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第19話


孝介は街路樹を見つめていた。歩道の端に立てられている、桜の木である。街路樹が点々と一定間隔の間で並べられて、この辺の道は春になると桜の並木道となって美しくなる


孝介は街路樹を見つめがらふと思い出していた


こんな話を聞いたことがある。ある写真家が一本の桜の木を見て、大きく感動をした


そしてその写真家はある夢を抱くようになった。桜の並木道を自分の手で作り上げるという、想像し難いけれども壮大な夢であった


当然困難は極めた。何キロとも渡る道に、ある一定間隔で桜を植えていく。それが近すぎては、桜は上手く育たないし、逆に遠すぎるとそれは並木道とは言えなくなってしまう


また桜の苗木を何度も買う。だが彼は次第に気づく。ただの桜の苗木では、厳しい自然に立ち向かうことは出来ない、と。


そこで彼は一から桜の苗木を作ることにした。自然からもらった種から育てた


だが、それらは想像を絶する困難が待ち受けているばかりだった


だが彼は決して諦めることはなかった。周りの人間、あるいは家族までもが彼を馬鹿にした。気が狂っている、と罵った


だが彼は一つの信念を貫き通した


きっと自分の作った並木道が、何世代に渡り、それを見て幸福を与えることが出来る、と


癌に冒されても彼は諦めなかった。自分のもらった感動を、他の人へ与えるために



もしかしたら自分も、その一歩を踏み出そうとしているのかもしれない。見えてくる先は闇。一寸の先も見えることのない、未来


だが孝介は思う


一寸の先が見える未来なんて、俺には必要ない







踵を返して、向かった先は病院。孝介がほんの二カ月前に事故を起こして入院した病院だ。彼はそこで一人の少年と出会った。類い希な音楽の才能を持ちつつも、重病を患っている少年に



孝介は病院内に入ると以前孝介が入院した病室へと向かう。彼とは病室がいっしょで、しかも隣のベッドだった。今思えば、不思議な巡り合わせだった


その病室に入ると、孝介は愕然とした。確かにこの病室だが、以前あの少年がいたベッドには今にも(失礼な言い方だが)お迎えが来そうな男性の老人が一人いるだけ


孝介は戻って病院のネームプレートを見る。たが、そこに高野奏の名前はなかった


まさか……と嫌な予感がした。背筋に寒気が走った


「あら?」


孝介が茫然としてネームプレートを見ていると、一人の女性の看護士が孝介の顔を覗き込みながら近づいてきた。孝介は彼女の顔を見ると、あっ、と思わず叫びそうになった


そこにいたのは、孝介が入院していたときに出会った若い看護士だった。そして……奏の姉だと思われる人物でもあった


彼女の名前は確か一度見た。名前は長谷である。名字が違うというのが気になったが、もしかしたら結婚しているのかもしれないと後々考えるようになった


かなり若いように見えるが、結婚してるようにも見えなくはなかった。指輪は仕事柄のために外しているのかもしれない


そう考えると何だか胸が痛むような気がして、孝介は入院中彼女とあまり関わりを持とうとしなかった


だがまたこうして出会えた


孝介は平然を装い、軽く会釈をして挨拶をした。すると長谷はにっこりと微笑んだ


「あぁ。やっぱり。音無……さんですよね。お久しぶりです」


自分の名前を覚えていたことに孝介は胸が躍った。彼女の純粋で清楚な笑顔を見て、心が癒やされる。孝介は思わず笑顔になった


「どうも」


「足の方は大丈夫ですか?」


「えぇ、もうすっかり」


「そうですか」


彼女はまた笑顔になった


「えっと今日は誰かのお見舞いとか……」


つまり何の用でここで突っ立っているのか、ということだろう。孝介は彼女の表情を冷静に分析した


彼女の笑顔は嘘のない明るい物だった


「えっと……あの、彼、は……」


「彼?」


「はい。奏……くんのことで」


「奏?あ、奏に会いに来てくれたんですか?」


彼女はまたぱっと明るい笑顔でそう言った。同時に孝介はほっと安心した。どうやら孝介が考えていたこととは違うようだった


「はい」


「奏なら、病室が変わったんです」


「あ、そうなんですか」


「はい。でも今は病室にもいないし……多分広場で散歩でもしてると思うんですけど」


「そうですか」


「良かったら案内しましょうか?」


孝介は少し考えた。奏に会いに来たのには理由がある。それをあまり彼女に知られたくない、という念があったのだが、手っ取り早く奏を探せそうなので孝介はお願いすることにした







「あれからどうされてました?」


広場に向かう途中で孝介は長谷に聞いた。長谷は目を見張って孝介を見る。孝介は軽く笑った


「あ、奏くんのことです」


長谷はああ、と納得すると可笑しそうにクスッと笑った


「あまり変わりませんよ。いつも通りです」


「いつも通りとは?」


「ギターを持って、一日中弾いてます」


なるほど、と孝介は納得した


「病院内では弾くなって言ってるのに聞かなくて。“みんなが僕の音楽を必要としてる。だから僕は止めない”って言うんです。私頭来ちゃって、一度本気でギターを取り上げようとしたんですよ」


それは本当のことだ。よく音楽には不思議な力があるという。例えば植物にクラシックなどと言った音楽を聞かせると、成長を促進させると言うが、まさしくそれと同じだ


奏が奏でる音楽には不思議な力がある。簡単に言ってしまえば、元気を与えてくれるのだ


「あの……一つ聞いていいでしょうか」


孝介は長谷を見てそういう。長谷は首を傾げた


「あいつ……いえ、奏くんは何故この病院に入院してるんでしょうか」


その瞬時彼女の表情が曇った。孝介はまずいことを聞いてしまったと少し後悔した。しかし、孝介は今奏のことがもっと知りたかった。多少強引かもしれないが、聞き出してみるしかない。孝介は言葉を繋げた


「彼は自分で心臓に重い病を抱えている、と言ってました」


孝介がそれを口にすると、長谷ははっとして顔を上げた。立ち止まって孝介の目を見つめる。それから俯き加減で呟くように言った


「あの子は……心疾患なんです」


「えっ?」


「慢性の虚血性心疾患といいます」


虚血性心疾患……孝介はふと学生の頃に読んだ医学本の内容を思い出した


確か……冠動脈に動脈硬化が起こって血液の循環を悪くしてしまう重篤の病気のことだ


朝鮮戦争時、アメリカでは1950年代頃、心臓病の患者の増加が問題となっていた


そこで朝鮮戦争で戦死した兵士を解剖したところ、ある医師が冠動脈に動脈硬化が起こっているのを発見した


そこで心疾患と動脈硬化の関係性を明らかにしたのである


だがこれはコレステロール値の異常値などが原因であり、男性は45歳以上、女性は55歳以上が危険因子とされている


恐らく10かそこらの歳の奏が患うような病気ではないと思えた



「奏の心臓は先天性の問題で弱いんです」


「弱い?」


「はい。そのためか、心臓の動脈の働き自体が元々弱くて……」


孝介は驚きが隠せなかった


「移植すれば助かるんですよね」


「移植をすれば98パーセントの確率で助かります。ですが……その肝心のドナーが見つからない状態なんです」


「過酷ですね……」


10歳そこらの少年には過酷過ぎる運命である。だが彼は全てを受け入れていた


そしてそれは全てを諦めているのだ


彼の表情を思い出すと、胸が締め付けられた


「奏くんとあなたのお父さんとお母さんは?」


そんな過酷な運命を背負う奏の父親と母親はどんな人なんだろう、と孝介は気になった。しかし長谷の表情はまた曇った


「あの子の父親と母親は……いません」


「え……」


「六年前に事故で……」


「あ……」


血の気が抜けていった。父親も母親もいない……


それを聞いた瞬時、孝介は奏のあの表情の本当の意味に気がついた


もしかしたら奏はすでに、生きることに失望しているのではないだろうか?


「すみません……」


「いえ。そんなことがあったもので、奏は家で引き取ることになったんです」


「……家で?」


「えぇ。奏は甥っ子なんです」

「えっ?」


孝介は今度は大きく声をあげた。合点がいった


「そうでしたか……ってきり姉弟かと」


「よく言われるんです。あの子の母親が私の姉で……私たち三人姉妹なんです。私は一番末っ子なんですけど、あの子の母親は長女でして」


「そうでしたか。名字が違うという話にも合点がいきます。ってきり、ご結婚なされてるのかと」


「そんな。私、まだ二十三ですよ?」


彼女は何の躊躇いもなく歳を明かして可笑しそうに笑った


「あの子、叔母さんって呼ぶには若すぎるって。“姉ちゃん”って呼ぶんです。まぁ、それのおかげで姉弟と間違われるんですが」


純粋な笑顔を見せて、孝介はほっとした。すると彼女はあっと開いた口を手で隠した


「そういえば自己紹介してなかったですね」


「え……あ、あぁ、そうですね」


孝介が苦笑すると、彼女はにっこりと微笑んでゆっくりと頭を下げた


「私、長谷亜紀ながやあきといいます」


“ながたに”と読むと思っていたが、“ながや”だった


「俺は、音無孝介です」


「知ってます」


彼女は悪戯気に笑った。そんな悪戯気な笑顔に孝介は照れくさくなって笑った


長谷亜紀は美人だった。芸能人でいうと誰似だろうと、想像してみる







広場に案内される。四方百メートル弱の広場には車椅子を押されながら楽しそうに会話をする人や、松葉杖を使って立っている人などがいる


「ここはリハビリでもよく使われるんですよ」


「いい所ですね」


緑の木々に囲まれたこの広場はリラックスするのには素晴らしい環境だと思えた


そのベンチに、一人の少年がいるのを見つけた。ギターを手に持ち、何かを弾いている。聞いたことあるメロディーだった


「あ、お仕事の方大丈夫ですか?」


案内をさせてしまったが、彼女にも他の仕事があるはずだった


「案内ありがとうございました」


「いいえ。えっと、私仕事の方に戻りますね」


「えぇ。わざわざすみませんでした」


「いえ。何かありましたら、私に言ってください」


亜紀は軽く会釈をすると、少し足早で来た道を帰っていった


孝介は踵を返して、ゆっくりと彼に近づいていった。聞いたことのあるメロディー、いや聞き慣れているメロディーに孝介は胸が躍った


奏は目を閉じてゆっくりとした曲調でギターを奏でていた


「MR.LONELYだな」


孝介が口にすると、奏は顔を上げた。そして孝介がいることに特別驚いたわけではなく、ただじっと孝介を見つめた


「玉置浩二の」


孝介が続けて言葉を続けると、奏はにっこりと微笑んだ


「好きなんだ」


「変わってるな」


「え?」


「結構古い曲だぞ」


「古くても、良い曲でしょ?」「……俺も好きな曲だ」


しばらく沈黙が続いた。本当に久しぶりに言葉を交わしたのに、ちっともそんな気がしないのは何故だろう。奏はじっと孝介を見つめた後、にっこりと微笑んでギターを差し出してきた


「聞かせて」


「え?」


「この曲。聞かせて」


「自分で弾けばいいだろう?」


「僕、歌詞全部知らないんだ。それとお兄ちゃんの声で聞いてみたい」


孝介はしばらく黙ったが、やがて小さく笑うと、今度はそのギターを受け取った


奏の隣に座って、ギターの弦を順に弾いていく。綺麗でクリーンな音色が孝介は好きだった……


孝介は優しくアルペジオでイントロから始めた







こんな僕でもやれることがある


頑張って ダメで 悩んで


汗流して 出来なくって


バカなやつだって笑われたって


涙こらえて…


Woo Woo Woo…


何にもないけど いつでも


野に咲く花のように


君が優しかったから


僕は元気でいるから


Woo… Woo… Woo…


どんなときでも


どんなことにでも


人の気持ちになって


この心が痛むなら


無駄なことだって言われたって


構わないから…


Woo… Woo…


何にもないけど


仲良く野に咲く花のように


君と暮らしていた頃を思って


元気でいるから…





むくわれないことが多いだろうけど


願いを込めて…


Woo… Woo…


何にもないけど


僕らは野に咲く花のように


風に吹かれていたって


いつでも どんな時でも


何にもないけど


君のために


野に咲く花のように


遠く離れていたって


笑って元気でいるから…




Woo… Woo… Woo…


Woo…




【MR.LONELY/玉置浩二】






中川健司です


【MR.LONELY】を知っている方はいますでしょうか?


とってもいい曲で、僕自身何だかとても素直になれる一曲と感じています


ぜひみなさんも聞いてみてはいかがでしょうか



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