5-2. もしも、背中越しに彼女の声が聞こえたら、きっと君は振り返る
外からは運動部の掛け声がし始め、オーケストラ部の演奏が音楽室をすり抜けここ図書館まで流れて来る。
しかし、未だ図書館はまるで世界から隔離されているかのように、独特の重たさを持ってここに居る。
俺は彼女の声をもう1度聞いてみたいと思ったが、無理に詰めてもきっと彼女は話してくれない。そういう雰囲気を纏っている。彼女はきっと会話というものすら、必要としていない。
「ありがとう」
俺は本を返却してくれたこと、山藍について教えてくれたこと、2つの感謝を1つに纏めて彼女に渡す。
彼女はカウンターの中でわかったのかわからないのか、こくりと1つ頷くと、メガネをくいっと上げ、自分の本を読む作業に戻った。
俺も自分の読む本探さないとな……とその場を立ち去る、ことは許されなかった。
世界は軋む音1つ立てず、その歯車を止める。
さっきまで聞こえていた運動部の声も、オーケストラ部のチャイコフスキーも、もう今はどこにもいない。今ここにあるのはたった1枚でクルクル回り続ける歯車、俺の精神と、止まることを知らない無慈悲なルールそれだけである。
『なんの本読んでいるの?』
『オススメの本を教えてほしい』
目の前に浮かぶ2つのワードは、正直どちらも聞きたいものであることに違いなかった。
こんな時ばかり、やけに常識的な選択肢を出してくる。
しかし、彼女は会話を必要としていない。だから話しかけない。それこそがつい先刻、自ら出した答えだ。この選択肢がある意味1つのチャンスだったとしても、それを曲げたいとは思わない。
俺が選択するのは……
「『なんの本読んでるの?』」
世界はやはり軋む音1つさせず、いつもと変わらぬ顔をして歯車を動かし始めた。
彼女はゆっくりとこちらを見て、メガネの奥でまばたきを1つさせると無言で手に持っていた本の表紙をこちらに向けた。
全く思い通りになった……
どうだ!選択肢があろうと、俺は彼女に喋らせないことができた!最高の気分だ!
彼女の声がもう1度聞きたいとはなんだったのか。俺は自分の願望が叶うよりも、いつも俺の思っている方向とは別の方へ歩ませようとしてくる選択肢を打ち負かしたことがなにより嬉しかった。
彼女が見せてくれたシンプルな表紙には、室生犀星 〔或る少女の死まで〕と書かれている。
めちゃめちゃ暗そう……
「お、おう……なるほど、ありがとう!」
正直作者名すら正しく読めないんだが……しかし任務はコンプリートした。自分の本探しに戻ります!
「……読む?」
「え?」
……え?
普通に会話、続けて来るじゃん……?
彼女はゆっくりと首を傾け、俺の表情を窺っている。
「……違うなら、別にいい」
彼女はゆっくりと小さいのによく聞こえる声でそう言うと、本を読む作業に戻ろうとページを開く。
「読む読む読む読む!む、むろう、そうせい?さん?読みます!」
ちっくしょう!!選択肢め!!なんでこんな敗北感を毎回毎回飽きずに俺は!くっそ!!でもやっぱり良い声してらっしゃる……ちくしょう……!
座ったままの彼女は少し可哀想な人を見る目で、下から俺を覗き込む。
「むろう、さいせい」
そう訂正すると、開いた本をパタンと閉じ、か細い白い綺麗な手で、室生犀星〔或る少女の死まで〕を俺に手渡すのだった。
もしも、背中越しに彼女の声が聞こえたら、きっと君は振り返る。




