6 父王の執務室にて
菓子を入れた蓋付きの器を、デートレフの部屋付きの侍女に渡し置いて、マルトは急ぎ足で王の執務室に向かった。
執務室の取次の者に自分が来たことを告げると、すぐに中へ通された。待たれていたらしい。
部屋の中には、デートレフと王となぜかカーイがいた。
「失礼いたします。遅れまして申しわけありません」
こうべを垂れて謝罪すると、デートレフはこともなげに許した。
「いい。気にするな。こちらへ来い」
王と第二王子に向かって再度頭を下げると、マルトは、皆と机を囲んで座っているデートレフのすぐ脇に進んだ。
第一王子の護衛兼側近という名目から、王の執務室の中でも時々彼の後ろにいることを許される。今回もそうで、マルトは静かに控え立った。
カーイはマルトを認めると、一瞬だけ、ああ、という顔をしたが、何も言わずに会釈した。そして、今までしていた話を続けた。
「父上、お願い致します。どうかお許し下さい」
第二王子は王に許可を願った。王は、低く唸るとちらりとデートレフに目をやった。
しかし、面白そうにただ成り行きを見守るばかりで、デートレフは口を出そうとしない。
王は息子の要望を押しとどめた。
「……お前の気持ちは良く分かった。が、まだ早い。まずは今学んでいることを修めなさい」
どうやら、彼は自分に課せられている教育に不満があるようだ。
カーイはデートレフに向かって質問した。
「兄上、兄上が"塔"に通うようになったのは私ぐらいの年齢からと聞きました。本当ですか?」
「そうだ」
デートレフが短く返答すると、カーイは父にくってかかった。
「なら、なぜ私がそうしてはならないのですか?」
いつも物静かな少年の、こんな様子は珍しい。ほう、とマルトは内心驚いた。
"塔"でどんな魔法を使ったのやら、今まで受け身的な勉強だけをこなしていたカーイが、積極的に学ぼうとしている。"塔"の持つ知識、技術、そして力、それらを得ようとしている。
"塔"の天辺に降りる。本当にその意思があるのだな、とマルトは思った。
王族が"塔"に入りその天辺を目指すこと。それは国を統べる王を導く存在になるという事だ。導師。まさに王のあるべき姿を導く師として。
しかし、それは俗に言う"魔法使いども"の親玉にのし上がることに他ならないわけで、当然相当な専門知識を要する。早く上へ登りたいなら早く準備を始めたほうが良い。
もし成果のないままであれば、”塔“という牢獄の囚われ人よろしく研究と学問以外何もさせてもらえずに飼い殺しだ。それゆえカーイは王に頼みに来たのだろう。
父王は困った様子で顎を撫でた。老いの色が見え始めた手。王は穏やかに諭した。
「デートレフは全ての学問をある程度修めておった。お前もその上でと言うなら、余は反対せぬ」
「では、今の勉強が終わればお許しいただけるのですね」
畳みこむようにカーイが念を押すと、王は気が進まない様子ながらも了承した。
「終われば、良いだろう」
それを聞くと、嬉しそうにカーイは礼を言った。
「ありがとうございます」
デートレフは微笑を浮かべた。
「ふ。カーイ殿下、良かったな。ただ、言っておくが、父上がそう仰るのは基礎知識が無い者に"塔"は門を開かぬからだ。そうでしたね、父上」
王がうなずく。兄は先祖に良く似た微笑みで駄目押しした。
「そのある程度とは、我の場合全試験満点のことだった」
カーイが驚き顔で目を見開く。
「なに、我に出来てお前に出来ぬこともあるまい。満点など簡単なこと。間違えなければいいだけだ」
相変わらず子供にも平気で酷なことを言う、とマルトは渋い顔をした。
ところが、カーイはそれを了承した。穏やかに答えつつ眼だけは挑戦的に兄を見ている。
「わかりました。そうですね、間違えなければいい」
楽しそうにデートレフの頬が緩む。焚きつけが成功して嬉しそうだ。本当に仕方のない人だ、とマルトは肩をすくめた。
だが、こうした扱いは彼がカーイを認めた証拠でもある。
見込みがあると彼に思われている間、カーイは鍛えられ続けることになるだろう。デートレフ流に言えば可愛がってやっている、ということらしいのだが、相手に伝わりにくいことこの上ない。
カーイは王と異母兄に会釈すると場を辞した。
「それでは、私は失礼いたします。父上、ありがとうございました」
王がうなずく。デートレフもうなずき、短く告げた。
「後で本を差し上げよう。励め」
「!……ありがとうございます」
小さく息を飲み、カーイは礼を言った。思いのほか驚いたようだ。
後ろに立つマルトが強面の顔を崩して笑みを乗せると、答えるようにカーイも穏やかな笑みを返した。
カーイが執務室を後にすると、王は興味深げにデートレフへ問いかけた。
「どうした風の吹き回しやら。お前があれを気にかけてやるとはな」
「いえ、気が向いただけのことです」
デートレフは軽くそれを流すと、持って来たらしい王国の地図を広げた。
王は第一王子の素っ気ない様子に、彼の照れ隠しを見てとった。こちらは流石に実父だけあって、お見通しである。
小さく口元を緩めたものの、王はそれ以上の追及はせず、素早く地図の上に目を向け、先を促した。
「まあ良い。……して、今度は何か」
デートレフは、地図のとある地域を指しながら事務的に話しをはじめた。
「では、申し上げます。辺境警備の件ですが、このノルト領とオステン領に隣接する国境に増兵を要します。理由は二点。ノルト経由の交易品を王都まで安全に運ぶ為、街道の警備強化を図ります。また、オステンの叛徒騒ぎの一件で判明しましたが、この地域一帯がここ数年ウトパラ川の氾濫で深刻な状況に陥っています。早急に対策を立てねばなりません。まずは兵を使って民を避難させ、治水工事を進めていただきたい」
マルトは地図を指差す主人の顔をうかがった。王妃には適当に言ってやったが、まさか本当にその話をするとは思わなかったのだ。
彼はマルトが複雑な表情をしているのを見て、満足そうににやりと笑った。
ああ、自分が色々と口実に使ったことを察して、それを本当にしてくれようとしているのだ、とマルトは気付いた。
軽く頭を下げると、彼はふふん、と鼻を鳴らした。
「そのことならば、既にノルト侯爵から申し出があった。国境の街道に私兵を配しても良いかと。オステンから避難してきた民も領内で受け入れて保護しているようだ。治水工事のことを言えば喜ぶであろう」
「左様でしたか。それで、父上は私兵配置を許可なさったのですか」
探るようにデートレフは父をうかがった。
「いや。まだだ。ノルト侯爵には一考するとだけ伝えてある」
首を横に振った王を見て、彼は含みのある例の綺麗な微笑を作った。
「慎重なご判断です。私兵の配置は許可なさいませんよう。配置するのは王の兵でなければなりません。これは各領地の問題ではなく、王国の問題としてとらえるべきです」
それだけではないな、とマルトは思う。
代替わりしたばかりのノルト領主は、まだ若いがなかなか目端が利く。私兵増設を許可することで、余計な力を持たれれば後々厄介だ。
「無論、国の問題であろう。ウドパラ川は一領地だけに流れるものではないからの」
同意する王に、彼は低い声できいた。
「で、父上。オステン公には、いかがなさるおつもりですか」
王は深い溜息をついた。オステン領家は古くは王族から臣下に降りた名門家系である。
王国の貴族の中で、代々重臣として仕えてきたが、しかし、領内で叛徒を出すまでの失態ぶり、その責を問わねばなるまい。
「降格を考えておる」
「これは、ずいぶんと甘いお考えだ」
「ならばお前ならどうする」
「取って捨てます」
デートレフは簡潔に言い放った。
「殿下!」
あまり非情なことは、と声をあげたマルトと、渋面の王に向かって、彼は冷徹に言葉を連ねた。
「現オステン公は無能者です。何年も領民の苦悩を放置しておきながら、己は安楽な椅子に座したまま。"塔"の進言を無視して開拓も治水もせず、全て神殿の祭祀のせいにし、川の水は川の神の機嫌次第、地の実り具合も天の采配、みな運任せとは。名門が聞いて呆れる。そのくせ税だけはなんのかんのと名目を増やして取り立てる」
「殿下、言葉が過ぎます」
たしなめるようにマルトが後ろから小声を掛けたが、彼は容赦がない。
「事実を言っている。公は隠居すべきだ。さもなければ殺してやったほうがよほど領民のためになる」
眉間に皺を寄せて、王は大きく溜息をついた。
「過ちは正せばよいこと。公も深く反省しておる。そう事を荒立ててはならぬ」
「いいえ、何年も放置しておいて単なる過ちでは済まぬはず。オステン領は一時王の直轄地として取り上げ、治水工事が完了した後、新たな領主を選ぶべきだ」
第一王子の進言に、王は難色を示した。
「だが、誰を据えるというのか」
「今考えずとも良いでしょう。それより、このまま赦すほうが問題です。愚臣を厚遇すれば、民の王に対する不信の種となる」
黙り込む王。デートレフの言う事にも一理ある。叛徒を鎮圧しただけでは根本的な解決にならない。少なくとも民が納得する何らかの対策と失態に対する処罰が必要なのだ。
王は一層眉間の皺を深くした。彼とてこのままうやむやにしてはならないことを知っている。
「陛下、御心が定まらないというなら我はこれ以上強く申し上げません。なれど、」
デートレフは声を一段落とした。
「我は既に王代理の宣告をいただいておりますゆえ、後日勝手に処断させていただくやもしれません」
酸っぱいものでも口にしたように王の顔が歪んだ。確かに彼ならやりかねない。
「……わかった。オステン公に退く意思があるかどうか打診させよう」
言われたとたん、それはもう見惚れるほど綺麗に、にっこりとデートレフは微笑んだ。
「お聞き入れいただきありがとうございます、陛下」
後ろでマルトはこっそり額を押さえた。強引だ。
しかし、それが民のためには最善であると思うのも事実だったから、あえて文句を言うのは差し控えた。
王は諦めたように小さく漏らした。
「やれやれ。……したが、お前が言わなんだら、余も決心がつきかねたろうが」
デートレフは言いたいことを言ってしまうと、涼しい顔でさっと立ち上がった。
「父上、我の用件はこれで終わりです。そろそろ下がらせていただきます」
「あわただしいのう。もう行くのか」
いかにもせっかちな彼らしい。返答の代わりに彼は軽く頭を下げた。
後ろのマルトも、主人に合わせて丁寧にお辞儀をした。
くるりと背を向けた息子に、父王は言った。
「……即決、即行は良いが、焦るでないぞ」
首だけ振り返り、デートレフは微かにうなずいた。
「ご心配無く」
2021.03.06 振り仮名等の微修正しました
2021.07.28 誤字修正しました