26 グンター、オステン領にて
グンター回続き ここまでです
オステン公の館から神殿へ戻った後、グンターは大神官の私室を借りて、神官達と額を突きあわせ、念入りに話し合いを行った。
川が良く見える高台に置いた拠点は、今回の一時避難場所のひとつとして利用することになった。
グンターとオステンに来た兵は、最初の一晩だけそこで天幕を張ってやり過ごす。狭いが、一泊だけなら何とかなる。その後は各避難場所に分散して宿泊する予定だ。
各避難場所の決定は神殿頼りになった。
地図を広げて右岸と左岸でそれぞれ何ヶ所か良い土地を探す。それへ、“塔”からオステンの神殿へ開示された第一王子の計画に障りの無いよう、神官達が助言をしてくれた。
更に、候補に上げた場所で問題はないか検討され、村や町の広がり具合から選別された避難場所は、大小合わせて八カ所になった。それに軍拠点と神殿が加わって十カ所になる。
今回、軍の拠点ではなく神殿を計画の本部とした。その理由は、第一に何より民にとって分かりやすい施設だったからだ。
困ったらとりあえず神殿へ、という、人々の心のよりどころであるのは、ここオステンでも変わらない。
また、既に病人を受け入れている点と、第一王子の指示で神殿と連携する必要があった。
まずグンターは、薬や食糧などの支援物資を神殿に運ばせた。そこから各避難場所へ配るように手配した。
次に、領主の邸宅に改めて兵をやり、オステン公の息子を見張ると共に、王軍からの依頼という断れるはずもないお願いをして、様々な物資、馬や馬車に荷運び用の舟を調達することにした。
初日はそれだけで終わってしまった。ひとまず無事到着した旨と現状をかいつまんで書いた報告を、伝令兵に託して王宮へ送る。上手くいけばデートレフ殿下が出立する前に着くだろうと考えた。
実際は、はやる第一王子を制して王が出立を伸ばすよう言ったため、行き違わずにすんだのだが。
翌日から、兵と神官とで手分けして、民が避難する手助けを開始した。
避難場所では次々に天幕が張られ、簡単な宿泊場所を設置した。同時に汁物などの炊き出しが行われる。
川岸に近い所に住んでいる者から順に、最寄りの避難場所へ兵が誘導する。自力で動けない者や体力の無い老人と幼子は、馬車や荷車に乗せてやる。
更に、医者が呼び込まれ、医者が居なければ医術に明るい神官が派遣され、病んだ者の手当てが始まった。
そうしていると、避難してきた民の内にもいくらか滅私と奉仕の精神を発揮する者がいて、率先して雑事の手伝いを買って出てくれた。
少し手伝いがいるだけで、神官達の負担は大分軽くなったようである。最初に見た時よりもいくらか顔色がましに見えた。
他方、真夏日で強い日差しの下、虫害を予防するため長袖の軍服を着た兵士は、皆汗だくだった。
対岸に渡る橋が流されてから、往き来は粗末な吊り橋と舟が主流だそうだ。兵士の中には舟を漕げる者もいたが、土地に不案内のため現地の船頭を雇って、湿地帯の中に入り込まないよう気を配っていた。
そうして対岸でも避難場所確保と天幕張りがどんどん進められていく。
出来ればグンターも、荷運びする中に混じって馬を引いたり、天幕を張ったりしたかったが、全体の取りまとめをする役を担っていたため我慢だ。お陰で、自然と書類仕事の経験が積み上がっていくようだった。
グンターが使用している、大神官の私室のある棟では、黙々と食糧や薬が仕分けられ、各所へ配る準備に余念が無い。
オステン公子息から提供された舟や荷車と、今ある荷馬車だけでは輸送の手が足りない気がして、もう少し荷馬車か何かを用意したほうが良いかと思案していた。
そこへ、大神官が申し訳なさそうな様子で言ってきた。
「やはり、薬が不足しそうです」
書き物の手を止めて聞いた。
「どれくらい……あと何日もちそうですか?」
「三日といったところです」
ノルトで順調に事が進んでいれば、そろそろマルトが薬荷を送り出しているはずだ。きっと明日か明後日頃、手に入るだろう。グンターは安心させるようにうなずいた。
「ならば大丈夫です。第一王子殿下がノルトより運ばせているものが届くまで、持ちこたえるでしょう」
「そうですか。ありがたいことです」
ほっと息を吐く大神官に、グンターはたずねた。
「オステン領の治安についてお教えいただきたいのですが、現在、領内は落ち着いているのですか?」
「ええ、ご領主様は厳格な方ですから、人々は慎ましく暮らしております。追い剥ぎや物盗りも無いとは申せませんが、近頃目立った事はございません」
「なるほど。では、叛徒はその後どうなったのでしょうか? 討伐したのち領主預かりのままだったと記憶していますが」
たちまち大神官の日焼けした顔が曇った。
「はい。領民が訴えを起こした件でございますね」
重々しく首を縦に振ると、ため息を吐かれた。
「そもそもは、叛乱と言うより嘆願だったのです。今年は豊年の見込みだから税を上げると仰せになった事へ、昨年の被害からみてこれ以上の増税は難しく無理があると申し上げたところ、逆らうのか、と。それで話が拗れてしまった揚げ句、一部の領民が耐えかねて……。
主だった者は、すでに処刑されています。捕らえたその場で殺害されたと聞きました。今、牢に入れられている者達は、訴えに同調した者や、その家族と縁者などの女子供です」
「女子供は無関係なのでは?」
「一族郎党、上意に逆らう者への見せしめ、だそうです」
グンターの強面がもっと厳しくなった。
「それはなんとも……いえ、私にそれをどうこうする権限はありませんが。それで、それはどちらの牢ですか?」
「ご領主様のお屋敷にあるそうです。ああ、建設中の方ではなくて、今お住まいの」
憐れみの表情を浮かべる大神官に、虜囚の扱いの酷さを察して、グンターは拳を握った。
「そちらの中にも病にかかった者がいるかも知れません。様子を見て対応いたしましょう」
「ありがとうございます」
深く頭を下げる大神官に、グンターも頭を下げた。
何度訪れても贅沢な屋敷だ、とグンターは思った。
ただ使いをやっただけでは子息は動かないだろう、と館へグンターが直接出向いた。兵士を引き連れてオステン公子息に面会すると、露骨に不快な顔で出迎えられた。
「昨日の今日で何か用か。命令は撤回しただろう。その上、馬も荷車も舟も出した。これ以上何も出せんぞ」
グンターは丁寧に会釈をすると、事務的にきいた。
「今回は協力要請ではございません。牢はどちらですか? 囚人の中に、流行り病にかかった者がいないか確認させて下さい」
「そのような罪人、捨て置けばよかろう」
「そうはまいりません。裁可が降りる前に死なせては後々問題になりますので。案内して下さらないなら、勝手に家探しすることになりますが」
そう言うと、子息は舌打ちしながら近くにいた召使いに顎をしゃくって言った。
「仕方ない。案内してやれ」
兵士が三、四人進み出て、やたら腰が低い召使いに案内されて歩いて行った。
「ありがとうございます」
礼を言ってきっちり敬礼すると、子息は鼻を鳴らした。
しばらくして、確認に行かせた兵士が戻って来た。報告によると、今いる囚人の内、病にかかっていた者はいなかった。しかし、すでに発熱して死亡した者なら十三名いた。
それと、明らかな病人はいないものの、何名か拷問されたような痕跡のある怪我人がおり、全員が衰弱していて着の身着のまま放り込まれている、女と子供が多くいる。と苦々しさを滲ませた言葉に、すぐさまグンターは決断した。
領民を人間扱いしない場所に彼らをおいたままにしては、じきに弱って死んでしまう。
グンターは有無を言わせぬ勢いで、罪人は全て軍が拘束します、と子息に言い遣って、神殿へ搬送させ、医者に診せるように指示した。
その日はそんなこんなで終了した。避難の速度はデートレフの要求に対して遅めだ。
神殿で過ごしていると、否が応でも熱に苦しむ人々の荒い息づかいが感じられて、グンターの中にももどかしさが生まれる。
せめて、橋が流されていなければ、薬の搬送がもっと楽だったろうに。いや、そもそもこのような湿地帯が出来るまで川の氾濫を放置していなければ、病など無かった。
第一王子が、万死に値する、と言ったのもうなずけるとグンターは思った。
次の日も、同じように人々の世話と作業を続けた。
少々曇り気味の天候だが、暑いことに変わりは無く、かえって蒸し蒸しするせいで辛い。
交代で休憩をとっているが、作業効率は余り良くなかった。
そんな中、日も高くなってから薬荷が届けられた。ノルト領からほぼ休みなしで、馬車八台が荷をたっぷり詰めて載せてきた。
隊を率いて来た兵の一人が、敬礼してグンターに書状を渡した。
「こちらはノルト侯爵様より荷の目録です。薬馬車三台、食糧馬車三台、医療用品馬車一台、その他馬車一台です」
「ありがとうございます。確かに受領いたしました」
敬礼して返すと、兵士は小声になった。
「それと、マルト殿から伝言です。隊の半分はノルト領の私兵です。多くは傭兵なので、こちらで雇用するよう持ちかけて下さい。人手不足の解消になるでしょう」
「了解しました。ちょうど人手が欲しいところでした。貴殿はこのままこちらで作業に加わっていただけるのですか?」
何の気なしに問うと、兵士はニヤリと笑った。
「いえ、戻ります。特別な任務がありまして、鬼ごっこをせねばならんのです」
兵が休憩して食事を摂らせているときに、グンターはノルト領から来た私兵達に、雑談混じりで道中の話を聞きとった。
ノルトの兵達は土地柄なのか、ざっくばらんで気のいい者が多いようだった。グンターの強面も大して気にしない。
「……ではずっとノルトから護衛していたのか。それは大変だったな」
気安い雰囲気で労うと兵士らはうなずいた。
「ああ。途中、二回盗賊に遭った。ノルトを出たか出ないかの辺りで」
「俺達はそれで護衛をやめられなくなって、そのままオステン領まで付いてくることになったんだ。いい迷惑さ」
「そうか。で、賊は倒したのか?」
土埃臭いまま、炊き出しの汁椀をすすっていた兵士は残念そうに首を振った。
「逃げ足の速い奴らで、駄目だった」
成る程、鬼ごっこか、とグンターは合点した。
「君らが強いので臆したのでは?」
そう言うと、ちょっと気を良くしたようで、へへへっ、と笑った。
「どうだ、王軍で雇うからこっちで働いてみないか? 場合によっては給金を弾んでもいいぞ?」
そう言って、指を丸めて硬貨のサインを示すと、周囲にいた他の私兵達もそわそわとこちらを気にしだした。
夕方近く、新しく雇ったノルトの兵士達の宿泊場所を神殿正門前の開けた土地に定めて、天幕を張り終えた。
その確認がてら、机仕事の息抜きにと歩いて行くと、ひとりの子供がグンターに声をかけてきた。避難してきた領民の子のようだ。
「おじさん、兵隊さんたちのえらい人ですか?」
その場では、グンターだけが色の違う近衛の軍服姿だったからか、行き会う下級兵が時折あいさつ代わりに敬礼して来るからか、そう聞かれた。
赤毛の、痩せぎすだがやんちゃそうな男の子で、鷲か鷹のような厳しい顔立ちのグンターを前に、少し緊張した様子だった。
「うん、お兄さんに何か用かな、少年」
怖がらせないよう穏やかに返答しつつ、訂正していた。おじさんか。デートレフ殿下とさほど変わらないのに。
「なぜ、家に帰れないんですか?」
「王家の命令だからだな」
言われて、少年は困ったようにうつむいた。
「そうですか……どうしよう」
「どうした、何か置いてきたのか? まだ取りに戻っても大丈夫だよ」
そう言ってやると、ほっとしたようだった。
「いいの? クロを置いてきちゃったんです」
「クロ?」
「あ、飼ってる犬です」
「いいとも。ちゃんと連れて戻って来るといい」
うなずくと、少年はぱあっと笑顔になった。しかし、すぐ不安気な表情に戻った。
「あの……家にいちゃいけないのは、どうしてですか?」
「これから川の工事をするからだ。ウドパラ川は毎年溢れるだろう? みんな流れて水浸しにならないように工事するそうだ。その間、川縁にいると危険だからな」
驚いて少年はグンターを見上げた。
「……本当に? 洪水で何回お願いしてもご領主様は助けてくれなかったのに、王様がなんとかしてくれるの?」
「そうだ。殿下が準備していらっしゃる」
すると少年の目にみるみる涙が膜を張った。
「よかった……うちの隣のじいちゃんも、ずっと前、流されて怪我したんだよ。姉さんの仕事場の旦那様もいなくなっちゃって。友達の家も、鶏小屋とか、うちの畑もダメになって……か、母さんも」
「そうか。……大変だったな」
泣く子供にかける言葉が他に見つからず、ただそれだけ言うと、こくこくと少年はうなずいた。鼻をすすりながらもう一度、よかった、と言った。
2020.11.12 微修正しました。ウトパラ→ウドパラ
2021.02.16 誤字修正しました
2021.03.07 振り仮名等の微修正しました