第7話
その瞳に我を失いつつあったが、ふと我に返ることの出来た孝介は小さくため息を吐いた
「何をくれるって?」
孝介がそう聞き返すと、奏は笑顔のままもう一度答える
「僕の音楽」
「意味がよく分からないんだが……何が言いたいんだ?」
奏はその言葉を受けてしばらく黙り込んだ。ベッドから立ち上がり、窓の方へと歩き出した
施錠を開き、窓を開けると心地よい春の風が吹き込んできた
「お兄ちゃん、もう一回ミュージシャン目指そうよ」
「は?」
突然の提案に、孝介は驚くように声を上げた
「僕といっしょにミュージシャン目指そうよ。昨日の曲を見てそう思ったんだ。お兄ちゃん、曲は良くないけど詩はいい。だから曲は僕に任せて、お兄ちゃんは詩を書いて。作詞はお兄ちゃん、作曲は僕。二人で一流のミュージシャン目指してみようよっ!」
奏の提案に孝介は少しの間拍子抜けした。それから考える間もなく、小さく笑った
「お断りだな」
「えっ?何でェッ?」
「君が思ってるより簡単なことじゃない」
「簡単じゃないか。一つの歌を二人で作ろうって言ってるだけだよ」
「それが難しいと言ってるんだ。第一どうして出会って間もない俺たちでそんなことをしなくちゃならない?俺には生活がかかっているし、リスクがでかい。ミュージシャンになりたいなら、大きくなってから目指せばいい。俺とは違って、君には夢も才能も将来にも希望がある」
孝介がそう言うと、奏の表情から笑顔が消えた。靡く風がその柔らかな髪を踊らせる
「……希望なんてないよ」
奏は静かにそう呟いた。孝介はそれを聞いて不思議そうな顔を浮かべる
「……どういうことだ?」
「僕には希望なんてない。時間なんてないんだ」
奏の言葉に孝介の中である予感がした。不吉な予感というのはこれに似た感情なのだろうか。奏の言葉にはやけに重い響きがあった
「……君は……」
言葉が続かなかった
目の前の少年が背負っている先の見据えた運命に気づいてしまったから
孝介の考えていることに気づいたのか、奏はまた孝介を見ると寂しそうに笑った
「うん。僕、病気なんだ」
「病気……何の病気だ?」
「分かんない」
「分かんないってことはないだろ」
「多分……心臓の病気かな?お姉ちゃんが教えてくれないんだ」
孝介はなんとなくその系統の病気だろうということは分かっていた
癌というわけではない
孝介の父親は、八年前に癌で他界した。発見したときには既に末期癌で、内蔵の幾つかに転移していた
もはや助かる見込みはない、そう分かっていてもその苦しみ、激痛を抑えるために何度も投与され続けていた抗がん剤。その副作用でやつれ、頬は骨張り、頭髪も殆ど無くなっていく哀れな父の姿は、当時中学三年の孝介は衝撃を受けた
奏を見る限り、外見に変わった変化はない。内部的な問題だと思ってはいた。しかしそんなに重いものなのだろうか
「でも自分の体のことだから。自分でよくわかる。多分、僕はもうそんなに長く生きられない」
「……そうか……」
孝介はかけてやる言葉が見つからなかった。厳密に言えば見つかっている……が、こんなことを言われても、見つかるのは全て同情込んだ言葉ばかりだ
そんなものは望んでいないはずだ。孝介が同じ立場だったらそう思うだろう
現に、今夢に破れた孝介は酷く落ち込んでいた。そんなときに
「頑張れ」だの
「落ち込むなよ」だの言われても、心には響かない
むしろ、母のような言葉をかけてもらった方が現実を生きている気がして、幾分か気が軽くなる
だから奏には何も言えなかった
まだこんなに幼い
本来ならば、将来に希望の持てるはずの年なのに……自分の運命を受け入れている
そして何よりもったいない。素晴らしい才能を持っているのに……
「……だから僕には時間がないんだ」
「それは分かったけど……でも何で俺なんだ?俺以外のやつにすればいいだろ?俺なんかより、少しでも才能を持っているやつなんか幾らでもいるはずだ」
そう言ってから自分の愚かさに孝介は気づくことになる。そう聞いてしまっているその時点で、孝介は既にこの子の情に流されてしまっているのだ。じゃなかったらこんな聞き方はしない
さっき自分で思ったように、こいつは同情などされたがっていない
しかしそれでも同情の念が生まれている自分を戒めたくなり、下唇を噛み締めた
「お兄ちゃん?」
奏が孝介の様子を変に思い、声をかけてきた
孝介はしばらく俯きながら小さくため息を吐いて、何でもないと呟き返す
奏は孝介のことをぼうっとしばらく見つめ、それから視線を窓の外へと向ける
「理由なんてないよ」
「え?」
「理由なんてない。お兄ちゃんを選んだ理由なんて……ただお兄ちゃんがそこにいる。僕の夢を……叶えられる唯一の可能性がお兄ちゃんなだけ」
孝介はその言葉を聞いて、しばらく呆然とした後、この目の前の少年に非常に腹立だしい気持ちを感じた
つまり奏の言いたいことは……理由なんてない。誰でもいいということだ
奏自身が言うには重病を患っているため、ろくに外を出歩ることが出来ないのだろう。つまり外の世界と閉ざされたこの病院内で出会う人というのは限定されてくる
つまり奏は今まで、ミュージシャン、あるいはそれを目指しているもの、それが過去の者に出会うことがなかったということだ
自分の中で素晴らしい音楽を作れても、自分一人ではその夢とやらを叶えることが出来ない
だって奏はまだ見た目小学校低学年あたりの年なのだ
しかし小学校低学年にしては、かなりの知能も備わっていることが先程からの孝介との会話から想像がつくだろう
それと、自分の夢を現実にするための手段を具体的に考えだすことが出来るこの少年の知能はそこらの小学生とはまず違う
そう考えれば、この少年はやはり凄さを増すのだが、プライドを傷つけられた思いになっている孝介は目の前の少年をただのバツの悪いクソ生意気なガキンチョにしか見えていなかった
孝介は小さくため息を吐いた
しかし孝介自身、悪い話ではない。こいつから才能、即ち音楽を摘み取っていけば、それをまるで自分のものにしていけば孝介は恐らく一、二年の間でかなりメジャーなミュージシャンとなれるはずだ
彼の奏でる音楽はそんな気持ちを鼓舞させるほど、圧倒に魅了されてしまうようなものばかりだった
奏の奏でる音楽を上手く利用すれば俺は……
もちろん、それには色々な物を捨てる覚悟が必要だ
無論俺は、そちらを維持することを選ぶだろう
第一、彼の夢とは何だろう?孝介は少しもそのことを聞き出そうとは考えていなかった
答えを決めていたからだ
「……悪いが……俺はお断りだ」
孝介がそう言うと、奏は再び笑顔から落胆の表情へと形を変えた
「え〜っ?」
「君が過酷な状況下に置かれてる身、だというのはよく分かった。だからこそ、君には大きな夢を抱いて欲しい」
「だったら――」
「だが、だからと言って君に協力する義理はない。それに俺はこれから生活をするために、仕事も探さないといけない。いつまでも好き勝手にはしてられないんだ。気楽に夢を追いかける年でもない。悪いが他を当たってくれ。話は以上だ。それじゃ」
孝介はギターを奏に返すと、仕切りのカーテンを勢いよく閉めた
閉め際に奏の寂しそうな表情が目に写った
孝介がそう選択したのは、一つがプライドを維持するためだ
二十歳を過ぎた大人が子供の言いなりにはなりたくないということだ
もう一つと言えば……同情の気持ちを切り捨てたいということだった
カーテンを閉めてから、孝介は横になって目を閉じた
足音がゆっくりとヒタヒタと聞こえる。奏がしょんぼりとしながら歩いている光景が目に浮かんだ
足音が止まってから、しばらく沈黙が訪れた
その沈黙を破るのは、そう、ギターの奏でる音
ふゥ……
孝介と奏の出会いが始まり、孝介は奏の誘いをきっぱり断りました
え?これで終わり?
いやいやいや(笑)
次の話から、再び孝介の日常的な場面が訪れますが……どうやら彼には小さな心境の変化が見えてきて……
次回はかなり時間が飛びます
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