第14話
部屋の中は寝静まり返っていた。が、孝介は眠れずに片手にギターを抱いて窓の外を眺めていた
カズはすでに潰れてしまっている。酷い鼾を掻いて深い眠りへと落ちている。孝介はそんなカズにすでに毛布をかけていた
孝介も眠ろうと試みた。しかし、眠ることが出来なかった……目を閉じると頭の中に流れてくるメロディー……結局あの後盛り上がってしまって、何曲かギターを弾いて歌った
その光景がこうしているだけで思い浮かんできて、捨てたはずのメロディーが延々と流れている
そうしている内にすっかり目が覚めてしまい、孝介は今のように至っている
そして自分の中で気づき始めている。自分は間違いなく、佐々木博也と同類だ
そう、いくら頭の中で、夢を捨てた、あきらめたなんて言っても……それは虚勢に過ぎなかった。自分は今でも音楽を愛している
ギターを奏でて、歌を歌っているときの自分がいかに生き生きしているか、感じ取ってしまうのだ
音楽を続けたい……その気持ちがやはりあるのだ
だから、佐々木博也の姿が痛々しく思うのだ。それが辛く苦しいことだと感じてしまうのだ
奏は……今どうしてるのだろう
孝介は静かに目を閉じた……奏の音楽を思い出しているのだ。あの天に恵まれた素晴らしい音楽を……
そしてあいつの言葉を何故か思い出してしまう
『お兄ちゃん』
『僕の音楽をお兄ちゃんに全部あげる』
また一つ心臓が高鳴る。気づいてたら、手が震えていた。汗ばむ手。それは一体何を意味しているのだろうか……
孝介は自分の手を見つめた。左手。その指にはマメが出来ている。ギターをやっている者は、右利きの人間は左手に、左利きの人間には右手の四本の指、人差し指、中指、薬指、小指にマメが出来て皮が固くなる
何故かと言うと、ギターの弦を押さえるためである。アコースティックギターなどで分かるだろうが、弦の張りの強さは凄まじい。それをしっかり押さえるには、当然強い力が必要である
四本の指でコードを押さえるために、四本の指は最初マメが出来て徐々に皮が固くなるのだ
初心者がいきなりギターの弦を抑えられない理由は実はそこにある
皮が柔らかければ、しっかり押さえることが出来なくてかすれた音しかでないのだ
無論、孝介の指はすでに固まっている。ゴツゴツとしているのはギタリストだったという証
奏の指も恐らく指は固いだろうな……
……自分はどうしてこんなにあいつのことを考えてしまうのだろうか……
もう済んでしまったことなのに、決まったことなのに……
孝介の中では何も終わっていないのだろうか……
このまま自分は佐々木博也のような道を辿ることになるのだろうか
そうなるのが嫌だから、拓郎の元で新たな道を切り開こうとしている。しかしそれは正しい選択と言えるのだろうか?
孝介は小さくため息を吐いた。とことん自分は弱い人間だ。本当にやりたいことは何なのか、もう胸の中に秘めておくことは出来ないだろう
今日ギターを弾かなければ、こんな思いに駆られなくてすんだのに……胸の中に秘めさせておく方が幾分かマシである
孝介はギターのボディをゆっくりと撫でた。高校に入学すると同時に親に買ってもらった初めてのアコースティックギター。最初はコードなんか上手く弾けずにいて、それでも懸命に弾けるようになった……
最初に弾けた曲は確か……
「……幼い微熱を下げられないまま……神様の影を恐れて……隠したナイフが似合わない僕を……おどけた歌で慰めた……」
スピッツの名曲“空も飛べるはず”だ……C、G、Amから始まるイントロ。ストローク(右手でとるテンポ)も単調でバレーコード(一つのフラットを人差し指で全て押さえるコード)はFしか出てこない。ギター初心者にとって一番基礎となる曲だ
「色褪せながら……ひび割れながら……輝くすべを求めて」
君と出会った奇跡がこの胸に溢れてる
きっと今は自由に空も飛べるはず
夢を濡らした涙が海原へ流れたら
ずっとそばで笑っていて欲しい
何度も初めてのアコースティックギターでこの“空も飛べるはず”を歌った。嬉しくって、つい夢中になってしまって……
それから文化祭で軽音楽部で組んで演奏した初めての曲が……
Mr.Childrenの“終わりなき旅”
懐かしい……すごく好きだった曲だ……
今まで色んな曲をカバーで演奏してきて、大学に入ると自分で曲をつくるようになった
さっきの“一日が始まる”も、そのときに作った曲だ……
カズと共に作った……初めての曲で、何だか胸が躍った……
大学時代夢中になって色んな曲を作ってたけど、この“一日が始まる”が最高の出来だった
亮太、弘樹、カズとロックバンド“fingers”……全員で一つの手、一つの音楽という意味合いを込めた
一つ指が足らないと笑い合ったな……
でも駄目だった……
“fingers”は世間に認めてもらうことは出来なかった……
夜が明けてきていることに気づいたのは、それからしばらくしてからだった
目の前から朝日が登ってきている。孝介は卓袱台の上の時計を見た。五時半を差している……
孝介は小さくため息をついた。昔も思い出すだけで、まったく一睡もしていない……
少し眠ろう……無理をしてでも……
孝介は窓をしめて、そこに寄りかかったまま、目を閉じた
しばらくすると浅い眠りについた