2-4. 千の春を越えて今君と 完結
さっきまで綺麗に七宮を照らしていた太陽はまた雲に隠れ、遠くでは不穏な雷雲がビカビカと、青い筋を空に張り巡らせていた。
俺たちを真上から見下ろす空も、今にも降り出しそうな天気になった。
七宮はフェンスの向こう側で遠くを見つめる。ポツッと頬に一粒、雨が当たった。
「僕、本気だよ」
七宮は遠くを見たまま、誰に言うわけでなく、確かに俺だけに向けて、決意を表す。
もうコイツは止まらない。俺は察した。危険だ。バンジーがじゃない。いや、バンジーもだが、七宮千春という人間がだ。どうかしている。ただそんなことを言ったところでなんになる?止められるのか?コイツを?
「……やるのか?」
そう言うと、七宮は初めて、フェンスを越えてからこちらを振り返った。
「やるよ……ちゃんと、紐、持っててよね!」そう言って微笑むと、七宮はまた、切り開かれた視界の方を向く。
彼は、フゥーと1つ息を吐き、意を決したようにフェンスから手を離した。もう1歩踏み出せば、七宮は真っ逆さまに落ちて行く。
それでも止めなきゃ!「待っ……」
ポツリ、ポツリ、また1つポツリと、空から落ちてくる雨粒が止まる。俺は手を伸ばし、走り出した状態で停止した。運命の悪戯は常に急だ。そして、運命は常に俺に優しいわけでもない。
『行け!!』
『行っけえええ!!』
この選択肢になんの意味があるんだろう。2つの選択肢が目の前に浮かんだ瞬間に、出ない声を大にして心の中ではせめて言わざるを得なかった。
どっちも変わらねぇぇえええよ!!!と。
こんな無意味な選択肢が過去あっただろうか。脳内を隈なく探しても見つかることはない。
なんだこれは。七宮と初めて話した時に出た選択肢から、もうこうなる未来しかなかったと言うのか。七宮を止めることを、俺自身ではどうすることも出来ない。決められた運命の流れは、止まることを知らない。
ふざけんなよ……と、心の中で悪態をついた時、俺は1つあることを思い出していた。七宮千春、彼がバンジーの着地点としている場所。そこには汚れた緑色の水が、タプタプと入ったプールがあることを。
いや、しかし、4階ある校舎の屋上から飛び込んで大丈夫なわけがないと俺は思うのだが、コイツは大丈夫と思っているのか?なんでコイツは大丈夫だと思えるんだ?なんなんだ?
俺は考え疲れ、真面目に心配していることが、まるで馬鹿らしくなった……
「『行っけえええ!!』」
俺は叫んだ。もうどうにでもなれ!知らん!
その声を聞いた七宮は今日1番の満面の笑みをこちらに向けると、両手を広げ、大の字になり汚いプールに飛び込んで行った。
俺は彼に届かなくても、言わなきゃならないことがある。バンジーっぽく飛べばいいってもんじゃない!
渡された紐の先も、もうポイっと床に放り投げ、俺は冷静に事を眺めていた。
せめて柵に結べよ。お前の重さ持ってられるわけないだろ。
紐はシュルシュルと床を滑っていく。ついにスルリと紐の先っぽが屋上から姿を消す。
俺はなにも見ていない。目を瞑り、徐々に強くなり始めた雨を感じる。
バッシャーン!!と水が弾ける鈍い音が遠く下の方で鳴った。
知らぬ存ぜぬ見て見ぬフリは、さすがに無理がある。自分を騙しきることが出来ない。
せめて、生きててくれよ。頼む……
俺はフェンスから上半身を乗り出し、恐る恐る下を見る。
「あっはっはっはっは!!」
プールからご機嫌に笑いながら浮いてくる七宮を見た。
「なんだー!!?どうしたー!!?」と怒声を上げながらプールに集まってくる先生たち。七宮は楽しかったのか、笑いが止まることなく先生たちに連れられていった。怖い。
「はあ……」生きててよかったが、俺はもう2度と七宮に関わらないことを決意し、屋上を後にした。
七宮は1週間の停学処分になった。
その後、「行っけえええ!!」と初めて自分を理解し背中を押してくれた人物として、俺は七宮に懐かれてしまった。
関わらないようにしても、もはや無言で背中を追われる。全く理解していないから心の底からやめてほしいと思っている。俺のような凡人が、お前のことを理解できるわけないだろ。
そして彼とはこの1年の間に、何度運命の悪戯があったことだろう。また機会があれば、思い出してみないこともない。いや、やっぱりよしておこう。
悪友、七宮千春。可愛い顔をした彼とは、永遠に家族のような友人になれる気がしない。
チャイムが鳴り、1時間目が終わる。
七宮は教科書を机に仕舞うと、にこにこした表情をしてすぐに俺の席へやって来た。
「ねえ、次はジェットコースターとかどうかな?」
「いい加減にしろ!!」
千の春を越えて今君と 完結。