6-7. 落下傘でゆっくりと
太陽は人々に悟られることなく、降りる準備を始める。もう後はゆっくりゆっくりと、頂上から落下傘を開いて落ちていくばかりだ。
ご飯を食べ終え、洋食屋さんを出た俺たちのデートもいよいよ最後のメインイベント、ないし当初の目的地へと足を進める。
しかし、どうしたものか……隣を歩く絢愛先輩もまた同じように悩んでいた。
今から向かおうとしている場所は映画館なのだが、当初から観る予定だった映画は少し小難しいヒューマンドラマ。つまり、予定していなかった撫子がいる今、それを見るべきか否かで2人は悩んでいたのである。
撫子は歩く時の居場所を決めたのか、俺の左手は今日1日、もう彼女の物らしい。それは別に構わないどころか、子供に懐かれるのをこんなに喜んでいる自分に驚いている。
しかし子供は気楽な物だ。隣で大きいのが2人、悩んでいるというのに……などと、俺は思わない。
ずっと左手を握られていた俺は、お店を出て再び繋いだ時から彼女の違和感に気が付いていた。
例え人として未熟だろうと、それで子供が人じゃなくなるわけではない。と、俺は撫子を見ていて思う。大人のように空気を読むこともあるし、自ら子供らしさを取り繕うことも時にはあるということだ。それは裏を返せば、大人が求めていることがわかるということ。
話を戻そう。撫子は俺たち2人が悩み始めた理由、それが自分にあることを恐らく理解してしまっている。
再び手を繋いだ時、出会ったときにすら無かった余所余所しさを持ち、それでいて握る手は離さないで!と言わんばかりに力強い。午前までの明るさや引っ張る姿勢は鳴りを潜め、撫子は遠慮がちに少し後ろを歩いている。変わらずギュッと手を握りながら。
邪魔したくない、でも離れたくないという相反した2つの感情が、きっと小さな彼女の中をグルグル回っているのだろう。
そうこう考えているうちにまた高い建物が並ぶ大通りに戻り、映画館前に着いてしまった。
撫子を見ると国民的アニメ映画のリバイバル上映のポスターに目を奪われている。
「なーちゃん、それ見たいの?」絢愛先輩が彼女の身長に合わせてしゃがみ、優しい笑顔を向けて聞く。
なるほど、お姉さんらしい。
「ん?ううんー!」
撫子は目を細めて首を横に振るが、口角が上がっていない。この笑顔は嘘だ。どうしてもこれ以上邪魔をしたくないらしい。
今日1日、俺は左手を酷使した。しかし、それに見合った報酬も頂いた。撫子は過去に類を見ないほど俺を優しくさせたし、雨衣会長改め絢愛先輩のことも、撫子が居たからこそ新たな一面を垣間見えた。
俺は、彼女の屈託のない笑顔が好きだ。いつまでも心から笑っていてほしい。そう願っている。
「撫子、つまらないかもしれないけど今日は俺たちが観たい映画でいい?その代わり、また一緒に遊ぼう。その時は撫子が観たい映画、俺と絢愛先輩が一緒に観るからさ。どう?ダメかな?」
撫子は少し考えると、徐々に泣きそうな顔になっていく。
「また、あそんでくれる?」
不安に耐えられなかった彼女の瞳からはいよいよ大粒の涙がポロポロと溢れてきてしまった。
「うん」
「ぜったい?やくそく?」
「うん、絶対。約束」
「わかった……じゃあ次は、私が観たいやつだね」
嗚咽を漏らし鼻水をすする彼女と指切り、約束をする。これは俺の我がままではない。そして撫子の我がままでもない。これは取り引きなのだ。
ゴシゴシと腕で涙を拭い、それでもまだ崩れた顔のまま、撫子は心からの笑顔を見せる。
絢愛はハンカチで彼女の顔をグリグリ拭くとお姉さんの面持ちで、1人の少女の成長を感じるのだった。
左手に撫子の温かさを感じながら、俺と絢愛先輩は少し小難しいヒューマンドラマを時に笑い、時に泣きそうになりながら観賞した。
勧善懲悪ではない、それでもそこにある伝えたいことは、観た者に語る幅を残して確かにこちらに伝わる。
良い映画だった。
俺と絢愛先輩は良い映画を見た後のふわふわとした気持ちのまま、あーでもないこうでもない、あそこが良かった私はあそこが、と意見を交わしながら帰ることとなった。
まだ太陽は夕焼けに燃えることなく、空に座し、往来を行き来する人達を優しく見つめている。
「やっぱりまだ少し、難しかったみたいですね」
俺に背負われている、映画の途中ですっかり寝てしまった撫子のほっぺに、絢愛先輩は細くしなやかな指先でツンと触れる。
「5分ぐらいで寝てましたから、泣き疲れたんだと思います」
俺は少女の吐く息の熱さに背中を焼かれながら、苦笑いする。
「今日はありがとうございました。急になーちゃんも来てしまったのに、楽しく遊んで頂いて」
雨衣絢愛は今日出会った時と同じように肩を落とす。だが、その表情に翳りはない。穏やかな笑みを浮かべながら、今日1日の出来事を振り返り、もう1度小さな幸せを噛み締めている。そんな顔だ。
「こちらこそ。撫子と遊ぶのも楽しかったです。それに、絢愛先輩といろいろ見て回るのも新鮮で面白かったです」
行きよりもずっと距離の近づいた2人は、笑い合う。叙情的な響きを残して。
まだまだ話したいことがある。まだまだ見たいものがある。まだまだ一緒に居たいと思う。別れ際の寂寥感が2人を包む。まだ一緒に居るのに、もう1人みたい。
「また、2人でも来ましょうね」
「ええ。2人でも来ましょう」
2人の微笑みも、声色も、寂しさを含んだものになった。それでも寂しいなど、口にはしない。この約束がいつか、出来れば近いうちに果たされることを心の中で祈る。そればかりだ。
会話の話題をまた映画に戻し、多くの人とすれ違いながら帰路に就く。2人は別れ際の一抹の虚しさを、撫子という落下傘を背負いゆっくりゆっくりと、またねと手を振るその時まで、楽しむのだった。
落下傘でゆっくりと。




