34 近衛兵達 グンター、ファビアン、ヘルムート
すっかり大神官の私室が、グンターの作業場所となってしまっていた。
肝心の部屋の持ち主は、薬の量産にかかりきりで、夜まで作業場ヘ詰める予定らしい。
グンターとファビアンが大神官の私室に戻って来ると、近衛兵が三人、机の上に入手した書類の一部を広げていた。机を囲むように椅子を並べ、思い思いに座っている。
その中の背の高い近衛兵が、新たな椅子を引き寄せて座るよう勧めた。お陰で机の周囲はぎゅうぎゅうになる。予備の椅子はもう無い。
書類はオステン領内の帳簿である。ぱっと見て、異常なほど金が別邸の建設費に注ぎ込まれているのが分かった。
だが、その建設費の内訳に用途が不明な物があったり、発注した物が二重だったり取り消されたりしている内に、いつの間にか金が消えていた。
おかしなのはそれ以外にもあり、同じ物品の単価が何故か毎回違う。どうにも分かりにくく怪しい帳簿だった。
「駄目だった。こちらの金額が合わない」
グンターに帳簿の合計金額欄を見せながら、眼鏡をかけたやや小柄な近衛兵が首を振った。
聞いて、別の近衛兵が肩をすくめた。動きに合わせ見事な筋肉が盛り上がり、盛り下がる。
「そうだと思った。こっちもだ。まあ、誰も公爵家がここまで腐ってたとは思わなかったよな。本当に使用人の中に混じって家宰は居なかったのか?」
「居ませんでした。執事長が言うには、建築中の別邸に行ったきりらしいです」
グンターが答えると、聞いた方はやれやれと太い首を振った。刈り込んだ白金の頭が揺れる。
「私が別邸へ行ってこようか? オステン公の家宰とは面識がある。連れて来よう」
先ほど椅子を用意してくれた、長身の近衛兵が言うと、グンターはありがたくうなずいた。
「すみませんが頼みます、ユリウス殿」
貴族の相手は貴族がする。その方が面倒が少ない。
近衛には、他と違って貴族の子弟が多い。
今、グンターの手伝いをしてくれている彼らもそうだ。しかも、それなりに書類仕事に意欲を燃やせる貴重な人員である。
ユリウスは、中央の文官を勤めるオブストヴァルト伯爵の子息だ。数字に強く、顔も広い。
「僕も同行しよう。グンター殿は休んでおくといい。何人か下級兵を連れて行く」
眼鏡の小柄な近衛兵がそう言うと、長身のユリウスと一緒に身軽に立ち上がった。
二人とも、まだ若く経験の少ないグンターに好意的だ。
「いや、少し多めに兵を連れて行けよ、ギルベルト殿。腐り具合は家宰のが上だと思うぞ。こんな帳簿作る奴だ。何なら、拠点に戻ってトマス殿も連れて行ったほうがいい。奴はオステン系だし」
筋肉質の近衛兵が注意すると、小柄な近衛兵は素直にうなずいた。ギルベルトはオステンの隣領ズューデン系のベルクフェルズン子爵の息子である。
「……わかりましたヘルムート殿。そうします」
背の高いユリウスと小柄なギルベルトが部屋から出て行ってから、あっ言い忘れた、と先ほど忠告をしたヘルムートが戸口に向かって座ったまま声を張り上げた。
「マルト殿に一言報告しとけよ!」
「――了解」
遠くから返答が返ってきて、ヘルムートはふう、と息をついて頭の後ろで手を組んだ。大柄な体を支えてギシリと椅子が音を上げる。
こう見えて、彼はヴェスト公爵孫に当たる高位貴族だ。
「難航してるようだね、ヘルムート」
「帳簿のほうは駄目駄目だ。そっちはどうよ?」
優男のファビアンが、机に肘をついた手を片頬に当てて視線をやる。恐ろしく絵になる姿だった。ファビアンはノルト出身のゴルトアーバイテン子爵子息である。
それへ、くつろいだ姿勢のままヘルムートが聞き返す。
この二人はお互いの同期で、身分差があっても気が合ったのか仲が良い。グンターがまだ訓練兵の頃に、大変世話になった指南役の先輩でもある。
「娼館巡りが決定だ。お前もこっちを手伝いなよ。ウブで生真面目なグンターには酷な仕事だ」
「それも経験ってやつだろう? ま、手伝うけどよ」
グンターは頭を下げた。娼館など、正直気が重い。それでも任務である。
「ありがとうございますヘルムート先輩」
「仕事だからな。気にすんな」
豪快にばん、とグンターの背を叩いて、ヘルムートは別の話題を振った。
「そう言えばグンター、殿下が“塔”に行った時、オステンの叛徒を名乗る者に襲撃された話は聞いたか?」
「初耳です。それは本当ですか?」
驚いてグンターが聞き返すと、ファビアンがうなずいた。低い良い声で、グンターが居なかった間の話を聞かせてやった。
「本当だよ。自分も“塔”に護衛任務で同行した。どうやら実行したのはオステンの者ではなく、雇われ者のようだった。その後すぐ、マルト殿がノルト領から戻ってきて、雇い主を捕まえたそうだ。裏家業の人間だったらしいね」
「そうでしたか。オステンでは、叛徒の首謀者は捕らえ次第処分されたと聞いています。残りは領主の館の牢に入っていました」
グンターの言葉に、ヘルムートが渋い顔で首を振った。
「そうだろうな。オステン公はそういうのは許さんだろう。取りこぼすどころか、疑わしいだけでも片端から捕らえるさ。で、だ」
ヘルムートは声をひそめて言った。
「今、誰が襲撃の首謀者かちょいと賭けてるんだ。誰だと思う?」
「不謹慎ですよ、先輩」
真面目なグンターが批判すると、砕けたたちの先輩方は軽く笑った。
「勝ったら一杯奢るだけだ。俺は王妃殿下だと思うぞ」
「確証もなくそのような」
戸惑いがちにグンターがこぼす。それへヘルムートが更に言う。
「いや、デートレフ殿下を邪魔だと思ってるのは王妃殿下だろ? 弟殿下達は幼い。だが王位継承権がある方は他にいない。陛下の妹のイルメラ様は、下賜されるくらいなら独り身でいますと啖呵切って“塔”に降りているし、従兄弟のテオバルト様はもうすっかり導師長グラール殿で、還俗する気は無いんじゃねえか? だったら残りのデートレフ殿下を狙うと思うだろ」
「だが、王妃殿下はデートレフ殿下を毎回お茶会にお誘いしている。元々、王子妃候補だったじゃないか。殿下を諦めていないのでは?」
横からファビアンの反論が入った。
「だからさ。殿下は一回も茶会に参加してないだろう。腹を立てても不思議じゃない。それに、我が子を推したいもんだろ?」
自信有り気に近衛兵ヘルムートは言い返したが、聞いていたグンターは首を振った。
「たとえそうでも、カーイ殿下がその気になると思えません。以前もデートレフ殿下が執務室へ遊びに誘って、それにお応えになっていました」
「ふうん、それはそれは。殿下は弟君を味方につけるつもりなのかねえ」
ヘルムートのつぶやきに、グンターが首を傾げた。
「……あの方は、味方を作ると言うよりは、皆が付いてくるのが当然と思っているような気がしますが」
グンターの言葉にファビアンが喉を鳴らして笑う。
「ククッ。強行軍の時のようにかい。あれはこたえたな」
ヘルムートも苦笑する。オステンにいる近衛兵は、グンター以外、デートレフとマルトと一緒に、二日でミッテルからオステンまで駆け続けた者達だ。
「確かに。殿下は先頭を突っ走って行くたちだな。俺らはひいこら言って、後ろからよろよろ付いてくだけさ。まあ、それでも、俺は目的がはっきりしてるのが好きだから、殿下が嫌いじゃねえな」
言いながらヘルムートは頭から組んでいた手を降ろす。まだ笑みを浮かべていたファビアンに目を合わせた。
「じゃあ、誰だと思うんだ?」
「ノルト侯爵あたり」
「おいおい、ノルト出のお前が言うなよ。大体、理由が無いだろ? それで何か得するのかよ」
「カーイ殿下かサーマン殿下のほうが、北と交易するのに益が有りそうだ」
「ああ、そういうことか。だが、あのノルト侯が危険な真似をするかねえ?」
「でも、利に聡い人だよ。本家のことを悪く言いたくは無いが、自分はあの人を信用しても信頼出来ないね」
ヘルムートとファビアンのやり取りに、グンターは肩をすくめて言った。
「そろそろ仕事しませんか」
「真面目だな。仕事ばっかりしてると出世してしまうよ?」
言いながら、ファビアンは麦穂色の髪が細面の額にかかるのを軽く払い、グンターが書き留めた書類を机の上に広げた。
「そう言いつつ、やってやるとこがファビアンのいいとこさ」
ヘルムートがからかうと、ファビアンは美しく微笑した。机の上から書類の中の名簿を取って、がっしり大きなヘルムートの手にぐいっと押しつけた。
雨のせいで客足が落ちる。
商売上がったりだな、と娼館『黄金の羽根』の店の主人が肩をすくめた。
これが、暗くなってから降り始めていたなら、雨宿りと称していくらか客引き出来たかも知れないが、明るいうちから降っていたので、今日はてんで駄目だった。
店がある場所は、オステンの一番賑やかな表通りでは無く、それより奥まった所の通り、いわゆる歓楽街の中だ。
店の主人とは言ったが、彼は雇われた人間で、本当の主人は表通りの方に大きな店を構える『金の鳥』という商会だ。
商会が扱う商品は、日用品や食材や衣類に雑貨と多岐にわたる。だが、この商会の一番の商品は人間だった。手配師、口利きと言うやつである。
客は、これこれこういう人が欲しい、と相談を持ちかける。すると、それに合いそうな人物を紹介する。それで良いとなったら金を払ってもらう。駄目となったら別の人を紹介する。
仕事が欲しい人間は『金の鳥』に仕事を斡旋してもらうため、手数料を払う。これは雇われてから払うように、手続きだけして後払いでもいい。
そうやって、職場と人材の間を取り持つ仕事だった。
段々と、人以外にも客が欲しいものを取り揃えているうちに、それに合わせた支店が増え、今の大きさになった商会である。
数年前に開いた娼館『黄金の羽根』は、店の名前に相応しく金髪の娘が多く揃っている。どうやって集めて来たのか、器量のよい若い娘がほとんどで、そこそこ人気の店だ。
しばらく前に、新しい娘が入った。まだ未成年で店に出せないので、成人するまで下働きさせることになって、掃除と賄いをやらせている。
今度の下働きは、その前の箱入り娘だったのか何も出来ない子と違って、根性があるようだ。前の娘は使い物にならなそうだったので、本店に突き返したが、この娘は大丈夫だろう。
雇われ店主は、今日は早く店を閉めようかと思案していたが、下働きの小娘が「怖そうな兵隊さんが来た」と呼びに来たので、とりあえず来客の対応を終えてからにしようと店先に出た。
「店主か? 『黄金の羽根』というのはこの店で合っているか?」
「はい。ど、どのようなご用で御座いましょう?」
兵隊さんというのは、あまり正確では無かった。
店の入り口を囲むように並んでいるのは王軍の兵士達で、進み出て質問してきた、厳つい猛禽類のような強面の近衛兵は、両脇に、剣に手を添えて抜く準備万端の下級兵を連れていた。
てっきり、ご領主様のところの私兵だと思っていた店主は、びくつきながら揉み手で受け答えした。
「娼婦の中に貴族令嬢がいるらしい。調べさせてもらう」
「え、そんなまさか。うちは身元の確認をちゃんとやっております」
「それが偽りであったら如何するのだ」
あり得ないと店主は思った。
娘達は本店がよこした者で、家の借金返済のため頑張って働きに来たと聞かされていた。だから、彼女らの売り上げは丸々本店に納めており、それを借金先に送っているはずである。
皆、世の不条理の末、このような仕事をすることになったのだろうが、健気にも歯を食いしばって必死に稼いでいるのだ。まさか貴族のご令嬢のような、我がまま娘に辛い仕事が勤まるわけがあるまいに。
渋い顔をしていると、怖そうな近衛兵の後ろから、天候の意味でも色香の意味でも、水も滴るような優男が、綺麗すぎて胡散臭い笑みで現れた。
「店の娘を全員呼んで来て下さい。下働きも全員ね。隠すと面倒なことになりますよ」
店主は長年の勘で、猛禽類のような近衛兵よりも、こっちの優男の方にある種の危険を感じて蒼白になり、何度もうなずいた。
娼館『黄金の羽根』は事実上廃業になった。店のほとんどの娘が、グンターが入手した名簿に記載されていた娘で、下働きの少女もそうだった。下級貴族の娘もちらほらいた。
がく然とする店主は、必死に自分も使用人であることを訴え、本当に何も知らなかったと弁明して、何とか捕縛を免れた。
娼婦達は、この不本意な仕事から解放してくれた礼を、涙ながらに強面の近衛兵の隣にいた、優男に言った。
店主の証言で、本店の『金の鳥』の方はもっと大変なことになった。
自分の所の支店だけでなく、他所の娼館や飲食店等にも娘を斡旋していたのである。
しかも娘達の身上は捏造されたもので、ご領主様のところから紹介されて来た、という泊付けの一点を除いて、全てでたらめだった。
当然差し押さえられ、次々とあちこちの店も調べを受けることになった。
幸い、娘達の斡旋先の店は、この歓楽街に集中していた。
一人、二人と売れっ子の娼婦や下働き、居酒屋の女給などが連れていかれ、その夜、静かな雨の日であったのに、大騒ぎになった。
中には、気に入りの娼婦を取られて、王軍に盾突くという、威勢のよい客と用心棒がいた店もあった。
が、筋骨隆々とした近衛兵が、非常に楽しげに用心棒を素手で一発殴った。
殴られた用心棒は、あっけなく吹っ飛び、前歯が欠けた上に、背後にあった店の立て看板と一緒に石壁に激突した。そのせいで肋骨が折れ、危うく死にかけた。とんでもない腕力であった。
これを見せつけられては、どの店も逆らう気が失せたようだった。
そうして救い出された娘達は、全部が娼婦だったわけでも無いが、大体そんなような仕事をさせられていたようだ。また、全員がオステン公子息のお手つきだったわけでも無い。
しかしその中に、アグネスとミリヤムという名の少女は見当たらなかった。
2021.01.08 サブタイトル修正しました。
2021.02.16 誤字修正しました。
2021.02.26 誤字修正及び句読点等の微修正しました。
2021.03.07 振り仮名等の微修正しました