとしても長虫弁天の長期的目線では有利だと、勘違いしたこと。それが今回を招いた。

 危機を招待したのだ。

 四季透は、後ろへ飛び去った長虫弁天に。

 瞬間的速さはプロの陸上選手よりも速い長虫弁天の突進と、急な転身に。

 後退に。

 ピッタリとくっついてきた。

 そう、ピッタリだ。


(……!)


 無論、長虫弁天も予測はしていた。

 戦術を立てた時、穴を見つけることも行っていた時、まっさきに候補へ挙がったのが、四季透の行動。

 逃げ去る長虫弁天を追い掛けることだ。

 それ以外にあるとすれば、居合ではなく。居合切りでもなく。近づいてきた長虫弁天を神速の一刀で切り伏せることでもなく。再び刀を投げてくることも考えられた。

 もしくは、長虫弁天の体を吹き飛ばした()()()で対抗してくる。

 それは予想できていた。

 そして、長虫弁天がして欲しくない行動を取られたのだ。


 

――数分前の模擬訓練場――



 騒然としたのは、空気のどよめきで表現された。

 口々に言い放つのは、自分勝手で勝手気ままで、恐ろしくも他人事の言葉たち。

 今一度、それを形作るのなんてさほど苦労もしない。

 だとすれば、聞く耳を持たなくてもいいというものだ。特に、周りの喧騒から情報を得ている壱鬼も。さっきまでふんぞり返って、ディスプレイに映る戦闘者を見ていた九鬼も。

 気にとめていない。

 彼らの視点は別で。視線は違う。


「もし、四季透が刀を失った時。九鬼、貴殿は勝てると思うかい」


「…………想像したくないが」


 刀の持たない相手との戦闘なぞは、刀を持っている方が有利だ。リーチとしても。圧力としても。

 だが、九鬼は見ていたからこそ。見えていたからこそ。壱鬼の質問の苦味を噛み締める。


「勝てるつもりで動くが、快勝は無理だ」


「随分と自己評価が高いようだ」


「じゃなかったら、今まで戦ってきた相手にも失礼では?」


「それもそうか」


 壱鬼は大して気にしてもいない。今まで戦ってきた相手のことなど、気にしていない。

 それもまた、強者の一つの姿勢だろう。

 その背中を見てきたのだ。九鬼も。

 堂々を前を突き進む、一切背後のことなど思慮の一抹にもならないように。

 残酷だ。


「四季の、あの弾き飛ばしを何かご存知で?」


「見えていたのか」


「えぇ、一瞬だけ。他の者は見えていないようですが」


 中には、見えていた者だっているかもしれない。しかし、その声は掻き消される。

 どうして長虫弁天は吹き飛ばされたのか。

 また、弾き飛ばされるのか。

 それだけで雑踏の下敷きになるのは充分である。


「そりゃ、他の人が見えるわけもないだろ。かくいう、俺も見えていないが」


「あなたは見えちゃいけないでしょうが」


「それもそうか」


 おちゃらけるのも珍しい。

 九鬼は普段真面目を通り越して――度を越している姿しか見ていないからこそ、珍妙な光景だというのは理解できた。

 しかし、理解できないのは四季透の行動。

 彼の手札である。


「あれは、発勁に近いものだ。中国拳法の美しさは決してない、荒削りで無粋な技ゆえに、発勁と表現するのは不適切極まりないがな」


「……? 踏み込みはしていて、掌底(しょうてい)で放っているから発勁では」


「だから、違う」


 否定は冷たく、突き放す。

 九鬼の観測したものは、発勁に他ならない。最小限の動きを骨、筋肉から発しているのだから、中国拳法のそれと何も変わらないようにも思う。

 唯一、掌底というのが不思議でもあるものの、四季透の癖だとすれば、思考停止に拍車をかけやすい。


「あれは掌底で放っているのは間違いない。ただ、発勁ではない」


「……もう少し、簡単に言えないのかね」


 溜め息を吐き出しながら、九鬼は思考を回す。

 発勁ではない。仕組みが違う。その違和感を確かめれば九鬼は答えを見つけられるからだ。

 知識と違和感を繋げることができれば、知性となる。

 そんな彼の脳内には、発勁とはなにかの疑問の解消へと務める動きが見られる。

 

 発勁。中国拳法という枠組みではあるものの、意味合いとしては武術に使われる技術が正しく。

 それは運動量、この場合は踏み込みだったり、体幹を使って発生させた力を、対象へ肩、肘、手へ通しながら接触させ、技を放つ。

 これを発勁とすれば、四季透の動きをどうだったのか思い返す。

 踏み込み――していたか。していたのか? 普通に立っていなかったか。いや、どちらかといえば、動きすら無かった。受け止める動きはあったものの、それが力を発する道にはなっていなかった。

 防御ではあって、攻撃にはなっていない。

 肩、肘、手は――動いていた。

 そうしたら、接触した長虫弁天は吹き飛んだ。

 では、四季透の行動は明確な発勁とは呼べない。むしろ、簡略化されたものだと言うべきだ。


「つまり、四季のアレを発勁と定義したら誤解を招くかもしれないから言えないってことか」


「なんだ、理解できたのか」


「理解したくもない。無茶苦茶だろ。押し退けるだけなら分かるけど――いや、あの格好や体勢からじゃどうしてもそこまでの力しか出てこないはずが、壁へぶち当てられるまで飛ばされるのはおかしいだろ」


 九鬼の辟易とした、超人的行動への呆れを含めた発言の通り。

 おかしいわけだ。一般的じゃない。


「それが鬼の呪いだったりしないよな」


「少しばかりはあるかもだが。呪いを転じて恩恵にしている節はあるだろうが。しかし、あれは四季透が習得した技で間違いない」


「へー、何か名前でもあったり?」


 壱鬼の背後から問い掛け、どういった表情なのかは分からない九鬼でも、なんらかの気配を感じ取ることはできた。それがなにか。どういったものか。九鬼は覚えている。思い出すことだってできた。

 壱鬼が、喜んでいることを。

 自分が四季透との戦いを楽しみにしているのと同じように。


「『無刀流 零閃(ぜろせん)』。刀を触れなくなった、振るうことができなくなった時のため、四季へ残された初見殺しな技だ」


 

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