6-6. 休日の夢、君の名前
「え?」
葉桜撫子は俺に問いかける。なぜ雨衣絢愛のことを私のようにあだ名で呼ばないの?と。
そう言われると特になにも考えず、雨衣会長と呼んでいた。
当然と言えば当然で、雨衣絢愛の見た目がどれだけ幼く見えようと、彼女は尊敬できる学校の会長で俺の先輩だ。ともすれば、雨衣会長、もしくは雨衣先輩と呼ぶのが道理だろう。
「あー、俺にとって雨衣会長は尊敬できる人で、そんな軽々しく呼べないというか……雨衣会長も嫌ですよね?」
俺はあははと困った笑いを浮かべ、助けを求める。
よくわからないという顔をした撫子の横で、雨衣会長は首をぶんぶんと横に振っている。
求める反応を真っ向から裏切る姿勢、見習いたい。
「絢愛ちゃんやだ!って言ってるよ!私はね、あーちゃんが良いとおもう!」
雨衣会長が強く否定した為、俄然勢いを増した撫子はなーちゃんあーちゃんで仲良し感を押し出したいらしかった。
あーちゃん……急にそれはさすがにちょっと呼びづらさを感じる。雨衣会長がそれで良いと言うのなら、呼ぶより他ないんだけど。
雨衣会長はなんて呼ばれたいとかあるんだろうか。
「絢愛ちゃんはなんて呼ばれたい?」
間が良く撫子は雨衣会長に話しかける。
あーちゃんだよね?ね?と言葉に出さなくても、その様子を見ていれば手に取るようにわかってしまう。
雨衣会長を見る姿は実に子供らしくウキウキとした心待ちだ
期待の眼差しを横から向けられた雨衣絢愛は、畏まった様子で口を開く。
「絢愛……絢愛がいいです」
彼女の口調は物静かでも、なにか期待を含んだその眼差しは力強い。
あーちゃんを却下された撫子は、「ちぇー」と興味をあっさり無くし、水を一口飲むと窓から外を眺め始めた。
切り替え早いなおい……でもそんな撫子と違い、俺には彼女からの期待がかかっている。
あーちゃん、絢愛、どちらがマシか。どちらも正直呼びづらいことに変わりはないが、なんとなくあーちゃんの方が今思えばノリで行ける分楽だったのかもしれない。
少々会話とのタイミングが悪く料理が運ばれて来てしまった。
しかし待ち望んでいただけに、俺たちは目を輝かせずにはいられない。
ふわっふわの卵に包まれたオムライスが3人の前にそれぞれ置かれる。果実のつぶつぶが美味しそうなオレンジュースが彼女たち2人の前に並び、豆から挽かれた良い香りのするコーヒーは俺の前に来る。
店員は届けた商品に間違いがないか確認すると「ごゆっくりどうぞ」と一礼し、テーブルを離れた。
各々から感嘆の声が漏れる。特にテンションの上がり具合を隠せていないのは言わずもがな撫子だ。
「ふおー」と他のお客さんに迷惑をかけないよう小さめの声ではあるが歓声を上げ、足をパタパタと動かし、拍手までしている。
俺と雨衣会長がもし彼女と同じく10歳前後であったなら、きっと遜色ない行動をしたに違いない。それほどまでにこのオムライスは見た目からして完成されているのだ。
水を一口飲み、口内をリセットする。
上にかけられたケチャップが見た目にも良い。このまま飾っておきたいぐらいだ。
まるで雲のように軽い卵をスプーンで切り開くと、食欲をこれでもかと唆る良い匂いの湯気が立ち昇る。
中から顔を出したチキンライスはパサパサしていない。それでいてベチャッともしていない。完璧なしっとり感だ。
と馬鹿馬鹿しく1人でグルメっていると、既にパクッと2人はオムライスを口にしていた。
「「ほいひい〜」」
なんて幸せそうな顔をするのだろう。2人は仲良くハモらせるとモグモグと食べ進める作業に入った。
女子ってこういう時、もう少し話しながら食べ進めるんじゃないの?心とか凄い喋るよ?
ここにはいない浅葱心の顔を思い浮かべ、ここに居たらきっと2人と同じように、文字通り破顔させるに違いない。そしてゴクンと飲み込んだらきっとこう言うだろう。「なに見てんのよ!はやく食べないと冷めちゃうでしょ!」と。
なんだかそんなことを思い浮かべている自分が、少し可笑しくなった。
「撫子、美味しい?」
聞くまでもあるまいに!そう思う程に笑顔でスプーンをオムライスから口に動かし続ける彼女に俺は問いかける。
彼女は俺を見ることもなく「うん!」と元気に返事をする。
オムライスに負けた気がして少し悔しい気持ちになったのは内緒だ。
「絢愛、先輩は?美味しい?」
だが、撫子のその反応は想定の範囲内。それは前振り。俺はさらっと「絢愛」と呼ぶために、すまないが撫子を利用させて頂きました。
おかげでナチュラル。言わば自然。川の水が流れるのとなんら変わりない。淀みない。そう思いたい。怖気付いて先輩つけました。ごめんなさい。
「あ、」
雨衣絢愛は口に運ぼうとしていた手を止め、そう一言漏らす。そうして彼女もまた、努めて自然に答えるのだ。
「はい、とっても美味しいですよ」
窓から差し込む柔らかな光に包まれながら、彼女は笑った。いや、微笑んだ。いや、幸福感を露わにした。いや、違う。なんと言ったら良いのだろう。今日、この時に至るまで、それなりに彼女の笑顔を目にして来た。しかし、こんな笑顔は終ぞ見たことがなかった。
まるで御伽話。さながら映画。喩えるならそう、それは絵画。
俺は引き込まれ、雨衣絢愛から目が離せない。
「……食べないんですか?」
長い時間見ていた気がする。雨衣絢愛の心配そうな表情と声色にハッとした。
「あ、ああ!食べますよ!」
ヘラヘラと笑いながら、見惚れていた自分を誤魔化すようにオムライスを口に掻き込む。
美味い。本当に、美味しい。
対面する雨衣絢愛が、少し残念、でも少し安心したように、聖母のような表情でこちらを見ていたことを、俺は知るはずもなかった。
休日の夢、君の名前。




