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熱風が吹く  作者: 広峰
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5 後妻の王妃

 

「"塔"が作った人間……」


 心なしかカーイの顔が青ざめた。 

 マルトは王子を怖がらせただろうか、と少々焦った。第二王子を不快にさせてはならない。

 昔、下々の間では、禁じられた技術を持つ導師達のいる"塔"を指し、畏怖を込めて魔法使いの集団だと噂した。そのせいで、思い出したように荒唐無稽(こうとうむけい)な話がまことしやかに流れることも、ときたまあるのだ。


「えー、何というか、決して怖いものではありません。"塔"の者には角や牙はありません」


 マルトが言うと第二王子は無表情になった。


「その、そういう異形などではなく、普通の人々と変わりのない姿です。それに、言葉を理解しますし、泣きも笑いもします。生き胆とか蛇を丸呑みとか、妙なものも食べません。触られたら死ぬとか全くの嘘ですし、もちろん不老不死などでもありません。怪我や病気だってします。ただ、ちゃんとした両親が存在しないだけの話で、その、決して恐ろしい化け物のたぐいなどでは」


 しかし、マルトが(ちまた)で密かに噂される流言を否定しようと懸命に説明しているうちに、カーイは少しずつ顔をそらし、そっと口元を押さえた。


「ご、御気分を害したでしょうか。申し訳ありません」


 暑い中、冷や汗を背に感じながら、泣いたりはしまいかと焦り気味にマルトがこうべを垂れると、カーイがついにぷっと吹き出すのが聞こえた。

 恐る恐る顔を上げると、少年は肩を震わせて必死に笑いを堪えていた。


「よ、良くわかりました。もう結構です」

「……。は」


 余計な気遣いであった、そう気がついて、マルトは赤くなってもう一度頭を下げ、首筋の冷や汗を手でぬぐった。

 そういえば、この王子は年の割に大人びた表情をするお方であった、とマルトは思った。流言のたぐいに乗せられるはずがない。


 金髪の少年は、そのまま横を向いてごく静かにくつくつと笑った。その笑いの発作が治まるまでしばらくかかったが、その効果は絶大だった。

 それまで、どこかよそよそしい微笑しかくれなかった第二王子の押し殺した生の笑い声は、マルトの気持ちを引き寄せた。

 この方は意外に聡明なのかも知れぬ。……義兄と同じように。


 それから、カーイはもとの冷静な顔になって、別の質問をしてきた。


「兄上が初めて"塔"を訪問されたのはいつですか」


 マルトも気を取り直して真面目に答えた。


「……今のカーイ殿下と同じぐらいの頃でしょうか。先王妃様がお亡くなりになって、御遺体を"塔"に返す際、初めて門をくぐられたと」


 第二王子は目を伏せた。悪いことを聞いたと思ったのだろう。

 マルトはその思い出話を聞かされた時のことを覚えている。

 葬儀の時もデートレフは決して泣かなかったという。


 ――母の役割は力ある世継ぎを王家にもたらすこと。母は役割を果たした。我の役割は更なる力でもって王国に君臨すること。我は我の役割を果たす。そう母上と約束した。


 しっかりとそう言ったデートレフ。学問も鍛錬も要求されたことは全てこなし、頻繁(ひんぱん)に"塔"へ通い、お忍びと称して城下を己が足で巡る。

 全ては彼が玉座に座る日のために。彼は常に目標に向かって全力で走っている。


「そうでしたか。……もっと食べませんか?」


 カーイの勧めにマルトは首を振った。


「いいえ、もう充分です」


 それから何故か、ふとこの年若い王子にマルトは小さな進言をしたくなった。


「……カーイ殿下、"塔"の天辺は風当たりが強うございます。立ってみたいのでしたら準備をしてからでないと厳しいですよ」


 カーイは果実を乗せた手を引っ込めると、もう一度柔らかな笑みを浮かべた。


「ありがとうございます。そうします」


 兄弟のもとへ戻る背中を見ながら、マルトは心の中で呟いた。

 それがいい。いずれデートレフと対等に渡り合うようになれるまで、カーイはたっぷり学ぶ必要があることだろう。






 王宮に戻ってすぐ、手紙を持った侍女がデートレフに会いに来ていると知らされた。


「侍女に会えだと。使いなど、用件を聞いたらすぐ返してやるよういつも言っているだろう。待たせた分だけその者の仕事の時間が無駄に費やされると」


 彼が部屋付きの従者を叱ると、従者はおそれながら、と言った。すぐ(ひる)むような者はデートレフの下に居られない。


「デートレフ殿下に直接渡すまで戻ってはならぬ、と命を受けたと申しておりますので。仕方なく半日ほどそのまま待たせております」

「何。半日? ……戻るなとは本気で馬鹿だな。何処の侍女だ」

「王妃様でございます」


 デートレフは思い切り軽蔑したような顔をした。


「……」


 が、賢明にも何も言わなかった。




 連れてこさせると、その侍女はかしこまってひざまづき、時候の挨拶から始めようとした。


「お目通りお許しいただきまして誠にありがとうございます。緑濃く地に満ち蒼天輝けるこの季節、尊き陛下の第一王子にあらせられるデートレフ殿下には御機嫌麗しく、」

「前置きはいい。用件だけ言え。半日も待ったのだろう」


 ばっさり腰を折られ、侍女は恐縮した。


「っ、は、はい。恐れ入ります。……王妃様から夕食をご一緒にとのお誘いです。どうかご承知下さいますよう」


 そして、うやうやしく手紙を捧げ持っていざり寄った。

 デートレフは侍女の手からぱっと手紙を引き抜くと、その場でざっと目を通した。


「今朝もお断り申し上げたはずだが、義母上は我の返答をご存じないのか?」

「いえ、いいえ。ですが、是非にもおいで頂きたいと仰られまして、再度お願いするよう言われました。ご承知いただけるまで戻ってはならぬときつい仰せで、それで、その」


 びくびくしながら返答する侍女に、デートレフは眉をひそめた。


「無駄なことを」


 小さくこぼされた言葉にも侍女は身を固くした。


「どうか伏してお願い致します。何卒こたびは足をお運び下さいませ」


 言うなりその場で土下座した。侍女が顔を床に向けた途端、デートレフは心底嫌そうに顔をしかめた。


 部屋の端で控えて見ていたマルトの目がデートレフと合った。

 ごほんとマルトは咳払いし、つかつかと近寄って侍女を助け起こした。


「侍女殿、お話はわかりましたが、殿下はこれより陛下に急ぎお会いしなければなりません。本当にお誘いに応じることが出来ないのです」


 侍女は絶望した様子があらわになり、引き上げられるままふらふらと立ち上がった。

 マルトは気の毒に思い、ちらりとデートレフに視線を送ると侍女の腕を支えた。


「王妃様のお部屋まで私がお送りいたしましょう。何かありましたら私におたずね下さるよう、王妃様に申し上げて下さい。そうすれば貴女も責められますまい」


 侍女はいくぶん救われたような面持ちになり、すがるようにマルトを見、うなずいた。


「あ、ありがとうございます」

「……というわけですので、デートレフ様、しばらく行って参ります」


 デートレフは溜息をつくとしぶしぶ了承した。


「わかった。早めに戻れ。我は先に陛下の執務室へ行く」






 それまでマルトは王妃の部屋に通されたことなどなかった。

 王妃の部屋に来ても、常に扉の外までで、デートレフが望みに応じられない口実を伝えるか、わざと茶会が終わってから顔を出し、謝罪だけ残して帰る主人の後ろについていくかのどちらかだった。


 中に入ってこれが同じ建物の中かと驚いた。

 優美な曲線で存在感のある花瓶、中の風景画よりも立派でごてごてした額縁、ぴかぴかに磨かれた床には複雑な織り模様が高価そうな敷物、奥に据えられた重そうな革張りソファに乗ったクッションは金糸の刺繍入り、小さな猫足テーブルに盛られた珍しい果実はこの国ではなく北の隣国産だ。

 王妃が直々にお会いになると言われ、掛けるように勧められた籐椅子は、座面に華麗な花が細かく刺繍された布が張られており、なんだか尻を乗せるのも勿体(もったい)ないようだ。


 調度品はそんな具合で豪奢(ごうしゃ)を極めており、それだけでも見慣れず居心地が悪いのに、せっかちなデートレフの下に慣れているマルトは、取次の者がやっと姿を現して、只今お会いになります、と言ってからもかなりの間そこに待たされて閉口した。

 それもそのはず、後から知ったが、王妃は人と会う前は必ず衣を変えるのが習慣なのだそうだ。


 待ちくたびれた頃、衣擦れの音も軽やかに、侍女にかしずかれて若い王妃がマルトの前に出てきた。

 彼女は、夕暮れの黄金を溶かし込んだような金髪をふんわりと結いあげ、とても二人の子持ちには見えない若さだ。いかにも女性らしい完璧な曲線を、涼しげに透ける生地と宝石をあしらった夏らしい服に包んでいる。整った目鼻立ち。まさしく花のかんばせ。華やかな美しさだ。


 マルトは片膝をついて、深々と礼をとった。

 何か言葉がかけられるのではと思ってマルトは少し黙って待っていたが、王妃は無言で彼を見下ろしただけだった。

 自分から先に下の者に声を掛けるなど、この王妃にはあり得ないことなのかもしれない。

 マルトは思いついてきちんと膝を折り、彼の主人が言うところの、長ったらしい挨拶を試みた。


「麗しきリチュ王妃殿下にお目通りかないまして、身に余る光栄でございます。王妃殿下には御機嫌麗しくあられますようで何よりでございます」

「よい。顔を上げなさい。少しは礼儀を心得ているようですね。名は?」


 当りだった。返答があった。


「は。マルトと申します」


 王妃は扇子を半分広げると、優雅に口元を隠そうとした。嬉しそうに勝ち誇ったように笑んでいる。


「デートレフ殿下のところから参られたと聞きました。わざわざ人を寄こすとは思いませんでしたわ。殿下はご快諾になったのですね」


 マルトは一礼したのち、慇懃(いんぎん)にデートレフの返答を伝えた。


「恐れながら、殿下は急ぎ陛下にお会いする件がございまして、誠に申し訳ございませんが伺えないとのことです」


 王妃は明らかにむっとした。嫌みたっぷりに言う。


「あら、断るというのですか。本当に、いつもご多忙でいらっしゃるのね」

「申し訳ありません。殿下は今後暫くの間、王代理の拝命で各処へ準備に向かわなければなりません。どうかお許しくださいますよう」


 ぱちりと扇子を閉じた王妃は、その先端をマルトの鼻先につきつける。


「そなた、デートレフ殿の側近なのでしょう。わたくしの誘いを何度断ったかご存知ですか」

「……存じ上げません」


 そんなことはいつものことで、いちいち数え上げたことなどない。おそらくデートレフにもわかるまい。


「四十九回ですのよ。今日で五十回ですわ。わたくし、これ程までに完全に無視されたのは初めてです。わたくしが、なんとか家族として親しくなろうと願っての努力を、あの方はいつも!」


 彼女は扇子を思い切り床に投げつけた。ぽきっという音がして、芸術作品のように繊細な扇子が折れた。

 従えていた年若い侍女がおろおろとなだめにかかった。王妃の肘に触れる。


「王妃様、どうか落ち着かれて下さいませ」

「手をお放しなさい。ええ、腹立たしい!」


 王妃は侍女を振りほどき、怒りで紅潮したまま、マルトに詰め寄った。


「殿下はどのような用件で陛下にお会いするというのです。お答えなさい。どうせ嘘に決まってますわ。わたくしを軽んじているとしか思えません!」


 今日という今日は許し難い、と王妃の目が語っていた。

 ただの従者ならうろたえるところだが、マルトは冷静だ。頭を下げて淡々と告げた。


「申し上げます。王代理として"塔"を公式訪問する日取りについて、本日"塔"の導師方からお聞きしてまいりました。そのご連絡を。また、昨日、城下を視察した件につきましてのご報告、直轄地における今年の穀物収穫の見込みについても合わせてご報告する予定です。主要な件はその二点ですが、各地神殿の秋の祭祀(さいし)について、内々に陛下にご相談したき案があるとか。他に、軍部の辺境警備再編成の件、先のオステン領の叛徒(はんと)鎮圧に関する件、それからクムダ河川支流ウドパラ川の治水管理……」


 マルトは次々にデートレフの抱える仕事を口に乗せた。

 実際にその全部を今日これから行うかどうかわからないが、彼がそれらの懸案事項に手を出しているのは本当のことだ。

 デートレフは気ままに振舞っているようでも目的を忘れない。実はそれほど勝手なことばかりしているわけではない。

 マルトの言に嘘の要素が見出せなくて、だんだん王妃の顔が苦々しそうに歪んでいく。


「……もう結構です」


 吐き捨てるように言われて、マルトは一礼した。


「御理解いただけましたでしょうか。殿下もお心苦しくお思いのことと推察いたします。決してお優しい王妃様のお考えを軽んじてのことではございません。大切なお義母上と思われているからこそ、毎回お断りしなければならないことを気になさりつつ、お許しを請われるのです。寛容な御心でもって、何卒ご容赦くださいますよう、お願い申しあげます」


 言葉どおりに受け取ってもいいが、ちりばめた甘い衣をはがすと、要するに、義母と認めていなければ返事もせず頭から取り合わないだろう、という意味にもとれる。

 きり、と唇をかみしめるのが眼にうつったが、返答が返ってこないので、マルトは立ち上がると丁寧に会釈をして退出しようとした。


「それでは、これにて下がらせていただきます。御前失礼いたします」


 しかし、王妃は呼びとめた。


「お待ちなさい。……昨日の茶会で、殿下のために特に作らせた菓子がまだ取ってあったはず。折角ですからそれを殿下へお持ちいただきましょう。……ここに持っていらっしゃい」


 促されて、侍女は一礼するとさっと離れ、奥へ向かった。


 侍女が行ってしまうと、一転、王妃は溜息をついて寂しげに顔を曇らせた。


「……今日、デートレフ殿下はカーイとサーマンを水遊びに誘ったと聞きました。ですからわたくし、少しは心を開いて下さったのかと……また、余計な期待でしたわ」


 王妃は言葉を切ると、気落ちしたした様子で首を力なく横に振った。


「マルトとやら、そなたはデートレフ殿下のよほど近くに仕えていると見ました。でなければそれほど詳しく仕事内容を知るはずがありません。殿下は何事も他人に漏らさずお一人で全て片付けてしまうと聞きますから」


 確かにデートレフは供を多く連れ歩いたりしない。その必要を感じないからだ。

 護衛さえも己の腕を知っているから、マルト以外は最低限に留めている。


「それで……もし知っていたら教えなさい。今日、殿下はカーイとサーマンに良くして下さいましたか。何も問題はなかったですか」


 心配そうにたずねる彼女は、今、ただの母親だった。

 マルトはこの若い美貌の母親を少々気の毒に思った。彼女が躍起になるのは、単に自尊心からだけではなく、王位継承権を持つ子供らのためでもあるのだろう。


「はい。デートレフ殿下は、お二人を"塔"の最上階までご案内し、眺望をご覧になった後、岸まで降りまして、ごく親しくお過ごしになりました。両殿下は楽しんだご様子でしたし、何もご心配ありません。後でカーイ殿下とサーマン殿下にもおたずねになるとよろしいでしょう」


 それを聞いて、彼女はかなり安堵したようだった。今回はその程度で我慢するしかあるまい。

 少なくとも、デートレフは異母兄弟を王妃ほど邪険に扱っていない。彼女はうなずいた。


「そうでしたか……礼を言いますわ」

「お礼など、とんでもございません」


 言いながらマルトは、デートレフ様も一度くらい王妃に合わせてやればいいのに、とまた思った。

 が、一方で、嗜好(しこう)が正反対そうな二人が仲良くテーブルを挟む図、というのも思い描けないのだった。



 2021.03.06 振り仮名等の微修正しました


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