第108話「四季望と木の上」
四季透が暗闇の中を懐中電灯のひとりぼっちな光を頼りにしている頃、別行動となった四季望は模擬訓練場へと足を運んでいた。
どうして兄である四季透の観戦や応援に行かなかったのか。そんなのは、勝つのを知っているからだろう。
今までの全ての戦いを、一刀で切り倒した相手を見て確信しているのだ。
負ける理由はない。例え、長期戦を得意とした相手であっても、負ける理由にはならない。
そんな彼女が足を向けた模擬訓練場は、人がひしめき合っている。人混み、人の流れが停滞した集合地帯。光景を見ては四季望の眉は厳しい形を作る。
「…………嘘」
力無くつぶやく。言ったところで意味は無いが、言いたくなるのだ。出入口までも人がいる。
それを遠くから見える場所まで行くと、またもやつぶやく。
「あそこにいたってしょうがないでしょって。皆スマホで見てるし、そこじゃなくて良くない?」
自分自身が人混みを嫌っているからこそ、ああいった現場を観測しに来た人達が理解できないのだ。
なにせ、自分とは違う考えを不快に近い感情を抱くから。
そんな四季望が、コンクリートで敷き詰められた道を横断。適度な間隔で設置されたベンチに腰掛ける。
真後ろの木々が風にゆっくりと揺れる。
「……とぉ兄。大丈夫かな」
別行動したことを早くも後悔する。
四季透が勝つことは必然とも言える自信があったのに、自分自身が人の流れを縦断できるほどの自信はなかった。目測を誤った彼女は、どうしようもならない溜め息を吐き出す。
「…………寂しい」
何を意味したわけでもない。
ただ、目的を達成できなかった不甲斐なさに心が吹きすさんでいるのだ。
しかし、そんな彼女が、ゆっくりと息を吐き出したタイミングで来訪者がいるとは予想できなかっただろう。
「四季望ですますね?」
背後からの声に体を震わせながら、声の主を探す四季望。しかし、真後ろの木々には誰もいない。その奥の雑木林にもいない。かといって、目の前も左右を確認してもいない。遠くにいる人混みの誰もこちらへ視線を向けていない。こんな端っこで座っている少女のことなんか、一瞥する人間なんかいない。
だとすれば、どこから声がするのだろうか。
「どこにもいないですます。探すのも無駄ですますよ」
「……あの、急になんですか」
どこの誰とも知らない。それなのに、自分の名前を知っている。とすれば、警戒するのは当然だろう。なにより、四季透から「知らない男と話す時は気をつけなさい。最悪の場合は、武力行使で逃げなさい」とまで言いつけられている。
それを行使するべきかどうか、そこが大事な四季望はどこにもいないと言っている存在を懸命に探すのだ。最悪の場合を想定して。
「家族と一緒でないのは珍しいですます。入学してからずっと誰かと一緒じゃなかったですますか?」
「その口調って、面白いからやっているとかですか?」
「癖ですます」
面白くない。
四季望の率直な感想がそれである。
しかし、このふざけた存在がどこにも気配がないのは、どうにもおかしい。なんらかのカラクリがありそうな気はするが、それよりもどういう目的で話しかけてきたのかが一番の疑問だろう。
「一緒じゃないのはたまたまですよ」
「そうですます。鍛冶場でも用事があると言っていたですますね」
「……なんでそれを?」
不気味を通り越した感情が気色悪いと初めて知った。そんな顔をする四季望。顰めた眉が元の形に戻ることはなさそうに歪む。
「どこにもいない、それでもどこかにいるのが自分の存在ですます」
「そうですか」
「それで、用事を早急に尋ねて欲しそうな四季望へ、いくつか質問があるのですます」
この際、見透かされているのはいいとしよう。
不快な心にある程度の納得をさせるには、早々にこの相手と離れることだろう。
お互い初対面ならいざ知らず、一方的に相手が自分のことを知られていると心がキュッとなるのだ。なにより、話しにくいのだ。返事で会話を終わらせたくなるのだ。
「まず、別行動した理由というのはなぜですますか?」
「それは……聞かなくてもいいような。関係ないのでは」
「関係あるからですます。もし、四季望が壱鬼様の試合を観戦するためですますと、自分自身がそれを止めねばならぬ状況にあるわけですます」
「止め? え、いけないことですか」
この世に試合観戦を止められる理由があるとは思わなかった。そのくらいの衝撃が四季望に叩きつけられる。
「あらゆる可能性を考慮した結果、模擬訓練場に四季家の者を近づかせないことが重要だと壱鬼様も判断されたのですます」
「壱鬼さんが? え、理由とかって」
「理由はいくつかあるのですます。しかし、話せる内容が制限されているために答えられるものも限りがあるのですます」
四季望には、少しの嫌な予感がしていた。この「ですます語尾」が理由を話してくれるとは言っていても、結局色々質問した結果、当たり障りない答えしか聞けず徒労に終わる気がしているのだ。
そういうのをアニメや漫画でよく見る。今の状況にピッタリくるのだ。だから、疑惑の目で辺りを探る。
「そんなこと言っても、無難な回答だけで終わらせるつもりじゃないですよね?」
「では、試しに聞いてみるですます。そうするのが疑問の解消に効果的ですます?」
ですます口調に疑問符がつくとこれほどに苛立つ表現なのかと、四季望は嘆息混じりに思考を回す。怒りを湧き上がらせるには、まだ対象を見つけられていない。声は近くにあるのだから、そのうち見つかるはずだ。その時に、なにかできればそれだけで満足なのだ。
「……壱鬼さんが、四季家を近づけさせないようにしたのはどうしてですか?」
「壱鬼様は四季家との接触を禁じているのですます。それは家同士が不仲だとかではなく、壱鬼様へ掛けられた鬼の呪いが原因なのですます」
言ってくれるのか。
四季望は、呆気なく話してくれた理由に若干の拍子抜けな印象を抱く。アニメ通りにしてくれないのか、と僅かな期待はずれさえある。
しかし、そんな期待はずれな反応に対して、四季望の気持ちは少しだけ下がる。
(鬼の呪い……。あたしには分からない世界……)
四季の名前を持っていながら、血は繋がっていない。故に、長きに渡る鬼との因縁から遠い場所にいるのが、四季望である。元々孤児であった彼女は、四季家の当主。つまりは、四季透や姉妹達の両親に迎え入れられた。
養子である四季望に、鬼の呪いは発現していない。それがなんとなくの疎外感となっているのは言わずもがな。自分自身だけ、兄達の苦しみを本当に理解できないのがもどかしいのだ。
だからこそ、彼女が模擬訓練場に足を運んだのは自然な流れとも言えるだろう。
(とぉ兄には姉さん達がいるから、いざとなったら姉さん達がなんとかするはず。あたしは、少しでも敵になりそうな人から情報を集めないと)
そんな思惑があって行動した矢先、人混みに出鼻をくじかれ、更には姿を見せない誰かに話し掛けられるなんて思いもよらなかっただろう。今後数日、思い立ったが吉日を恨むような出来事の連続である。
「厳密に言えば、壱鬼様が四季家を見てはいけないのですます」
「それが鬼の呪いと?」
「ですます」
見てはいけない。とすれば、中尼が対戦した時に目が見えていないという証言に繋がる。
壱鬼は意図的に目を閉じている。それが、四季家を見てはいけないことだとすれば。
「厳重すぎませんか? これだけ人が多ければ誰が誰なんて分かりませんよ」
「それは鬼にも言えると思うですます?」
「分かりませんけど……」
「壱鬼様の呪いは鬼と視界を共有していると言っても過言じゃないのですます」
「それこそ、鬼と共有されているなんて誰も分からないんじゃ」
昔からの言伝と呼ばれる呪いの説明は、鬼が生命力を奪っている、というのが四季家に伝わっている。しかし、それがどうしてなのか。なぜ、生命力を奪っているのかなんて根拠は不確かでしかない。
だからこそ、視界を共有していると言われても、実際にそうなのか確証らしきものが欲しい。そうすれば、四季透や姉達に伝えて、動き方を決めることだってできるからだ。
「分かるですます」
しかし、どこからともなく聞こえてくる声は、確信をもって断言した。
確固たる自信の確信で。
「分かるって……」
「鬼の居場所を掴むことができたのですます。といっても、大元ではないのですますが、その鬼達が壱鬼様の視界から情報収集していたり、四季家から奪い取った生命力で活動するための力を蓄えていることも、判明したのですます」
「……」
鬼がいる。
オカルトじみていて、それでも四季望の家族を苦しめている元凶が存在している。
そのことを彼女は、歯の食いしばりで実感するのだ。
「ゆえに、壱鬼様との接触や視界に入ることを禁じなければいけないのですます。模擬訓練場の人だかりもそのためですますから、協力してもらうのですます」
「あんなことまで……」
四季望は若干の怒りを滲ませる。自分の思惑もそうだが、人混みを苦手とする人見知り人間が、思い切って行動した理由を踏みにじられたような気さえするのだから。
だが、この「ですます口調」が言っていることを信じるなら、とりあえず聞いてみるのなら、模擬訓練場の人混みを見て即座に引き返したのは正解で、相手の計画通りとも言える。
いや、四季望はそこまで考えて改める。
「適当な理由をつけて、壱鬼さんの戦術をあたしに見られることを嫌ったとかじゃないですよね?」
「それもあるかもですます」
「……」
相手の方が上手だというのもそうだが、そもそも四季望に話術で勝る経験がない。言い争いだってしたことはない。いつだって、そうだ。相手が気に入らなくて一方的に拒絶してきたのだから。
話し合いでの摩擦を嫌い、摩耗することに精神は悲鳴をあげる。
だから、答えのない相手から引き出させるのは困難だと悟り、溜め息を吐き出す。
「分かりました。壱鬼さんへ近づかないようにします。それでいいですか?」
「頼むですます。『鬼族』のためにも」
「そういうのはよく分からないので」
どうにも、この相手は『鬼族』の誰かだという以外に情報を得られなかったのは悔しいとさえ思う四季望。
いや、壱鬼が接触を拒んでいて、その目は鬼との共有財産になっていることが得られたのなら、充分だろう。壱鬼の戦術や戦い方、刀の特徴を見られなかったのは残念だが。
四季望が一度でも壱鬼の癖を覚えてしまえば、それを使って四季透と作戦を考えればいい。二人で会える口実もできる。
そう思えば、損が多いようにも思うものの、この「ですます口調」がしつこそうなのは第六感でも分かるのだ。
(でも、このまま何もしないのはなんか悔しいな。フェリーの時の人だろうし、あの時も見えなかったから……)
思い立ったが吉日を恨むことは、悪いことがあった時でいい。
今思いついたことは、自分の憂さ晴らしに近い。
なにより、自分だけ知られていて、相手のことを知らないのも気色が悪い。話しにくい。いや、そもそも話は好きじゃないし、会話もあんまり得意ではないのだが。
そんな四季望が、なんとなく。
なんとなくだ。
「では、失礼するで――」
「――やっぱり、ここですか」
四季望の背後へ十メートルほど離れた木の上。
初々しい葉っぱの隙間にいた存在を目撃するだけに飽き足らず、不意をつくように目の前に現れた四季望。
「――――――――――!」
彼女の眼前には、小さな小さな存在。自分どころか、他の誰よりも小さくて、こじんまりとしていて、可愛らしい女の子がいたのだ。
そう、女の子だ。
そんな女の子は突如現れた四季望を見て、目を見開き、声にならない悲鳴をあげ、それだけじゃ物足りなかったのか、本意気の叫びを轟かせ、辺りをざわつかせたのは言うまでもない。
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