2-2. 千の春を越えて今君と 飛びたい
家族のような友人というのは、出会いも覚えていないのになぜかそこにいるものだ。そしてその分かり切った関係性には、刺激などない。
「ん〜もう!朝から元気なーいぞっ」
ほっぺを片側膨らませ、あざとく自分の可愛いさを使っていくその姿勢、正直嫌いではない。
七宮千春。彼が男でなければ。
「いや、そういうのいいから。っていうか朝だから元気ないの。七宮とは違うの」
ほっぺを膨らませている割りには楽しそうに俺のほっぺを人差し指でグリグリとこねくり回す七宮の手をぺしっと軽やかに払い退け、朝の憂鬱さを察せよと机にひれ伏し睡眠態勢に入る。
「ふ〜ん、そっかそっかあ……ねえ、前みたいにさ、良いこと、しよ?」
七宮は机に伏せている俺の耳元でボソッと呟いた。七宮の吐息が耳にかかり背筋がゾワッと震え、ドキッ……ドキッじゃない!!
机から身を起こし、七宮を向く。
「しよ?じゃないんだよ!良いことでもないし!もう席戻れよ……」そう言い終わると同時に黒板側の扉が開き、担任の先生が入ってくる。
七宮はニコっと笑うと、ひらひらと手を振り自分の席へと戻っていった。なぜ俺が遊んでもらった気持ちにならなければならないんだ……
「はい、んじゃあ今日は〜」と気怠く語尾を伸ばしがちな我ら2年4組の担任、梅田 柊子は教壇の前に立ち1日の予定を話し始めた。
そんな退屈な話を聞いていると確かに、七宮ほどではないが、スリルというのを求めたい気持ちにもなってくる。
七宮千春。彼との出会いは1年前、入学してすぐのことだった。
昼休み、まだ少し冷える中庭の影になっているところで1人、ご飯を食べていると猫がやって来た。茶トラのオスで小さくはないが大人になりきっているわけでもない、人懐っこい猫だった。俺はメルボルンと名付けメルちゃんメルちゃんと可愛がっていた。
いや、違うな。この記憶じゃないわ。え〜と、そうそう。
七宮千春。彼との出会いは1年前、入学してすぐのことだった。
夕陽が落ち始めた帰り道、1人で帰るの嫌でしょ?一緒に帰ってあげる!というまだ友達が出来ていなくて泣きそうな心を校門前で待っていた時、1人の男が近づいてきた。
「なに見てんだ1年」違うわ。これでもないわ。こいつ強い。待て待て、そうそう。
七宮千春。彼との出会いは1年前、入学して1週間後の少し肌寒い早朝の教室だった。
珍しく早起きした俺は母に驚かれながらも曇った空の下、浅葱心を迎えに行き、驚き過ぎて目が飛び出たままの心の手を引き……いや、違う。
驚いた心は眉間にシワを寄せながら「熱あるんじゃない?」と俺のデコに手を当て、教室に1番乗りを体験したい俺はその手をそのまま握り、「自分で歩けるから離して!」と叫ぶ心を引っ張って登校したのだ。ピカピカの制服で。
しかし、結論から言うと1番乗りという野望は跳ね除けられた。2番だった。2番じゃダメなんですか?俺は自分に問うた。ダメです!俺は泣いた。
七宮千春。そう自己紹介の時に名乗ったその男は照らされていた。曇り空の切れ目から落ちてくる陽光を全て集めていた。穏やかで可愛いらしい顔をこちらに振り返らせると、首を傾かせ、ニパッと弾ける笑顔で「おはぴょん!」とやってのけたのだ。
ああ、うざいなあ。そう思うようになったのも、今考えるとこれが原因なのかもしれない。永遠に1位になることができないと烙印を押された気持ちになったのかもしれない。可愛いらしい笑顔はまるで悪魔の微笑みであった。彼だけは天国に行かせるものかと誓った日でもあった。
2人以外誰もいない教室に静かに寂しく響く俺の「おはよ」という声。自分の席に座り、鞄を机の横にかけるとドッと眠くなった。
彼はサッサッと足を地面に擦らせながら近づいて来た。そして耳元に顔を近づけこう言う。
「ねえ、良いこと、しない?」
七宮を見ると、さも愉快そうにニヤりと口元を上げていた。くるりと丸い、水分を多く含んでいそうなキラキラした瞳を、弓のように細くさせる。まるで誘惑するように……
その目は異質なまでに妖艶だった。こいつが女だったら、何人もの男をダメにする。そんな雰囲気を放っていた。
俺は恐らく酷く素っ頓狂な顔をしていたに違いない。
七宮は口を半開きにして固まっている俺を見てクスクス笑った後「ねえ?」お願いと言わんばかりに顔を傾けて、上目遣いを向けてきた。
しかし、こいつは男だ!俺は騙されなかった。危なかった。片足突っ込んでた。やばかった。
「いや……」そう次の言葉を言いかけた時、世界は進むのをやめた。カーテンは風で膨らんだまま戻らない。太陽の光は揺れることもなくビッタリと七宮を照らしている。これは絶対に選ばなければならない約束なきルール。
『当然するでしょ!』
『まあやってやらんこともない』
終わった。目の前に浮かんだ2つのワードを見て絶望した。拒否権なき選択で拒否することも許されないとは。
まず『当然するでしょ!』なぜノリノリなのか。とんだスケベやろうじゃないか。
次『まあやってやらんこともない』なぜワクワクしているのか。とんだムッツリやろうじゃないか。
俺は拒否したい。七宮は男だ。オープンだろうがムッツリだろうが俺はスケベしたくない。そういう一面もあるけれど、男の子だし?当然?あるし?でもそんなの見せるのは今じゃないし?的な?
しかし、選ばなければならない……その後の言葉でフォローしやすいのは……
「『当然するでしょ!』」
なーんちゃって嘘でしたー!と明るさ全開でゴリ押し拒否する前に、七宮はもう俺に飛び込んで来ていた。
「ちょ、待っ!冗談!」
両手を広げ飛びかかって抱きついてくる可憐な子、七宮千春。
首に両手を回し膝に座られると、柔らかいお尻の感触と体温がリアル。なんでこんな良い匂いするんだコイツ!と冷や汗だらだらで七宮を剝がそうとするが、ビクともしない!全く離れないのだ。なんて力だ……ッ!
七宮は目を合わせず、俯いている。俺の首に両腕を巻き付けたまま。股間か?股間を見ているのか!るこの男の娘風情が、どんな表情をしているのか、まるで想像もつかない。
「き、君が……」黙っていた七宮は静かに口を開く。
「君が初めてだよ!!」
バッと顔を上げると、その顔にはさっきの妖艶さはどこへやら。楽しいことを見つけた少年のような、爽やかなキラキラとした笑顔がそこにはあった。
「え?なに?」なにが起こっている?スケベしなくていい?なにこれ?なにこれ?俺はどうなってる?どうなっていく?
両手を首から解き、膝から飛び降りると勢いよく絶賛混乱中の俺の手を引き、走り始めた。
「行っくよー!」
七宮は廊下を走り抜け、2段飛ばしで階段を駆け上がる。
ほとんど誰も歩いていない校内に響き渡る2つの足音。躓きそうになりながらも、俺は七宮千春の後ろを懸命に走るのだった。
千の春を越えて今君と 飛びたい。