5-3. 図書館の無口な姫は、喋らずして静寂を破る。
「さいせいって読むんだ……ごめん」
差し出された本を手にする。温度感がまるでない冷たそうな手から渡されたその本には、彼女の温もりが確かに存在していた。血が通っている人間なのだから当然のことなんだろうが、なんだか不思議な感覚だった。
「……別に」
もし初対面の時点でこの言葉を言われていたら、俺は恐らく彼女を怒らせたと思ったに違いない。
本に残る彼女の体温を知ったからだろうか。無表情で言い方こそ冷たいが、そこに怒りという感情が含まれていないことがわかる。
読む本が手から消えた彼女はゆっくりと足元の鞄に手をやり、ゴソゴソと探る。違う本を手にすると再び椅子の先の方にちょこんと座り、背筋の伸びた元の姿勢に戻った。
彼女は読もうと本を開くと同時になにかに気がついたようで、俺を見上げて動作を止める。
ああ、そりゃいつまでも目の前で見られてたら気分悪いよな。またまた悪いことを……そろそろ退散するべきだ。本のお礼を言って帰るとしよう。
そう思い口を開こうとした瞬間、彼女は1度開いたページをパタンと閉じると、銀縁のメガネが鈍く光る顔の横に本を持ち上げた。俺に表紙が見えるように。
「『なんの本読んでるの?』」
選択肢によって決められた言葉を、彼女は初めて貰ったプレゼントのように大切に抱きしめている……
いや!同じやり取りを繰り返すのが面倒だっただけかもしれないし、俺が立ち止まって彼女を見ているから、本が気になっていると勘違いしたのかもしれない!けど……この彼女の行動には、なんだか彼女なりの慈愛と一種の天丼的ジョークが含まれていると信じて、俺は喜びたい。
「ははは、ああ、ありがとう」
俺は笑いながら彼女にお礼を言う。
彼女はニコリとすることもなかったが、本を顔の横から下ろすと、うんうんうんと得意げにいつもより多めに頷いてくれた。
外で強い風が吹いたのだろう。窓がガタガタと鳴り、青い葉は揺れ、砂埃が立つのが見える。
風が去ると、なんだか長く思える一瞬の静寂が、図書館を包み込んだ。
彼女は黙っていながらも、静寂を打ち破ることが出来るらしい。俺に向かってひらひらと手を振り始めた。
俺の言ったありがとうが、さよならの枕詞だということを理解していたようだ。そうでなければ、純粋に早く帰れということになる。悲しいかな……
「早めに返すよ」
俺は彼女から受け取った本を両手で大事に持つ。
彼女はひらひらと振っていた手を止め、本を開き、読む姿勢に戻る。
「……いつでもいい」
ゆっくり、優しく、透き通る声でそう言うと、いよいよ彼女は自分と物語の世界に入り込んだ。
「じゃあまた」
もう届かないであろう別れの言葉を口にして、俺は図書館を後にした。
図書館の無口な姫は、喋らずして静寂を破る。




