第8話
「……あら?どうしたの?」
ベッドに潜り込んでいた長い亜麻色の髪がくしゃくしゃになり、化粧も落ち掛けているけれども、元の美貌により美しい顔は変わらない、裸体の女。陽子が孝介の背中を見てそう言った
孝介も同じく裸体であったために、脱ぎ捨てられたパンツを履いた。そしてベッドに腰掛けると、棚に置いておいた煙草に火をつけてふかした
「……ねぇ。もう帰っちゃうの?」
孝介に寄り添い、甘い声で語りかける。その妖艶な瞳で孝介を見つめながら、そっと右手を握る
「もう一回だけしようよ……」
孝介の右手を握りながら、陽子は自分の胸へと押し当てる。柔らかく暖かい、また堅い突起物のような感触を感じる
「ここだって……まだ収まらないんだからァ……」
その手を腹部へと移動させ、下腹部、そしてその裸体の秘部へと到達した。生暖かく、しっとりと濡れた感触が孝介の体を震わせた。陽子は微かに喘ぐ声を漏らす
「よせ」
孝介は右手を振り払って、陽子を見た
「これから仕事なんだ。今日はお終いだ」
孝介はそう言うと、同じように脱ぎ捨てられてたシャツを着て、身だし並みを整えてから髪型をチェックする
「忙しいんだ」
「さほどでもないけどな。今日はもう時間がない」
「残念。久しぶりに会えたって言うのに」
彼女の言葉に、愛は込められていない。無論、孝介もそういうつもりで受け止めているわけではない。陽子は孝介に求めているのは愛ではなく、自分の欲望を沈めてくれる肉体である
孝介は車のキーをポケットに入れて、煙草の火を消した。財布から万札を二枚か三枚ほど取り出した
「今日は俺持ちだったな。ホテルの鍵はフロントに返しとけよ」
「次はいつ会える?たまにはあなたから誘って欲しいわ」
「俺は性欲に飢えることがないから」
「いけ好かない人」
陽子は妖艶に笑って見せた
「でもあなたの体は最高。あなたとするの、すごく気持ちいいんだもん。また連絡するね」
つまり孝介はこの女の乾いた体を潤す道具に過ぎないわけだ
それを分かっているが、勿論孝介にだって得はある。陽子は元グラビアアイドルだったためか、その体は人並み以上の快感を与えてくれる
そして際立つ大人の色気を漂わすその美貌も申し分ない
だからこそ、陽子とはこうした関係を続けているのである
孝介は小さく笑うと、裸のままベッドに座っている陽子に近づくと力強く押し倒した。もう終わりと思って油断していたためか、陽子は小さく悲鳴を上げた
顔と顔の接近度は言うまでもない
孝介はその吸いこむような瞳で陽子の瞳を見つめた
そしてそのまま唇を重ねる。ねっとりとした濃厚な舌触り……
唇を離すと、孝介は小さく笑った
「あぁ。待ってる」
孝介は耳元でそう囁くと、すっと身を引いて鞄を持ってドアの方へと歩き出し、部屋を後にした
ホテルを後にして、孝介はゆっくりと息を吐く。目の前には流れる人混み。先程まで誰にも邪魔されることのない時間、空間を保持していたものだから、いきなり現実に引き戻されたようでまったく嫌になる
孝介は腕にしてある時計を見た
上野駅に八時には着かないとならない。ここ渋谷から上野はさほどの距離ではない
ここ渋谷からメトロ銀座線で三十分程度の距離である
しかしこれから自宅のある江戸川まで行こうと思ったのだが、恐らくそんな時間はないだろう
ホテルでシャワーを浴びておくべきだったのかもしれない
今日の仕事は、そんなに大した用事でもないと叔父から話を聞いている
探偵業を営む叔父によると、人探しの依頼を受けていて、ようやくその対象を見つけ出すことが出来、今日上野駅の近くの喫茶店で会合し話を聞くのだという
話を聞くのは報告書に書き込むためである。それらを全て段階を踏んでから、依頼者に経費を請求するのだ
その報告書に経緯を全て書き込むこと、それが今現在叔父の下につき、助手として働いている孝介の役目である
出勤者、またはチャラチャラした十代の若者が多く流れる人混みの中に孝介は足を踏み出した
急ぐことはない。上野駅まで行くのにさほど時間もかからないし、約束の時間まではまだ余裕がある
だが気持ち的に急かしているのは、この人混みであった