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千鶴子の日記  作者: 野馬知明
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土岐明調査報告書

土岐明調査報告書「千鶴子の日記」1


七月


 あたかも、大学のキャンパスは、時節はずれのお祭り騒ぎ。今日に始まったことではないけれど、乱雑な立て看板が、俗悪な場末の映画街よろしく、銀杏の並木道や校庭や食堂の前の広場や噴水のある中庭に立てられ、そのかたわらで、浮浪者のような風采の自治会の連中が、得意げに、居丈高に、一種の陶酔にひたりながら、トランス状態で、など・スピーカーを小脇に抱えて怒鳴っていた。

 ワープロコピーのアジビラが、けがわらしいヒステリックな文章を載せて、校庭や校舎のわきの小道に週数のつかないほどに散乱し、机と椅子が、並木道の入り口と、校内への入り口に積み上げられていた。ちょうど、マチュピチュの空中の楼閣のように。

 きのう、二十四時間ストライキが学生大会で決議された。そして、今日の午後一時から、ふたたび、叫喚の渦巻く中で、学生大会が開かれ、無期限ストライキに突入した。

 高木さんや根津さんは、

「午後の授業をさぼって、学生大会に出るのだ」

と昼休みに言っていたけれど、彼女たちは、まるでカーニバル気分だった。彼女たちは、何かを期待していたのだ。一度、海で子供を失った母親が、ふたたび別の子供を海に連れてきて、その子供が溺死し、ふたたび自分に不幸が訪れ、日常生活のたがが外れることを期待するように。

 わたしは、授業を聴講していた。並木道で行われているアジテーション演説の、まるで選挙前だけ頼みに来る候補者の車の屋根のラウド・スピーカーから漏れる連呼のような罵声が、教室まで聞こえてきた。学生の中には、途中から出てゆく者もあった。授業の始まる前に、

「これから学生大会があるので、授業をやめてほしい」

といった学生もいた。そう言われた若い論理学の講師は、まったく要領を得ず、なぜ授業を行わなくてはならないのかという弁証もせずに、芝居小屋の呼び込みのように、

「えー」

とやりだした。この若輩の講師にとっては、ストライキも放射能汚染も、一切が別世界の出来事なのだ。授業を行おうと、やめようと、報酬にさし障りのない限り、どちらでもいいのだ。彼には、命を、誠意を、体を、かける対象が何一つない。毎日、いい加減に暮らしているのだ。陳腐なダジャレ、歯切れの悪い講義。彼が、あの時、授業をあえてやったのは、学生の提案を全く問題意識もなく受け入れることに、自分の意思が授業の取りやめに全く関与しないことに、抵抗があったからなのだ。

 授業が終わってから、銀杏の青葉が、空を埋めている並木道に行ってみた。暇を持て余し、スマートフォンもアイパッドも持っていない、パチンコをやる趣味もない、ガラケーしかもっていない、アルバイトにあぶれ、喫茶店にしけこむ相手もいない、流行に遅れまいとしている学生の群れが、並木道にたむろしていた。

 あいもかわらず、ガチョウののどを締め付けたようなアジテーション演説が続いていた。アジテーションの興奮に我を忘れた男が、セリフをど忘れした舞台の上の三文役者のように、声を詰まらせ、白けた雰囲気が学生大会を占領し始めると、あわててハンドマイクを拝むようにして両手で持ち、泣きそうな顔をして、声をしわがらせて、同じことを繰り返して叫んだ。

 あのおびただしい学生の群れ。そして、一握りのアジテーション演説家たち。さらに、

「ストを回避して学校側と話し合うべきだ」

(いったい、なにを?)

と言う反抗に反抗するグループ。

 みんなが何かをもとめていた。この一見果てしのない日常性の強靭な枠を突き破る何かを。有り余って仕方のない、使い道のない青春の血潮の処理を、何かとてつもない椿事にゆだねようとしている。

「ストライキを回避して話し合うべきだ」

という主張のアジテーションビラが配られた。でも、何のためにストライキを回避しなければならないのか?その説明がない。

「勉強したい」

というのが理由のようだけど、勉強なら大学でなくてもできる。勉強したいというのは少数だ。みんな、出席をとる講義しか出席しない。出席してもおしゃべりしているか、スマホをいじっているか、寝ているか、誰もノートをとっていない。教科書も筆記用具も持っていない。みんな大学ごっこをしているのだ。

 そして、

「原発阻止に向けて、絶対にスト権を確立すべきだ」

というビラも手渡された。なかには、

「中近東に平和と安定を!中国に民主主義を!」

というビラもあった。膚を守る衣服を身にまとい、飢え死にする心配もなく、銃弾に倒れ危険もなく、とつぜん官憲に連行されることもないこのわたしと何の関係があるのだろう。中近東の戦禍とこのわたしと何のかかわりがあるのだろう。

「集団的自衛権の導入で戦争に巻き込まれる」

とうそぶく者もいた。起こりもしない戦争、得られもしない恒久平和、知りもしないし、知る必要も、必然性もない憲法改正と、このわたしと何の繋がりがあるのだろう。

 自治会のストライキ支持派、どうでもいい無関心な連中、

「ストライキを回避しよう」

というストライキ派の影のようなグループ。これらの三者が、一向にかみ合わない歯車のように、たがいにかみ合わない三つどもえを演じている。かれらは本当は何を求めて集まっているのだろう?本当に純粋に原発と戦禍と民主主義への関心からなのか?

 答えは、

「ノン」

 それでは、ボードレールが彷徨し、ランボウーが逍遥したフランス革命の幻想を追っているのだろうか?それとも、レーニンが労働者大衆を率いたロシア革命の楼閣を宙に描こうとしているのか?それともゲバラがプロメテウスのように共産主義の火をつけたキューバ革命の幻影を求めているのだろうか?

 東西冷戦が終焉してから、すべての歴史が方向性を失い、混迷している。

 ああ、なんと夥多な、愚か者たちの群れ集まりなのだろう。まるで汚物に蝟集するハエのように、甘藷にたかる蟻のように、大学ゴッコの茶番に群れを成している。まるで、目隠しをされた馬車馬のように、痛くもない鞭にそっと打たれて、とろとろと走り続ける。そして、自分ではどこに向かってちんたらと疾駆しているのかわからない。恐るべき盲目のものたちの集団。各人は乱数のような行動をとり、ロールシャッハの左右対称のインクの染みのような意見を吐く。でたらめで、間に合わせで、いきあたりばったりで、借り物で、いい加減で、無責任で、一貫性がなく、一定のあパースペクティブもなく、しかも明確なヴジョンもない。

 なぜ、彼らには見えないのだろう。この世界は平たんで、起伏が全くないということが。

 やがて行き着くところが、那辺なのか。どうして見ようとしないのだろう。上に行けば天空が広がり、宇宙には果てのないことはわかりきったことだし、水平にゆけが地球は丸いのだから、マゼランのように、いつかは出発地点に戻る。下に行けば、マグマの焦熱地獄。

 このハシカのような乱痴気騒ぎは、砂漠に振った雨水が際限なく吸い込まれていくように、三流ジャーナリズムの砂漠に吸収される。あとかたもなく傍流ジャーじゃリズムに吸収されれば、驟雨のあったことすら忘れ去られ、豪雨も椿事ではなくなる。ちょうど、革命が起これば必ず革命政府が作られ、政府があるという園では革命以前に戻り、革新が保守となるように、椿事が起きてニュースになれば、もはやそれはスキャンダルではなくなる。

 ひとたび目指していたことが成就されれば、その過程で人々が得た心の高ぶりは過去のものとなる。だからゲバラはキューバをさったのだ。椿事が起こったとしても、その椿事が定着すれば、椿事ではなくなり、日常茶飯となる。

 一目ぼれの多くは、その一目ぼれの瞬間を強烈に記憶している者にだけ、恋愛の可能性をもたらす。すべての奇異な出来事も、秘密でない限り、三日ハシカのように、日常茶飯になってしまう。

 そのことが、なぜ現実認識の高さを自負する彼らに判らないのだろう。流行を追う尻軽な市井の人々のように原発を考え、民主主義の神話を討論することが、平成元禄を云々することと同じ次元にあるということを。

 ただ、ただ、わけもなく恐ろしい。目隠しをした人々と、このわたしが、私に与えられた唯一無二のこの時代を共有しなければならないことが。

 こんな猿芝居で恒久平和は実現しないし、核爆弾も廃棄されない。あんな三文オペラで中近東の和平は実現しないし、PM2・5もなくならない。

 一つの矛盾の解決は、新しい矛盾を生む。矛盾保存の法則がこの世を支配しているのだ。がんは生体の一部だ。がんが増殖すると生体が死に追いやられる。この矛盾を解決すれば、もはや生産に貢献することのできない老齢者が増加し、社会保障費が増大し、財政を圧迫し、若年労働者の労働意欲をそぐ。矛盾のなくなることは決してない。矛盾をなくそうとすれば、眠っていた保守主義(理論もなく、体系もない感覚的な人々)を叩き起こすことになる。

 一切は変わりはしない。なにごとも、やがてなかったかのように忘れ去られるだけ。

 わたしは、図書館に逃げ込む。図書館は別世界。異質の空間だ。そこで歌が生まれる。


 ブルー・メランコリー


   ああ 試験だというのに

    ブルー ブルー メランコリー


  ヒマラヤ杉から こぼれる憂鬱

  白いノートを 斑に染める


   ああ 試験だというの

    ブルー ブルー メランコリー


訳もなく ただ ただ物憂い

  休み明けの 午後の図書館


   とうに 忘れたはずなのに

    蒼い 蒼い 君のイメージ


  二時間前から 変わらぬページの

  同じ言葉を 目で繰り返す


   とうに 忘れたはずなのに

    蒼い 蒼い 君のイメージ


訳もなく ただ ただ逢いたい

  君のいない 午後の図書館


   だめ 我慢できないもう

    ブルー ブルー メランコリー


  本の間から ちらつく瞳が

  わたしの心 弄んでいる


   だめ 我慢できないもう

    ブルー ブルー メランコリー


  君のせい ただ ただ切ない

  試験前の 午後の図書館


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