3 “塔”の最上階
橋の先、"塔"の入り口近くには金属製の扉が口を開けて待っていた。
通常、この扉は閉まっている。導師か王の血を引く者でなければ開けることが出来ない。
それが今は大きく開かれ、馬車が進むのを許していた。
更には、"塔"の前では灰色のマントを羽織った導師が二人、彼らを迎えに出ていた。
馬車から下りる貴族風の子供が二人、平服の若い男が一人、護衛らしき男が一人。
導師は片膝をついて、地味な平服の男にうやうやしく礼を送った。
「ようこそおいで下さいました。デートレフ殿下」
デートレフは鷹揚にうなずくと、異母兄弟達を示して言った。
「突然の訪問ですまない。両殿下に"塔"を見せてやりたくなってな。導師方の御多忙は承知している。我が案内してやっても良いか。尊師達を煩わせたくない」
二人の導師はカーイとサーマンに向かって再度頭を下げる。それから導師の片方がかしこまって言った。
「デートレフ殿下に案内役をさせるなど、恐れ多いことでございます。わたくしが務めさせていただきます」
「かまうな。下には降りぬ。天辺まで連れて行ってやるだけだ。仕事に戻られよ」
二人の導師は低い姿勢のまま顔を伏せた。
「恐れ入ります。それでは、何かありましたらいつでもお呼び下さいますよう」
「わかっている」
デートレフがうなずくと導師らは立ちあがり、傍らのマルトに会釈を寄こして、それぞれ入口の左右に別れて立った。
通り過ぎる時、デートレフは思いついたように聞いた。
「導師クレア殿にお会いできようか」
「……勿論でございます」
デートレフは口元を緩めた。
「そうか」
"塔"の内部に入ってすぐの場所は、八角形のつるりとした壁に囲まれた広間だ。
マルトは自分が広間より奥へ付いて行けないことを知っていた。
「では、デートレフ殿下、ここにてお待ちいたします」
マルトがそう告げると彼は片眉を器用にしかめて、ああ、と言った。
「そういえばそうだったな。忘れていた。退屈だろうが少しだけだ。それとも、導師でも呼んで相手してもらうか?」
「滅相もない」
焦ってマルトは辞退した。
マルトにとって、導師という者は、真面目なばかりで一様に面白みに欠けており、話しかけても一言二言の返事しかしない難物だった。相手どころか会話が続かない。
そうなると、そばに居られても何をしていいものやら、どうにも気づまりで緊張するのだ。
「そう嫌わずとも良いだろう。……行ってくる」
デートレフが、からかい半分で言いながら奥の壁に手を当てると、その壁が切り取られたようにすっと開いて昇降機が現れた。
彼は先に立って乗り込み、弟らを手招きして呼んだ。
不思議そうにきょろきょろしながらその中に入った少年達に、デートレフは注意を与えた。
「我が触っているときは操作盤に触れるな。力が安定しなくなる。……ではな、マルト」
マルトが「はい」と返事をすると、サーマンはにこにこしながら手を振り、カーイは軽く会釈した。
小さく唸るような機械音がして、昇降機が壁の向こうに消えると、マルトはその壁に背を向けて腕組みをした。
昇降機が止まると、デートレフが頂上の部屋からの展望について何か言う前に、カーイとサーマンが歓声を上げた。
頂上の部屋は天井を支える太い柱と、天井ぎりぎりまである大きな窓が交互に並んで構成されている。
ぐるりと部屋全体を包む広い窓から、空を映して輝く湖面が遠く向こう岸まで続いているのが見えた。
その窓の一つに駆け寄って、サーマンが両手をぺったり透明な硝子につき、食い入るように眺めている。
一方、カーイは静かにサーマンの後ろに立ち、目を細めて全体を見渡した。
「気に入ったか?」
兄弟の様子に少し笑い、腕組みしながらデートレフが聞くと、二人は大きくうなずいた。
「はい!」
「はい。とても」
「それは良かった」
例の、品のいい綺麗な微笑を浮かべて長兄が微笑んだ。
それから彼は、部屋の真ん中まで進むと、そこに据えてある丸い小さなテーブルに手を置いた。するとテーブルの上に操作盤がせり出してきた。
彼は出てきた操作盤をいじり、つまみをひねって横の突起を押した。
テーブルからジジジというような音が漏れ、何もなかった床に、意匠を凝らした王家の丸い紋様が浮き上がる。
デートレフはカーイに声をかけた。
「カーイ殿下、ここへ来てその中に立ってみるといい」
呼ばれてカーイが振り向くと、紋様が淡く光を放っていた。サーマンはまだ窓に張り付いている。
「……何ですか、これは?」
困惑しながらも歩み寄り、カーイはデートレフの顔をうかがった。
彼は薄く笑みを浮かべた。
「お前が呼ばれたい名で呼ばれるようになったとき、一番関わり合う者に会わせてやる」
カーイが躊躇していると、異母兄は焦れたように促した。
「中に入ればいいだけだ。……怖いのか? 我が何かするとでも?」
意を決して金髪の少年は輪の中に足を踏み入れた。
とたんに模様がぱっと濃く光り、思わずカーイは目を閉じた。
しかしそれはわずかな間で、閉じた目を開くと目の前には灰色衣の人物が立っていた。
「……誰」
「導師クレア殿だ」
デートレフが言うと、灰色のフードがはずされ、中から妙齢の女性の顔が現れた。
女導師は音も無く片膝をつき、王子に対する正式な礼をした。
「お初にお目にかかります。クレアと申します」
豊かに流れる白金の髪が目を惹いた。顔を上げるとその瞳は暁よりも落陽よりも紅い。
「わたくしに貴方のお名前をお聞かせ下さいませ、尊き血を持つ人よ」
白い白いきめ細やかな肌。形の良い赤い唇から出る声は穏やかで静か。涼しげな切れ長の目元。ほっそりした手。
カーイはその者に見惚れた。しっとりと落ち着いた美しさだった。
何か言わなくては、と思うが口が動かない。いや、体が動けない。心臓だけが脈打った。
「名前を告げてやれ、殿下」
テーブルに触れたままデートレフが言う。
「……、カーイ」
ようやっと返答を返すと、クレアは嫣然と微笑んだ。細められた眼。綺麗な弧を描く口元。その笑みはあまりにも見覚えがあり過ぎた。
「改めてご挨拶申し上げます、カーイ様。私は"塔"創設者の遺志を継ぐもの。"塔"に刻まれたクレアの姿を模した幻影であり、王のしもべでございます。ご質問をどうぞ。私がお答えいたします」
驚き顔もあらわに、カーイはデートレフのほうへ首を回した。
彼はそこに立つクレアと良く似た微笑を浮かべていた。
クレアの口元、額のあたり、目鼻立ち全体のどこかが、恐ろしくデートレフと似通っていた。
違う、逆だ。クレアにデートレフが似ているのだ。
カーイは気づいた。自分には無い何かがこの二人の間では共通だ。それは、そう、血筋。
「どうした?」
「遠い先祖なのに。どうしてこんなに」
皆まで言わずとも質問の内容が読めて、デートレフは鼻先で笑った。
「我の母親は"塔"の者だ。似て当然だ」
「"塔"の者?」
「そうだ。……ふん。母親の出処などどうでもいいこと」
異母兄の態度は、本当に瑣末事をついでに言っているような感じだった。良くも悪くも、彼は出自を問わぬ実力主義であることが知られている。
疑問の残るカーイをよそに、クレアが言った。
「まことに申し訳ありません。"塔"の者に関するご質問にはお答えできません。回答が用意されておりません」
「……」
クレアの事務的な反応にカーイは口ごもった。どうやらクレアはカーイの言葉にだけ応じるらしい。
「そいつは機械だ。何でも聞くと良い。例えば、なりたいものになる方法とか、なかなか周りが教えてくれないことをな」
デートレフは操作盤をいじりながら言った。瞬間、クレアの映像が不自然に揺れて薄れ、また本物の人間のような質感で構築された。
「答えられない場合はさっきのように返答される。円から出ればクレアが消えて終了する。本体と違って既存の回答しか返さないが、少しはカーイ殿下の役に立つと思うぞ」
彼は話しながらいくつか突起を押したりまわしたりした。最後に軽く手の平を当てて、操作が終了したようだ。
「このクレアは起動した者にしか見えないようにしておいた。人に聞かれたくないことは我も聞かぬから安心すると良い。しばらくサーマン殿下の相手をしてやろう。……サーマン殿下!」
末弟は、眺めに熱中し過ぎて、彼らのしていた作業に気付かなかったようだ。
サーマンはこちらをちらちらと気にし、窓からやっと身を離した。そこへデートレフが大股で向かいながら話しかける。
「サーマン殿下は肩車をしてもらったことがあるか?」
「肩車? ……わあ!デートレフ兄上、すごく高い!」
たずねるなりいきなり抱えあげられ、サーマンは初め驚いたが、すぐにより高い位置から絶景を見下ろすことに夢中になった。
あれはなに、これは、と遠くの山や何かの屋根を指差して質問攻めが始まる。
それへ兄はいちいち克明に説明してやっていた。
カーイは弟と兄の後姿を少しの間見つめた。
先程の、彼が呼ばれたい名を明かした報酬が、当面の対抗勢力にならないことが、目の前の女導師なのだろうか。
クレアに顔を向けると、彼女はまた優雅に笑んだ。そういう反応が組み込まれているだけなのだろうが、それでも勝手に彼はクレアの柔らかな表情に惹きつけられた。
「……導師クレア、教えて下さい。王族が"塔"の導師になるには何が必要ですか」
かつての"塔"の創始者で長、いにしえの五世陛下の実妹クレアの影は、上品な笑みを湛えたまま答えた。
「知識の他、強い意志のみです」
2021.03.06 振り仮名等の微修正しました