13-1. ポニーテールと夏と太陽と
「おはようございます!」
味噌汁を啜る俺の耳に入るのは、朝の訪れを告げる声。なんだかこの声を窓の外がまたビカビカと明るい時間に聞くと、学校に行かないといけない気がしてくる。
「ここちゃーん!」
さっきまで無表情でテレビにケチを付けていた母は、チャイムも鳴らさず玄関を開ける無法者にはなんの文句もないらしく、笑顔でパタパタと駆けて行く。呆れた。
「入って入って!」
「お邪魔しまーす!」
母はルンルンで台所へ戻り、心にお茶を入れ始める。
「おばさんありがとうございます!……って起きてるじゃない!」
リビングに入りながら母に軽く頭を下げた浅葱心は、早起きして豆腐を食べている俺に驚愕していた。
「なんでノリツッコミテイストなの?来るの早いぞ」
「あんたがいつも遅いから早く来ておばさんと話してるの!」
遅いんだから遅く来いよ。おかしいだろ……と思いながらも、そんなことを言えば「あんたが早く起きればいいのよ!」と怒られるだけなので、「へー」と生返事。ノリツッコミ無視するじゃん……少し寂しい。
そんなことより、心に出されたお茶が俺の煎茶と違うのはどういうことだ。俺にも玉露出さんかい。
「ここちゃん美味しい?玉露買ってみたの!」
ニコニコが止まらない母。隠す気もないらしい。なんて母だ。
「美味しいです!冷たいのばかりだと身体冷えちゃいますもんね!」
「そうなのよー。それよりこの前聞いたんだけど」
女3人寄れば姦しいと言うが、なんてことはない。2人でも姦しい。
「ご馳走様でした」
茶碗、お椀、それと箸を流し台に運び、俺は出かける準備をするためリビングを出た。背中越しに聞こえる笑い声は黄色。晴々とした朝である。
「はいお待たせしました」
適当に服を選び、適当に寝癖を直し、適当に準備完了。これは敢えて適当にやっているのだ。変に気取ると馬鹿にされ……はしなくとも、俺自身が気恥ずかしい。俺は知っている。
「遅い!」
「お前が早いんだって!」
まあね!と何故か得意顔の心さんは椅子から立ち上がり、やはり今日もジャージだった訳だけだが、そのポケットに手を突っ込む。
「ではおばさん行ってきます!」
「はーい!ここちゃんよろしくねー」
母は彼女の頭を撫で、「気をつけてね」とその姿をうんうんと眺める。よろしくねと言う割には、子供扱いもいいところだ。以前可愛がっているとか思ったが、これはもうそんなんじゃない。溺愛である。
「あんたはここちゃんに迷惑かけるんじゃないよ!」
息子にも優しくしろ。
玄関を開け、外に出る。もわっとした絡まるような熱気と、煩いほどのセミの声。微動だにしない世界に、陽炎だけが揺れている。
「あっつ……」
一瞬で俺の瞳から光が失われたのがわかる。
「ほら!シャキっとする!」
彼女はポンと俺の曲がった背骨を叩き、一歩前に出た。ダラしない我が子を見るように、微笑みながら。捲ったジャージの袖、短パンから伸びる脚。バッシュ型のスニーカー、リボンの付いたポニーテール。
「……なんていうか、心は健康だな」
「なにそれ?」
彼女はクスクスと笑う。
「まあ私が健康っていうか、健康が私みたいなところあるしね!」
心はくるりんと軽やかに回り、白い歯を覗かせながら、俺に自慢げに笑ってみせる。健康的じゃなく健康と言ったのは正しくそういうことだった。鋭いな。
「そういうこと。ポッケに手突っ込んでると危ないぞ」
「はいはい、すみませんでした!」
心はポケットから手を出し、怪しい物は持っていないよ!とヘラヘラしながら両手をヒラヒラさせる。
「背筋曲がってるわよ!」
「はいはい、すみませんでした」
俺は背筋を伸ばす。どんな仕返しだ。
「その方が格好いいんだから!」
隣に来た心はこちらを見上げ、うんうん頷いてみせる。
「格好いい?」
「……あんたがじゃなくて!背骨がだから!」
浅葱心は顔を赤くすると、バシッと俺の背中を叩き、フンッと顔を背ける。
背骨が格好いいってなんだよ……と思いつつも、ツンケンしている心に少なからず、俺はいつも通りの安心感を覚えている。
ポニーテールと夏と太陽と。




