第16話
「そうですか……分かりました。お忙しいところ、ありがとうございました」
また一つ不動産屋に立ち寄ったが、はずれであった。どの不動産屋も、口を揃えて言うには……
身の覚えがないという……
孝介と仁美は深いため息を揃えてついた。そんなお互いを可笑しく思い、たった今はずれであった不動産屋を背にお互い笑い合った
「疲れてますね、仁美さん」
「孝介くんもね」
「そうですね。ここまで来てもはずればっかり。ましてはまだ半分だと思うと正直……」
「それが探偵っていう仕事よ。それにまだ半分じゃなくって、もう半分って思うことが肝心なの。頑張りましょ」
やけに大人びた口調で孝介を宥めてくる。そんな普段とは違う仁美に孝介は小さく笑って見せた
「今日はやけに大人……ですね」
「それってどういう意味かしら?」
「いえ別に」
孝介は目を背けて苦笑した
「えっと……次はどこですか?」
「次はね〜……田島不動産屋ってとこ。あら〜……今度は吉祥寺ですって」
「……今更ですけど、その彼女の行動範囲、もう少し絞るべきだと思うんですけど」
今、孝介たちは品川駅近くの不動産屋に来ていた。品川駅を利用して吉祥寺まで行くとしたら、また大きく時間を費やすことになる
品川から吉祥寺に行くのには、山手線を利用して新宿方面に出るしかない。それが最短ルートだが、それでも裕に三十分以上かかる。少し効率が悪いのではないだろうか?
「これでも充分絞ってるわよ」
「吉祥寺まで出るのに?」
「もう、孝介くんは分かってないなぁ」
仁美にそう言われるが、孝介には自覚がなく、自分の言っているところ非が分からなかった
「いい?今回の捜索は自分の意思で突然行方の分からなくなった、対象者なのよ?」
「それは分かってますけど……」
「自分の意思で行方をくらますのに、近場の不動産屋なんか使うと思う?簡単に足取りが掴まれちゃうじゃない?」
「それはそうですけど……でも捜索範囲が広ければ広い分、捜索は困難になりますよ?だったら、範囲を出来るだけ絞って……そっちの方が可能性としてはありません?」
「どんなに広かろうが、時間をかけようが、虱潰しにやっていくしかないの。言ったでしょ?それも探偵の仕事よ」
仁美はそう言いながら、孝介を見てふと笑って見せた
「そっか。孝介くん、こんなに大掛かりな捜索は初めてだっけ?」
「えぇ……ずっと叔父の傍で仕事してたもんですから。それも全部近場で」
孝介の言う通り、孝介は今までずっと拓郎の助手としての仕事しかこなしてこなかった。それもこの間の上野駅のように事務所から近場の捜索である
こんな風に広範囲に、そしてアグレッシブに行う捜索活動は初めてで孝介には辛い仕事にしか思えなかったのである
「そっ。じゃあ覚えときなさい。探偵の仕事は生半可な物じゃないってこと」
仁美はちょっと悪戯気に笑うと、少し足を早くして歩き出した。孝介はそんな仁美の後ろ姿を見つめながら、小さく呟いた
「……やっぱり今日の仁美さん、大人です」
孝介は小さくため息をついて、空を見上げた。初夏になれば蒸し暑い日々が続く。今日は珍しく快晴だから、余計その蒸し暑さを感じる
一日中歩き回るのも精が出る。何かいい方法は……
「……仁美さん」
孝介は先を歩いて行く仁美を呼び止めた。仁美は足を止めて振り返って孝介を見る
「何?」
「手分けましょう」
「え?」
孝介はゆっくりと立ち止まっている仁美に近づいていった
「残りの不動産屋。手分けましょうって言ってるんです。その方が効率いいでしょ?」
孝介がそう言うのに、仁美は小さく笑った
「構わないけど……でも孝介くん場所分からないでしょ?」
「名前を教えてくれれば探しますよ。メモりますから名前教えてください」
そう言いながら、ポケットの中に入れておいたメモ帳を取り出す。拓郎と対象者の話を聞くときに、いつも使用するメモ帳。前回の佐々木博也の分が今でもすぐ昔のことだと物語る
「ふぅ……」
仁美と残りの部分を分けて、孝介は合計で5つの不動産屋に立ち寄った。が、結果は残念ながら全てはずれであった
もし当たりが出ればすぐにお互いの携帯電話に連絡するようにと、そう言って二人は別れた。その携帯電話にはやはり仁美からの連絡はない
全てあてがはずれたか、それともまだ少し時間がかかるのか……いずれにしろ、今日の孝介の仕事は終焉に近づいていた
そして今、孝介は最初の待ち合わせた公園の中を歩いていた。ここで待ち合わせることにしているのだ。時刻は六時近くになっていて、初夏のこの時期は日が沈みかけている時間帯である
孝介は夕日を見ながら歩いていた
最初は小さな芽生えだったのかもしれない、しかし間違いなく徐々に強まっていく孝介の中で巻き起こる葛藤……
いや、もしかしたら最初からあって孝介は気づかぬ振りをしていたのかもしれない
どちらにしても今考えるのは……
このまま終わってしまって、それでいいのだろうか……
その思いだった
このまま佐々木博也と同じような、諦めたままでいいのだろうか?
自分に言い聞かせたまま、その思いを閉じ込める。それで本当にいいのだろうか
孝介の中では今二つの道がある。一つはもちろん、このまま音楽を諦めて普通の人生を歩むこと
そしてもう一つは……もう一度夢を追いかけること
でもそれは、今より辛い現実と向き合っていく覚悟が必要である
自分にはその覚悟があるのか?可能性は秘められているのか?
自分で分かる。可能性はゼロである。どんなに頑張っても今更何も変わることはないだろう
また現実に打ち拉がれて、敗北を味わうことになるだろう
一人では……
奏……となら……?
噴水の近くに通りかかると、孝介はそこで立ち止まって一つの光景をじっと見つめた
それはギターを抱え、慣れた手つきでそれを奏で、自分の歌を世間に向けて放っている
一人の若い男……おそらく学生だろう
彼の姿を見ると、何だか昔の自分を思い出すようだった
自分もかつてこのように自分の歌を世間に向けて放っていた
今でも……やはりいるのか……
するとその学生らしき男は孝介と目を合わせた。手を止めて、孝介をじっと見つめる。するとにっこりと微笑んだ
「こんにちわ」
突然挨拶をしてきたので、孝介は若干驚いた。しかししばらくしてから、小さく笑って頷き返した。すると学生は孝介にくったくのない笑顔を向けながら言ってきた
「一曲、聞いてくれません?」
「え……」
彼からそんなことを言われて、孝介はどうしていいか分からなくなっていた。だがそう言われると、彼の歌に興味が湧いてくる。そして何よりかつての自分を見ているようだった
「じゃあ……聞いていこうかな」
そう言ってゆっくりと学生に歩み寄る。それから彼が歌う近くのベンチに座った
学生は嬉しそうな表情で、ギターのチューニングを合わせ始めた。そんな彼の姿を見ていると、余計に自分を思い出す
「君……学生?」
「はい。首都大の一年です」
「首都……大」
さらにフラッシュバックが重なる
「俺、この間キャンパスで初めて曲作ったんです。それで嬉しくって、誰かに聞いてもらおうって思って」
「へぇ……」
彼はギターを抱えて、弾く体制に入った。それから目を閉じて、アルペジオ(和音を重ねて弾く技法)から入るイントロを奏で始めた