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千鶴子の日記  作者: 野馬知明
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土岐明調査報告書

土岐明調査報告書「千鶴子の日記」4


十月十五日


 詩とは、お菓子のようなもの。甘いのもあれば、辛いのもある。口に合わない、まずいものもあれば、おいしいものもある。好きになったら味を覚える。その味が、いつまでも心に残る。

 自分でまずいと思ったら、それ以上たべることはない。例えば、ロートレアモン伯爵の「マルドロールの歌」の詩のように、自分ではおいしいつもりで作ったものも、他人の嗜好に、そのあまりの晦渋さのゆえに、合わなければ仕方がない。それはあくまでも、個人の舌の感覚の問題であり、作られたから必ずしも食べなくてはならないというものではない。詩人は決して、他人に対して、

「自分の詩を味わえ」

と強要することはできない。でも、たとえ自分の口に合わないものでも、相対性の効果を信じて、吐き捨ててしまう前に、

「こういう味もあるんだなあ」

ということは知っていたほうが知らないよりもいいかもしれない。まずい物は、まずいなりに、おいしいものを引き立てる役割を持っているのだから。

 男の人も同じ。でも、男の人は詩と違って、味わったり、捨てたりするのに煩雑さが伴う。それだけ、男の人を味わうのは厄介だ。でも、わたしは、『クレーブの奥方』を書きあげた、ファイエット夫人のように、

「恋愛は面倒なもの」

として十八歳の若さで、恋愛の甘美な夢を断ち切ることはできない。ラファイエット夫人のように知的で、怜悧な女性にとって、恋愛は不確かで、面倒臭いものであったかもしれない。

 一人の男の人にひそかに思いを寄せ、それとなく感づかせることをしても、必ずその男の人の心を得られるとは限らない。その男の人の心を得られればいいが、得られないとわかれば、思いを寄せただけ精神的な打撃をこうむり、その男の人を完全に忘れるまでの苦痛を味わわなくてはならない。ラファイエット夫人は、そういう心理的な葛藤に耐えられなかったのだともいえる。

 それでもドンファンのような女もいる。多情で、うまずたゆまず男を求める女。彼女らは、振られるかもしれないというリスクが好きなのかもしれない。いわば、リスクラバーだ。わたしは、リスクを常に回避するリスクアバーターだ。

 宝くじを買い続ける人と、いちども買わない人がいる。宝くじに当選したければ、ぜんぶ買い占めればいい。でも、買い占めた代金は当選金を下回るのはわかりきったことだ。買わない人はそのことを考えている。買う人はそれでも、はずれ券を買うのはほかの人で、自分ではないと思っている。まさに、ドンファンだ。結果を分かっていても愚行を繰り返す。ちょうど、山の頂上まで岩を押し上げることができないとわかっていても、神に科された刑罰を永遠に繰り返す『ギリシャ神話』のシーシュポスのように。

 人はいずれ死ぬ。死ぬとわかっていても、生き続ける。人類はいずれ滅亡する。滅亡するとわかっていても、子孫のためによりよい世の中を作ろうとする。今あるということは、いずれなくなるということだ。今ないものが、いずれあるようになるという保証はどこにもない。そうであるとすれば、刹那に生きるしかないのか。

 アイドルたちの生きざまには、哀れさしか感じない。小学生の作文のような歌詞をくちずさみながら、発声練習もしていないような喉で、叫ぶ。売り物は同世代の異性へのセックスの代償物でしかない。それを裏で操り、巨万の富を築いている大人たちは恥ずかしくないのだろうか。所得を生み、経済に貢献するのなら、なんでも同じ。お金に色はついていない。みんながアイドルに熱狂し、CDを買い込み、写真集を集めまくり、テレビにかじりつき、そのお金を稼ぐためにアルバイトに精をだせば、経済活動に貢献する。精魂込めて作り出した製品で稼ぐお金も、いい加減なパフォーマンスで、性を頼りに稼ぎ出すお金も同じお金。

 自らの人間性を高めるために、沈思黙考、只管打坐、の生活をすれば、一切お金を生み出すことはない。経済活動は停滞する。景気は悪くなる。

 仕事に追われていたお父さんがリストラにあって、毎日家にいれば、子供たちや妻と濃密な時間を共有できる。子供たちにとっては、かけがえのない経験となる。でも、経済活動はゼロだ。

 数百年、数千年前と比較すれば、人類は経済的にどれほど豊かになったことか。便利さや経済的に豊かなことが、幸せを測る尺度だとすれば、

「不幸」

という言葉はとっくに死語になっていいはず。とすれば、便利さや経済的な豊かさを求めることは、

「幸福」

を求めることではないのか。でも、金持ちは、貧乏人を支配しているのは厳然たる事実だ。家政婦やお抱え運転手がいい例だ。家政婦や運転手を雇う金持ちは、家政婦や運転手の収入を支配している。それで生活をしている貧乏人の生産物を金持ちが買い捲れば、貧乏人の生活は金持ちに支配されていることになる。金持ちが必ず幸福で、貧乏人が必ず不幸ではないとすれば、経済的に豊かになることは、他人を支配することを意味する。

 あらゆる経済活動の中で、拡大を続けているのは医療だ。衣食住はいずれも必要だが、限界がある。衣類はいくらあってもクローゼットを増やせば邪魔にはならないが、身は一つしかない。「食」は、高級食材を求めるほかに、金額を増やすことはできない。どんなにお金があっても胃袋は一つしかない。「住」は部屋数を増やし、別宅を求めれば、いくらでも支出額を増やすことはできる。しかし、身は一つしかない。住むこともできない家を求めても意味はない。

 衣食住がどれほど、充実しても、QOLが失われれば、すべてが灰燼に帰す。命あっての衣食住だ。衣食住に支払うお金には限界があるが、医療に支払うお金には限界がない。経済が拡大し、衣食住の支出が拡大しても、いずれ頭打ちになる。しかし、医療には上限がない。人の命を救う医療は、存在そのものが善だ。いかがわしいサービス業の存在そのものが、胡散臭く言われるのと対蹠的だ。社会的に善と評価される経済活動には歯止めがない。長寿社会とは医療社会と同義だ。膨大な高齢者を抱えた社会の巨額の医療コストをいったい誰が支払うのだろう。

 わたしは、明日のことを考えないドンファンのように生きたい。そこで歌が生まれる。


 幸福なジュアン


  あなたの ジュアンは 死にました

   明日の 夕方 荼毘に 付されます

    あなたを 愛して     死んだ ジュアン

    あなたに 尽くして    死んだ ジュアン

  そのこめかみに 浮かんだ 模様は 仕合せ すぎて 流れた 涙


  あなたの ジュアンは 言いました

   愛されないのが 僕の 仕合せと

    あなたに 背かれ     死んだ ジュアン

    あなたに 騙され     死んだ ジュアン

  封もされずに 置かれた 手紙は あなたに あてた 感謝の 言葉


  あなたの ジュアンが 死ぬ前に

   あなたの 写真を 貼った アルバムを

    こよなく 愛した     あなたのもとへ

    すべてを 包んで     送りました

  日のよく当たる 小高い お墓に 埋めて ジュアンを偲んで欲しい


  この際  わたしの ことなんか

   どうでも いいのよ 知られたくないわ

    あなたを 恨んで     生きてきたの

    あなたを 憎んで     生きてきたの

  ただそうとだけ 教えて あげるわ ジュアンが荼毘に付された今は


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