3-3. 誰かが涙を流すのなら、彼女は必ず笑わせてみせる
ピリピリとした緊張感を感じているのは、どうやら俺だけのようだ。ここ生徒会室に入ることなど、普通はない。
生徒会長と彫られたアクリルの席札が立てられた机の前に立ちながら、俺は変なことにやる気を出した自分を呪っていた。
まるで重厚な歴史の上にでも座っているようだ。幼い見た目とは裏腹に、雨衣生徒会長はこの世界を支配している。
「こほん。1年生の、浅葱心さんのお友達ですね?」
重たい空気は彼女のわざとらしい子供染みた咳払い1つで、少し和らいだ。
浅葱心、俺の幼馴染みは雨衣生徒会長と知り合いのようだ。友達、というわけではないだろう。心は風紀委員なので、恐らく委員会繋がりでの顔見知りだと思われる。
「はい。間違いありません」
まるで尋問される犯罪者のようだ。目の前に座る雨衣会長は、ニコニコしながらうんうん!と頷いてくれているが……その斜め後ろに立った若草副会長は両腕を胸の下で組み、明らかに敵意を持って睨んできている。
「あなたが週に2度、目安箱に要望を入れて下さっていた方。で、間違いありませんか?」
目の前に座る雨衣絢愛の瞳は重く鋭くなる。全て理解した上で、この問いを投げかけているのだ。
怒られるのだろうか?怒られるのであろう。あの事に違いない。
ネタが尽きかけた俺は何度か悪ふざけの紙を入れていた。ここだけの話。会長はなんのトリートメントを使っていますか?とか、会長の身長は何cmですか?とか2度ほど、そんなことを書いた気がする。
だって気になったんだもん。腰まで伸ばされた栗色のツヤツヤした髪がシリコン入りなのかノンシリコンなのか。150cmぎりぎりあるのかな?どうなんだろうって……
それでも何故かちゃんと返事くれたじゃないっ!ミルボンのミルクトリートメント使ってますって!160cmです!って。いや嘘ついてるじゃん……って思ったけど、そんなところもプリティーだって!……今更、今更怒らないでよっ!
俺の精神内部では、俺の代弁者疲れたOLが彼氏に八つ当たりしている真っ只中であった。
しかし、現実に戻れば真顔で突っ立ってる俺がいる。
「はい。間違いありません」
俺には恐らくもう5日分の隈が目の下に出来ているであろう。
そう答えると、雨衣会長はパンッ、と1つ手を合わせた。
「やはりそうでしたか!!」
星でも出たか?そう思うほど輝く、にぱっ!とした笑顔を見せると、椅子からぴょんっと飛び降りた。
パタパタと足音をさせながら雨衣会長は俺の横へわざわざ来ると、小さく丸い、思わず撫でてしまいたくなるような頭を下げ、「ありがとうございます!」と元気よくお礼を1つ言う。
そうして頭を上げ、また可愛らしい笑顔を見せてくる。
「この1ヶ月半、さまざまなお便りを本当に嬉しく思っていました!少し変な質問もありましたが……ええと、とにかく!お礼を1つ、申し上げたかったのです!」
確実に怒られると思っていた俺は、正しく不意を突かれた。ましてや、頭を下げてまでのお礼まで付いてくるとは夢にも思っていなかった。
この試みは、雨衣絢愛に少なからず生徒に頼ってもらいたいという気持ちが、確かに存在していること。さらに俺がそれを察してこの行為に及んだことに、雨衣会長が気付くこと。この2つが合わさり、ようやく良い試みと言える。
しかし、それが俺のただの思い違いだったとしたら?雨衣絢愛にそんな気持ちが一切なかったとしたら?彼女の日々の業務の邪魔をしているようにしか見えない。完全に無駄な仕事を増やしている。
しかし、やっといてなんだが、お礼を言う雨衣絢愛という人を見て、ここまで純粋に他人の善を信じ、疑わない人だとはさすがに思っていなかった。
自分の身の上に降りかかる面倒事を、誰かが困っているのなら当然のように片付けることができる。そんな事に疑問を抱くことすら無駄だと言わんばかりに……
俺はその事実に、少なからず感動していた。
誰かが涙を流すのなら、彼女は必ず笑わせてみせる。