9-3. 悪魔の囁き
次々と新たな文化は生まれ、それと同時に古いものは廃れていく。それでもこの地下の小さな喫茶店には、新たな文化なるものが存在していない。他人が時代と共に捨てていく物が、ここは俺たちの場所だと言わんばかりにその居場所を守っている。
俺はハムとレタスとチーズが薄い食パンに挟まれた、お世辞にも美味しいとは言えないサンドイッチを頬張り、こういうところだからこそ、特別美味しいなどいらない。この素朴な食感と味が良い。不思議とそういう気持ちになる。
風花は小さい口でペロリとカレーを平らげバナナミルクを飲む。こんなにも細いのに、意外にもよく食べるようだ。
「……美味しい」
彼女はバナナミルクに果肉が入っているのが気になるのか、グラスをクルクル回して眺めている。
それは良かったとコーヒーを飲んでいると、彼女はふとこちらを見る。
「どうした?」
俺の手元をジッと見つめる風花に質問する。
「……飲んでみたい」
どうやら彼女はコーヒーに目をつけたようだ。お目が高い。
俺は彼女の前にコトっとコーヒーを置くと山藍風花は両手でカップを持つ。
ちょびっと舐めるようにしてコーヒーを飲んだ彼女はベッと舌を出した。
「……苦い」
風花は無言で俺の前にコーヒーを戻し、口直しにバナナミルクを飲む。
家で本を読みながらコーヒーや紅茶を嗜んでいそうだが、どうやらコーヒーは苦手なようだ。
俺は戻ってきたコーヒーに口をつける。とその様子を興味深そうに、風花はまた見つめてくる。
「……関節キス」
「ブフッ」
俺は口に入れたコーヒーをぶっと吹き出してしまった。
「ゴホッゴホッ」
変なところに入った!何唐突に言ってくれてんだ!と彼女を見ると、クスクス笑っていた。
クスクス笑っていた。笑っている……?
「……ふふ」
おい、いつもの無表情はどこへ行った?彼女は口元を左手で隠しながら、その表情には確かに笑みが浮かび感情が前面に出てきていた。
「おい、風花?大丈夫か?」
感情を出した風花を前に、俺は喜びよりもずっと、心配が勝ってしまう。
「ふふ……関節キス、ふふ」
まるでこっちに耳を貸す気もなく、彼女はクスクスと笑うのを止める気配がない。
俺はそうなった原因を探るが、思い返してみてもカレーか、チビッと舐めたコーヒーぐらいしか見当たらない。
しかし、それが一体なぜ?ふとメニュー表に目がいく。野菜カレーの下にはご丁寧に、隠し味にコーヒー!と書かれていた。
カレーに入ったコーヒーとチビッと飲んだコーヒーのカフェインで、まさか、こうなったのか?本当にカフェインでこうなる人がいるのか?俺は驚愕し、少なからず動揺する。
信じられないながらも今後一切、風花にはコーヒーは与えないことを決め、とりあえず元に戻るのを待つことにした。
観察していると、多少動きも大きくなってはいるが、風花の元が元なので、そんなに大した差はない。お酒のように顔を赤くしてということもなく、ただ彼女のテンションだけが高くなっただけのようだ。
これはこれでタチが悪い気がする。
「ふふ、あなたと居ると楽しい」
風花はヘラヘラしながら恥ずかしそうに身体をゆっくりと左右に振る。
戻る気配もないし、なんか嫌なエンジンのかかり方だな。
俺は彼女の口から出る喜ばしい言葉を「はいはい」と聞きながらも、この後の嫌な予感を、ひしひしと感じるのだった。
悪魔の囁き。




