ヒーローからは逃げられない
駅前の雑居ビルに掲げられたサイネージに「都内高校にまた怪人現る。駆け付けたヒーローに取り押さえられ被害者無し」とニュースが流れた。道行く人々はちらりとニュースを眺めるが「またか」と思って誰も気に留めなかった。
青木昌也は悩んでいた。まさか転職先が悪の秘密組織のフロント企業だったなんて。
昌也が長年勤めていたイベント会社は不況の煽りを受けて倒産し、職を失った。男手一つで育てた娘に心配をかけまいとして、やっとの思いで見つけた転職先は煎り黒豆の製造販売会社だった。拡販業務ならば昌也の前職の経歴が役に立つと考えた。その判断は正しく今日マネージャーに昇進したのだが、悪の秘密組織であることを知ってしまった。
煎り黒豆は、魔空間ロースト製法と呼ばれるもので製造されていた。釜が魔空間に繋がっており、負の感情を取り込んでふっくらローストされる。中毒性のあるその煎り黒豆を食べた人間は負の感情を増幅させ怪人化する。怪人化したものたちが次々と事件を起こせば社会情勢は混乱し不安定となる。悪の秘密組織はそれを狙って世界征服を企んでいた。
「お土産として持ち帰っていた煎り黒豆、私も娘も怪人化しないだろうか。」
昌也の娘、沙也は困惑していた。放課後、家から持ってきた煎り黒豆を友達とつまみながらお喋りをしていた楽しい最中に、父娘を捨てた母からの突然の電話。「一緒に暮らしたいから会って話がしたい」との事だった。今更、何のつもりなのか。
沙也が五歳の頃、母は怪人に襲われかけた。その母を助けたヒーローの元へ「真実の愛を知った」と言い残し家を出て行った。「ヒーロー、助けた一般女性と結婚」とのメディアの記事で、その後の母の動向を知った。捨てた父娘の事は一切触れられていなかった。ヒーローの聖人君子像を維持するためには不都合だったのだろう。
昌也の元妻で沙也の母である広野登里子は夢見ていた。夫の連れ子がヒーローを引き継いだ今、夫のサポートでの多忙な日々は過去となり、潤沢な謝礼金で悠々自適に暮らせるようになった。時間を持て余した登里子の脳裏には、幼かった娘の姿があった。怪人との戦いに巻き込みたくなくて仕方なく置いて行った娘に詫びたい。埋め合わせをしたいと考えていた。
昌也は、日が落ちて暗いままの自宅リビングのソファーにもたれかかり、天井を意味もなく見つめていた。レースのカーテンだけの窓から外からの僅かな光が入り込み、リビングテーブルの脚に影を作っている。娘に何と言おうかと悩んでいた。
玄関からドアの開く音がして、廊下の灯りがついた。リビングにつながるガラスドアから光が漏れる。沙也が帰ってきた。
「わぁ、お父さん帰ってたの?びっくりしたー。灯りも付けてないから居るとは思わなかった」
沙也は壁の照明スイッチを押した後、遮光カーテンを閉めた。
「またうちの学校で怪人出たよー。何度目だよ、怖ぇー」
「おかえり、沙也・・・あのな・・・」
「ん、何? あ、そうだ。あの人から電話あった」
沙也は母のことを「あの人」と言う。父娘共に捨て男のところへ行き、大切な時期に母親の役をこなさなかったのだから母とは呼びたくは無いのだ。
「登里子は何だって?」
「あの人、私をあっちに迎えて一緒に住みたいって。今更何だよ、自分勝手な。会って話がしたいって言うから文句を言ってくるつもり。一緒に住む気は無いってもね」
「あ、ああ・・・うん」
昌也は言い出せなかった。職場が悪の秘密組織だったこと。このまま元妻と暮らした方が悪の秘密組織から遠ざける事ができる。ならば余計な事は知らないままの方が良いかもしれない。
日曜日の午後、沙也はカフェの四人席の窓際に座っていた。通路側右隣には母、登里子が座っている。そして正面には登里子の今の夫で一世代前のヒーロー広野元、その隣には息子で今のヒーローである広野那宇が座っていた。取り囲まれているという表現の方が正しい。意図は見え見えだ。一緒に住もうと数の論理で説得するつもりなのだ。ここには居ない育ててくれた父の意志など完全に蔑ろにされている。
広野元および那宇は共に目立たないように帽子にサングラス、地味な服装をしているが、マッチョな体型と隠し切れない溢れ出すオーラによって凡人には見えない。席も窮屈そうだ。また登里子も服の素材と仕立ての良さ、凛々しい顔立ちのため大女優感がある。この席だけ次元が違っていた。カフェの客たちがちらちら見ている。
「どういうこと?二人だけで話をすると思ってた。この人達が来るなんて聞いてないけど」
沙也は登里子の方を向いて、キッと睨んだ。登里子はティーカップを口につけたまま沙也を見ようとしなかった。その代わり広野元が口を開いた。
「沙也さん、私たちは家族になるんだ。ならば家族全員が揃うのは当然のことだろう」
「わたし、一緒に住む気も無いし、あなたたちと家族になるつもりもありません!」
沙也は両手でバンッとテーブルを叩いた。テーブルの上のグラスが揺れ、水が波打っている。那宇はコーヒーカップを宙に浮かせたままの姿勢で沙也を凝視した。
「それにあなたとあなたは無関係です!血の繋がりも無ければ縁もゆかりもありません!」
正面の広野元、次に隣の那宇を指差す。そしてその指を登里子に向けた。
「今日はこの人に文句を言いに来たんです。私たちを捨てて、今までずっとずっと放っておいたくせに!」
席を立って隣の登里子を見下ろした。今までの母の居なかった寂しい思いが怒りに変わっていた。父しか来ない入学式や卒業式、参観日や運動会。周りの友達は両親揃っていて羨ましかった。友達の家ではお母さんの手作りお菓子や料理が出てきた。父は多忙な仕事をこなしながら育ててくれた。それは十分よく知っている。けれども父が仕事から帰って来なければずっと一人だった。母が居ないのは寂しかった。この寂しさはあなたが出て行ったせいなのだから。
「結婚しよう!」
場違いなセリフに沙也はフリーズした。恐る恐る声の主と思われる那宇の方に顔を向けると、頬を赤らめた那宇が目をキラキラさせていた。
「顔が気に入った。怒った顔も素敵だ。結婚すれば俺たちは正真正銘の家族だ。そうだろう?」
心底キモイと感じた。バカにしているのかとも思った。沙也は急いでこの場を立ち去りたくなった。
「帰る。もう話したくない。ちょっとどいて」
通路側に出るために登里子に席を開けるよう促したが、登里子は沙也を見つめるだけで動こうとはしなかった。
「お願いだから通してよ、お母さん!」
はっとして口を手で塞いだ。認めたくなくとも自然と出た言葉だった。登里子はその言葉を聞いて沙也に対してニマっとし、広野元に向って言った。
「あなた聞いたかしら。今、この子は私の事を『お母さん』と呼んだわ」
「ああそうとも。私も確かに聞いた」
何なんだこの人達は。気味が悪い。人の事をまともに扱わないし話も通じない。沙也は気持ち悪さと怒りを未だかつてない程感じた。するとお腹の奥底のどす黒いものがウニョウニョウニョと渦巻いて広がって感情を支配されたようで、意識が遠のいていく感じがした。
うぐげげげ、ぎゃおーーーーーーーーーーんっ
日曜日の午後、幹線道路から少し奥まったレンガ風の小道の脇にあるお洒落なカフェの、芸能人と思わしきオーラのある客が座るテーブルの中から一人の怪人が現れた。怪人はたまたま居合わせたヒーローに取り押さえられ、連れ去られた。その状況はすぐさまカフェに居合わせた客たちに撮影され、SNSへ動画がアップされた。
沙也が怪人化した事はニュースにはならなかった。怪人による被害が無く、すぐさまヒーローに取り押さえられた事、何よりヒーローの身内だったためだ。SNSでの動画は一時期拡散されたがすぐ収束した。
しかし沙也の父、昌也はそれを見ていた。日曜日から沙也は帰ってこない。警察へ捜索願いを出したが連絡もない。SNSで情報が無いかと探していたところで見つけた動画に、元妻の登里子の姿と沙也の面影を残した怪人が映っていたのだ。登里子の事だ、怪人となった沙也を自宅にを監禁しているだろう。「待っていろよ沙也、助けに行くからな」と昌也は決意した。
「ぎゃおんぎゃおんぎゃおん(お父さん、何しに来たの)」
「ぎゃおんぎゃおん(助けにきたんだけど)」
「ぎゃおんぎゃおんぎゃおん(お父さんも一緒に閉じ込められてるよね)」
「ぎゃおんぎゃおん(面目ない)」
◇◇◇
怪人となった人を元に戻すには、牛肉の赤身に多く含まれるトリプトファンを摂取して幸せホルモンを大量に分泌させることであるが、それを知っているのは昌也も含め悪の秘密組織のマネージャークラス以上だった。ヒーロー監視下の昌也の協力により、今まで収監された怪人たちは全員元に戻り、悪の秘密組織も実態が浮き彫りになった事で解体された。
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