28 古代機械の治水工事
虫除け薬と殺虫薬を作るため、草の抽出液を作る作業が夜通し行われ、大神官の私室まで微かに刺激臭が漂ってきた。
作業は、厨房のそばにある小屋でなされていて、調理場からは匂いが移ると随分と不評である。
が、他からは光明が見えたと期待されていた。
その夜遅くまで、グンターは各避難場所に配った天幕の数や、収容した民の人数の集計など、細々とした確認作業を黙々とこなしていた。
そこへ開け放したままの扉が控えめに叩かれて、マルトが顔を出した。
グンターの手元をじっと見た後、一言、手伝おう、と告げ、事務処理を半分受け持ち、驚くほどの速さで消化していった。
あっけにとられていると、こういうものは慣れなのだ、と、ふっと笑われた。
何となく、周囲に高度な要求をする主人に合わせようとすると、いずれマルトのような高性能に進化していくのだろうか、とグンターは思った。
「……殿下はお休みになったのですか?」
書き物の途中でグンターが聞くと、マルトは首を振った。
「いや。神殿の地下で、大神官殿と古代機械の話をしていらっしゃる」
「そうですか」
「地下は神官と許可のある者しか入れないからな。こちらにいますと言ってきた」
それから今度は各避難所からの報告書類等の仕分けをし出した。時折、間違いを見つけては直しをしている。その強面の真面目な横顔を見ながら、グンターは聞いた。
「……マルト殿、殿下はどのような方ですか?」
マルトの手が止まった。うむ、と声が漏れた。
「一言で表すならば、せっかちであられるな」
「まあ、それは分かります」
「それに、努力家でいらっしゃる。私は元々武術の学友としてお目にかかったのだが、殿下が得たものは殿下の努力の賜物だと保証するぞ。多少、気まぐれで我が儘な面もおありだが、ご自身がそうであったから、向上心がある者には目を掛けて下さる。……出世に興味があるのだろう?」
だから頑張れ、と言外に匂わせてマルトは目元を緩ませた。
今回、偶然にも抜擢されたグンターは、立ち合いを認められたのがきっかけだったが、こうしてまだ全体の取りまとめをやらされているのは、出した報告等からその方面にも見所があると思われているのだろう。
気に入ったら鍛えられる。マルトもそうだった。
少し気合いが入ったのか、グンターは口を引き結び、黙って仕事を続けた。
早朝、薄い川霧が辺りを包んでいた。既に気温は上がりつつあり、水温との差が生まれたのだろう。今日はよく晴れた夏日になりそうだった。
早速配られた試用の虫除け薬の、鼻につく匂いを漂わせて、ここ軍拠点の兵士達が最後の避難作業について確認をしている。
ノルト兵が加わったことで作業に携わる人員が増え、避難が遅れていた場所もどうやら挽回が出来ていた。
何とか無事に予定が達成されつつあったからこそ、取りこぼしなどないか慎重に進めねばならない。
幸いだったのは、領民は近隣の者同士の結束が固かったことと、大部分の人々が大した財産持ちでは無かったことだ。所持品が少ないから身軽であり、相互扶助で助け合う。
それはそのまま災害と圧政の結果でもあったので、事に当たった兵士などは複雑な思いを抱いたようだ。
デートレフは、昨夜熱心に大神官と三日月湖の処理について話しをした。そして、実行できそうな案を見出して地下から出てきた時には、すっかり深夜を過ぎていた。
その夜は神殿の一室を借りて休み、はやばやと夜明けに起きて、まっすぐ古代機械の前に来た。勿論、護衛のマルトも付き従った。
昨日、木箱から出して据えられた古代機械は、夜露と埃除けとして、全体を覆い隠すように馬車から引き剥がした幌布を被せてあった。
それをマルトにはずさせて、出て来たのは金属製の大きな酒樽に似た何かだった。
鈍色の胴体部分が光を弾いて、全体的に物々しい雰囲気がある。下部は下を向いた筒型の金属がぐるりと囲んでいて、天辺には放射状に並んだ羽があり、材質が違うのかそこだけが不透明な灰白色だ。それが二つ並べて置いてある。
助手として同行した大神官が、目を細めて機械を見やる。
他にも一人神官が付いてきていて、こちらは古代機械に関心があるらしい。工具類が入っているという箱の荷物持ちをしながら、興味津々でそわそわしている。
感心した様子で大神官が感想を述べた。
「ミッテルの大神官様は流石ですね。T0905の完全形を初めて拝見いたしました。……入力はどこで行うのでしょう?」
「付属品の遠隔操作機器がある。そちらで入力する。まず先に、本体の全自動を設定し直して一部手動で動くようにしなければならん」
「かしこまりました」
荷物持ちの神官が工具箱の蓋を開けた。中から螺子回しを取って手渡す。受け取った大神官が機械にそっと手を添えて、樽型の上部に付いている王家の丸い紋の横、大人の手の平ぐらいの部品を外しにかかった。
デートレフも螺子回しを手に、もう一台に向かう。手際良く作業しながら思い出したように言った。
「あの殺虫薬はどのくらい効くのだ?」
「水に溶けやすいので、湿地ではかなり広範囲に効果が期待できます。霧状に散布するのが良いでしょう。半月からひと月ぐらいは持続すると思います。大抵の虫に有効です。
ただ、人も吸い込んだり素手で触れますと問題があるかと思いますので、鼻を覆うなどしてそこは気をつけねばなりません。摂取すると嘔吐と下痢の症状が出ます。酷い時は麻痺症状もございます。」
「毒性が強いのだな」
「はい。それ故、蜂蜜採取地では使えません」
「なるほど。あれは毒草なのか?」
「一概にそうとも言えません。毒と薬は紙一重でございます。古くは燃して香を楽しむものでした。毒草と断じても良い気はしますが、このように役立てることも出来ますから」
「まあ、そうであるな。大神官殿はそちらが本分なのか?」
「はい。植物の探究でございます。オステン領は木材に力を入れておりますゆえ、自然とそうなりました」
大神官とデートレフは、外し取った四角い部品を持ち寄った。大神官が古代文字の記された数枚の紙を出して広げ、デートレフが二つの金属部品に手をかざす。小さな起動音がして、遠隔操作機器の光がまたたき点滅した。
広げた紙に書かれた内容を見て、次の入力作業に取りかかりつつ、デートレフは更に話のついでのように聞いた。
「では、北の隣国でそういった毒性の高い植物はご存じか?」
「はい。そうですね……よく知られているのはネリウムという木でしょうか。環境変化に強い木で栽培しやすく、花も鮮やかなので庭木にすると映えて良いのですが、葉から根に至るまで有毒でして、決して家畜には与えません。焚きつけにもいたしません。生えた土壌にもしばらく毒が残ると言われます。枯れた葉を小匙一杯食しただけで倒れた話があります」
「随分と物騒だな。治療は出来るのか?」
「栄養を摂って症状が収まるのを待ちます。摂取しないのが一番です」
「症状はどんなものだ?」
「嘔吐と下痢、腹痛、倦怠感や脱力感などです。脱水症状に陥ると命にかかわります」
「……そうか」
デートレフは片眉をしかめ、小さな溜息をついた。横で聞いていたマルトも渋い表情だった。二人の脳裏に浮かぶのは、第一王子の部屋付の死んだ侍女のことだ。
「雑談はここまでだ。さっさと片付けるぞ」
「はい」
切り替えるようにデートレフは告げ、大神官も無言になった。
古代機械の最終確認は、日が中天にかかるまで続いた。
それが済むと、デートレフは全て終わった後で眠る場所を用意するようマルトに命じ、念のため担架を持ってこさせた。
命令を受けたマルトが「あまりご無理をなさいませんよう」と、しかめっ面になりながらやんわり言うと「無理ではなく出来ることしかせぬ」と真面目な顔で返された。マルトの口から溜息がもれる。
大神官が困った顔で小さく笑った。彼にも第一王子がどんな人物か少し分かってきたようだ。
一旦皆で休憩し、避難場所で配っている炊き出しを食べた。素朴な塩味のスープと、保存性に優れた非常に固い麺麭だった。まずいわけでは無いが、そう美味でも無い。たぶん美食家なら確実に不満に思うだろう。
その、微妙な味の庶民と同じ食べ物を、文句も言わず平らげる王子に、大神官と神官は少なからず驚いていた。今まで、オステン公のような贅沢三昧の貴族しか知らなかったのだから、驚きもする。
食事が終わる頃、グンターのところから伝令兵が領民の避難が完了した旨の連絡をしに来て、全ての準備が整った。
再び皆は古代機械の前に立った。
酒樽型の胴体上部に描かれた、王家の丸い紋にデートレフが手を触れると、紋が発光して浮き上がって見えた。しばらくそのまま手を当てていると、ピッという音が聞こえた。
そっと手を離しても紋がそのまま光っているのを確認し、もう一台にも同じ事をする。
二台とも力が充填されると、今度は遠隔操作機器の片方を選んで握り、デートレフはぐっと力を込めた。その身の回りの空気が一瞬、揺らいだように見えた。
片方の古代機械の上部がすっと伸びて、明るい灰色の羽根が倍の大きさに広がった。羽根は勢い良く回転し、本体と共に空気を巻き上げた。思ったよりも音が静かだ。
そしてふわりと浮き上がったと思ったら、鳥よりも速い動きで川の上流へと飛行して行った。あっという間に機械の姿が見えなくなる。
「良し。所定の位置に着いた。実行するぞ。あまり光源を直視するな」
手の中の遠隔操作機器に表示される情報を確認し、デートレフの指が小さな突起のひとつを押した。
カチッという音がして、飛行物体の消えた方角にまばゆく光る塊が生じた。
それは真っ直ぐ降り、神々しい一筋の光となって地を穿った。
光が水に触れると、ジャッという一際大きな音とともに周囲にもうもうと蒸気が立ち上り、白いもやが生じた。
一瞬後に長く低い地響きが伝わってくる。
皆は言葉も無くただその光景に見入るばかりだ。
光の筋は量を増して光の太い帯に変わり、川幅一杯に広がって白いもやを従えながら、上流から下流へ河川をなぞるように走って行く。
地響きがその間ずっと続き、鳥が次々と羽ばたいて一斉に川べりから逃げ立った。
途中、光は河川の湾曲部分を無視して進み、湿地をえぐり、また河と合流して湿地帯を突っ切った。えぐった部分には、光の後を追うように水が流れ込んでみるみる満たされていく。
光が通った道筋通りに、押し退けられた河底の土砂が、縁に寄せられ盛り上がって残された。河川の両岸は、まるで堤防のような高さに泥壁が出来ていた。
やがて、川幅が広めのところに差し掛かると、光の帯は徐々に収束していき、細い筋となって、終いにすうっと消えた。
デートレフは遠隔操作機器の小さな画面上をなぞっていた指を離し、結果を示す数値を確認した。微かに頷き、別の突起を押してカチッと言わせ、それを大神官に手渡した。
「自動帰還に切り替えた。予備機のほうを」
「どうぞ」
予備機の遠隔操作機器を大神官が渡す。デートレフはそれを握り、ひとつ大きく深呼吸してからまた力を込めた。彼を取り巻く空気が揺らぎ、予備機の羽根が広がった。
一台目と同じく、予備機が風をはらんで浮き上がり、高速で飛び出していく。デートレフは画面に表示される数値をじっと見つめながら慎重に待った。
河から切り離された三日月型の巨大な水溜まりと、新たな河川の縁から続く湿地の上空、丁度ぴったりの位置に予備機が来たところで画面を指先で押さえた。
予備機から大きな青白い光の球が落下した。真下の三日月湖に触れたとたん、ジョワッというような大きな音が響き、白い煙がボンと上がった。
夏風が蒸気をさらって霧散した後、三日月湖の水は消え、名残のように煙りを上げて、黒々とした焼け焦げた土が残る歪なへこみが現れた。
満足そうな声で王子が言った。
「成功したな」
「お見事です」
笑顔で大神官が褒めた。
その脇で荷物持ちの神官が興奮気味に、凄い、凄い、と壊れたようにただ同じ言葉を繰り返していた。マルトは声も無く驚愕の表情だ。
強い風が吹きつけ、羽根の回転音が上から聞こえて、最初の古代機械が帰ってきた。それは勝手に出発点に着地すると、自分で羽根を縮めて収納し、元の金属製の酒樽状態に戻った。しかし、まだ紋が発光をやめていない。
「触るな。指が消えるぞ」
短く鋭く、デートレフが忠告した。好奇心で近寄りかけた荷物持ちの神官の足が止まった。
握っていた遠隔操作機器の突起を押して、予備機を自動帰還にすると、目に見えてデートレフの疲労が濃くなったようだ。少し顔色が悪い。
無言で大神官にそれを渡して、大きく息を吐いた。
「マルト、手を貸せ」
「はっ」
呼ばれてマルトが手を差し出すと、それには縋らず、ゆっくり歩いて担架の上に座り込んだ。片手で胸元に手をやって、服の下で揺れていた補助具を上から鷲づかみする。
そのまま、ふうっと意識を失った。
慌ててマルトが傾いだ体を支えて、そっと担架に横たえた。聞こえていないとわかっていても、マルトは小言を言わずにいられなかった。
「倒れるまで行うのは、無理をしているというのです。殿下」
川から漂う風の中に段々と異臭が混じってくる。川辺と水中に棲む生き物の煮えた臭い、周辺の木や草や泥土が焦げた臭い、蒸発した水の放つ生臭い空気。
帰還してきた予備機の羽根の音が、聞こえた。
作中に出てくる植物は、筆者の創作物です。
実在のものと似ていても別物ファンタジー。念の為。
2021.03.07 振り仮名等の微修正しました