第105話「バチコーン」
なんとかかんとか、夜目が多少なりともきくことを活かして階段を降りた。というか、せめて足元灯とかないのか。そう思って、図貝先生に尋ねてみたが。
「ないわよ。というか、懐中電灯持ってくれば良かったわね。ちょっと待っててくれる?」
そう言いながら、急いで階段を降りていく図貝先生。コケたりしないか心配だったものの、全くそんな素振りを見せなかったどころか、鼻歌まで歌いながら優雅に行くのだ。待つことになった俺達にとっては、暗闇の階段下から聞こえてくる野太く、麗しい歌声に恐怖を抱いていたのだが。
お化け屋敷のギミックとして、かなりの完成度がある。
「お待たせ〜。さ、ワタシが照らすから進みましょうか」
暗闇に突然、図貝先生の笑顔が浮かんできた。
さっきまで階段下で探し回っていたはずなのに、どうしてこの短時間で懐中電灯を見つけて戻ってくるのか、カラクリが気になるところではある。
なにより、音がない。
現れた図貝先生にびっくりした叶、夢も含め、さっきまで鼻歌を歌っていた声が潜み、無音で目の前に出てきたのには腰を抜かすし、忍者かとツッコミたくもなる。忍者がどういった存在かは文献の一文だろうと見ていない粗末な考えだけど。
そんなこんなのお化け屋敷の体験を済ませ、階段を降りきってから、辺り一帯に気配を探る。
「……兄様、広いですね」
どうやら同じように探っていた夢は、この空間にまっさきに気づいたようだ。遅れて、自分も感じ取る。
確かに、広い。
「これ、仕切りとか。部屋の区切りがない……。柱くらいしかないよな」
想像しやすいとすれば、地下駐車場だろうか。ホテルや都市にありがちな車を一箇所に集めるために、地面をくり抜き、そこへ多数の自家用車社用車を詰め込んだ箱庭だ。
秩序があるとすれば、駐車料金であって。
無秩序であれば、誰でも止められることだろうか。
しかし、そんな場所が月見高校にあるとは思えない。
「先生。電気は点かないの?」
「あら、もう暗いのは平気になったの?」
「あたし達が苦手なのは、暗闇の先が予測できないことであって、こんな感じで暗闇の空間は苦手じゃないて言わなかったけ?」
「そうだったかしら? まぁ、元気になったのなら良かったわ。電気に関しては少し待ってね。対戦相手の子が来るまでは難しいみたいだから」
難しい……?
どういうことだ。
頭を傾げ、少しばかり考える。嫌な予感もするからだ。
「サプライズ目的とかじゃないのよ? 電気つけてはい、豪華な試合会場どーん! とか、ワタシの柄じゃないし」
そうなの? 結構しそうなイメージだけど……いや、しないか。この人、先にプレゼントの内容を話して、その中にちょっとした小さな贈り物をするような人だろ。
ここぞという時以外、驚かせるのは感情がもったいないと考えてそうだ。オカマのヒーローを目指しているのなら、まっすぐ動くだろうし。
「電灯がね。突貫工事で治している最中なの。といっても、新しい物に交換するだけで済んだし電圧も問題ないの。何十回とテストしたし、試合時間まで規定の光量は確保できてるからいいんだけど、やっぱり無駄にできないじゃない?」
「本番でいきなり停電とか目も当てられませんもんね」
「正しくお先真っ暗よ。万が一を考えたらそうなりそうだし、ね」
ケタケタ笑っている図貝先生。どうなんだろうか。俺から見れば、綱渡りにしてはなかなかの危うさを持っていると思うんだが、それでも気丈に振る舞うというのは。気楽に進むというのは。難しいだろうに。
「だから、懐中電灯だけでごめんなさいね」
図貝先生が俺の手元に白色のプラスチックに覆われた重みを手渡してくる。受け取ると、筒の先から広がる光に僅かな揺らめきが生じる。
真っ直ぐ先を照らし、足元を揺らし、空間を突き進んでいく光を手にした時、少し、重くなった気がした。
「そういえば、叶ちゃんも夢ちゃんも、小さい頃怖い思いをしたって聞いて、ワタシも怖い経験をしたことがあるのを思い出したわ」
突然、図貝先生は語り始める。
かつてのオカマのヒーローを慈しむように。過去の不利益や不名誉であっても、確かな自分だと言っているように。
「ワタシもね。暗いところ苦手なの。狭くて、暗いところとか特に。なんだか、世界に自分しかいなくて、途端に誰からも見捨てられて、自分の生きている範囲が勝手に決められた感じがして苦手なの。二人とは、怖いの観点が違うから共感は得られないかもしれないけど」
そんなこと、叶も夢も気にしていない。そう言いたいが、図貝先生は前を見つめる。
光が放射状に広がり、僅かに見える灰色のコンクリートの柱を、ただただ思うところもなく。
「だから、慰めようとか経験則を語ろうだとかは思わないわ。今の時代、怖いものに名前がついて、様々なものに治療薬や方法ができてきて、いい意味で理解できる世界になってきたから。ワタシが症状の断定だとかしちゃいけない時代になったから、余計に憶測で色々言っちゃいけなくなったし」
そもそも、慰めようとする人だったのなら、妹達を即座に帰らせただろうに。図貝先生はそんなこともせず、妹達が「大丈夫」だという言葉を信じてくれた。
いや、信じてはいなかっただろうけど、その言動に責任を押し付けてくれた。
大丈夫と言ったのだから、と自己責任にしてくれた。
もちろん、それだけじゃなく、取り乱してしまったらそれ相応の対応をしてくれたんだろうし、その準備だってできていたはず。
信じて、信じなかったからこそ、今妹達は階段下まで降りてこられたと思う。
「それでも、何か勇気の後押しになりそうだから言うんだけど。異形だとか、異変だとか、驚異的な存在だろうと、化け物だろうと、狂った人間の方が怖いから気にしなくてもいいのよ。いざとなれば、発狂しちゃいましょ」
「教職員がそんなこと……」
思わず、引ききった声が出てしまう。いやなに、恐怖への対策は安心出来る存在の確保だったり、拠り所だったりするはずだろうに、図貝先生はいきなり狂った方が勝ちの言い分を出してきたのだ。
そりゃ、思考処理にエラーがでる。叶や夢だって、追いついていない。ポカーンと、図貝先生の顔を見ている。
それなのに、満足そうなのはどうだ。よく分からないぞ、それこそ。
「あら、ワタシは酷く的を得た発言だと思ったのだけど。実際、貴方達ワタシを怖いと思ったでしょ? 自分にとって予想外のことを言うって、恐ろしいでしょ?」
「そりゃそうですけど……」
「異形だってそう。ワタシ達が予想していない存在だから怖いだけであって、それすらも飲み込んで、相手の土俵に立ってやった時、初めて相対と呼べるんじゃないかしら。
なにより、戦いにおいて相手が想像以上のことをしてくるのなんて、当たり前じゃなくて?」
「そう……ですね」
確かに、それはそう。
戦術とやらは、いつだって第二第三の手を隠し持っている。見えたものが全てじゃないし、見えないものが全てでもない。
突拍子もなく繰り広げられ、危うく翻弄される。
桜坂さんや雨曝君。中尼君だってそうだ。
彼らの動きには、基礎だけじゃない。あわよくば、反撃ののろしとなりうる一手を狙っていた。
それが見えていた――というより、そうするだろうと予測を立て、対応していったのは他でもない俺だ。
「もちろん、異形て言うんだから人間の人智を超越しているかもしれないけど。悔しいじゃない? 自分が何も出来ず、負けを認めなきゃいけない戦況って」
「「……」」
叶も夢も息を飲む。
隣にいて俺も理解できる。
桜坂さんや雨曝君の悔しさは正しく、図貝先生の言っていることだ。もちろん、技術不足だったり鍛錬の成熟度がどうこうかもしれないが。なんにせよ、負けを認めなきゃいけない戦況というのは、腹を切ることに似ている。
つまり、叶や夢は自分達が知らないうちに切腹しており、異形への負けを示していたに近いのだ。
それはそれで、屈辱だろう。
「それに、ワタシ達から見れば異形だとしたら。相手から見たワタシ達も異形のはずよ? そう思えば、ある程度楽になりそうだけど、無理強いはしないから。ちゃんと苦しい時は苦しいて言いなさいね」
バチコーン、と古めかしい銃撃音が図貝先生の右目から炸裂する。
なんだろう。ちょっと、だけ。かっこいいな。そう思ってしまった。
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