2-1. 千の春を越えて今君と 助走
別れ際、ほんの少し振り返りたくなるのは、恋なのか愛なのか。そんなものがなくとも、振り返りたくなる。
走って教室に向かう浅葱心の背中に悪態を吐きながら、俺はダラダラと歩き、自分のクラス2年4組へと向かう。
クラス替えから早くも1週間が経過していた。孤立する者、話す人欲しさに自分と合わない友人を作ってしまった人、なんの苦もなくチャチャっとグループに入れる人。兎に角、クラス替えから1週間というのは、まだまだカオスな人脈形成真っ只中にある。人体で言えば内出血状態だ。
さっさと自分に適したグループに入る。それはとても重要なことだ。自分を高く見積もりカースト上位グループに入れば、それはライオンの集団におめおめとやって来たシマウマみたく、食べられて終わる。
逆に途轍もなく高い顔面偏差値とコミュニティ能力を持った人間が、下位グループに入れば元々下位グループの人間が、なぜか女子たちにとやかく言われたりする。
おかしな話だ。いや、本当におかしいんだろうか?いや、おかしくない。そう、おかしくないのだ。自分の狙っている能力の高いライオンが、シマウマの群れに1匹で入って行くことに、女子たちは決して男らしさを感じない。それどころか、自ら群れを抜け、弱い者へすり寄るその姿に女々しさを感じてしまう。
しかし自分の理想的な人物がそんな人間なわけがない!信じたくない!だから彼は悪くない!悪いのは周りにいる弱いシマウマたちなのだ!と、下位グループはとやかく言われるのである。なんてこった。パンナコッタ。こいつは酷い有様だ。ということで、自分に見合ったグループに属するというのはとても重要なことである。
そうこう考えつつ、すれ違う先生方に挨拶しながら辿り着いたこの部屋。ガラガラと何万回も開け閉めされて来たであろう教室の扉を開けゴマ。
黒板側の窓際、俺の今入った廊下側の後ろの扉とはちょうど対角線上に位置する場所で、悲しいかな酩酊したライオンがライオンたちのご機嫌を取っていた。いや、苦笑いさせていた。その酔っぱライオンは俺が教室に入ったのを見ると会話を切り上げ、もう既に自分の席へと腰を下ろした俺に颯爽と近づいてくる。
「おはぴょん!」
ああ、うざいなあ。去年から続くこのおはぴょん挨拶には記念すべき第1回目から全く同じ感想を抱き続けている。
両手をうさぎのように頭の上に置き、某ネズミーランドのキャラクターのように重心を左足に預け、右足の爪先は上げられている。身体は少し右側に倒れ込み、くの字型になる。マスコットかお前は。
「おはよ」
未だにその姿勢をやめない七宮 千春に冷え切った視線を送りながら挨拶を返す。
このクラスでは幸せなことに自分を高く見積もり、ライオンの群れに突撃するシマウマはいなかった。しかし、ライオンすら苦笑いせざるを得ないライオンが居た。それがこの七宮千春という男である。
顔は良い。中性的な目鼻立ちで、肌はきめ細かく、背は160cm前半、華奢。髪は細く柔らかめの髪を肩口まで伸ばしている。声はそれで声変わりしたんですか?と思うほど高く、少年的。ルックスだけで見れば愛されるべき男の娘、いや、男の子。と言えなくもない。
しかし彼には欠点があった。大きな欠点があった。見過ごせない欠点があった。それは大のスリル好きであることだった。
大のスリル好き。そう言われるとジェットコースターとかそんなんかな?子供っぽくてかわいいね。なんて思うのは皆が通る道だ。しかし、彼をスリル好きと呼ぶには少し言葉が軽過ぎる。正しくはこう、彼は刺激中毒者である。
抑制からの解放、求める新奇な体験、危険。身を滅ぼしそうであればある程、それは楽しみになる。それが例え周りを巻き込んだとしても……
故に彼は酩酊酔っぱライオン。群れを抜けてフラフラしていることが許されている人間。誰もが巻き込まれないことを祈っている。
もちろん、俺もだ。
千の春を越えて今君と 助走する。